漢文と中国語はどう違うのか
中国語を学びたいと思った動機の一つは、漢文と中国語がどう違うかということだった。違うということは知っていた。現代中国人も論語などは読めないということも知っていた。が、それがどういう感覚なのかというを、その内側に入って知りたいと思った。
普通に考えれば、私たち現代日本人も平安朝文学をそのままでは読めないが、それでも、一定の年齢になって長く日本語というのに接していると、古代の言葉もそれなりにわかる部分は出てくる。その歴史的な言語感覚は、中国人の場合、どういうものだろうか。
それが少しずつ見えてきた気がする。
論語の冒頭を例にしてみたい。現代の日本の漢字を使うとこうなる。なお高校とかでは日本漢字で教えているだろうか。
子曰:“学而時習之,不亦説乎。有朋自遠方来,不亦楽乎。人不知而不慍,不亦君子乎”
これを学校では、こう下していると思う。他の下し方もあるが。
子曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍みず、また君子ならずや。
繁体字(旧漢字)だとこうなる。日本人も長くこれに句読点のない白文で論語を学んでいた。
子曰:“學而時習之,不亦說乎。有朋自遠方來,不亦樂乎。人不知而不慍,不亦君子乎”
中国語を学んでから、これを見て、あれれ、と思うようになった。
まず、「不亦説乎」の「説」である。
これに「よろこばし」という意味はないだろうと思うようになった。あるのかもしれない。ただ、この字を見て現代中国人は「話す」という意味にとるはずだ。
ざっといくつか漢字辞典を見ても「説」に「よろこばし」の解は見当たらない。追記「五十音引き漢和辞典」を見たら、「悦」に同じとあった。
ここは本来の漢字ではないものが入っていると、考えてもおかしくはない。
その場合、同音を当て字になるのが普通だが、「説」(shuō)の音は普通話の音で、その同音語が古代の論語に当てはなるわけはない。
そこで、古代の「説」の音価を探して、あるべき漢字を探すことになるのだが、日本語の「セツ」が暗示するように入声(語末子音)があったのだろう。とすると、むしろ入声のある日本語で「セツ」を探したほうがわかるかもしれないと漢字を眺めても、妥当なものは見当たらない。
どっかに解答があるだろうかと探すのだが、よくわからない。
中国語のサイトも見て回って、奇妙なことに気がつく。
こうなっているところが多い。「学而时习之,不亦说(yuè)乎?」(参照)である。
つまり、「说(yuè)」というのだ。
そんな音価はありえないのだが、"yuè"から連想されるのは、「悦」である。つまり、現代中国人は、「不亦悦乎」と読み替えているとがわかる。「说:音yuè,同悦,愉快、高兴的意思。」(参照)という解説もある。
そうなのだろうか?
そうなのかというのは、論語の原典が誤字なのだろうか。あるいは誤字ではないが、読むときは、「悦」を想定するべきだろうか。
ところで、現代中国語でここはどうなっているかというと、一例はこう。
孔子说:“学习并且不断温习与实习,不也很愉快吗?
Kǒngzǐ shuō:“Xuéxí bìngqiě bùduàn wēnxí yǔ shíxí, bù yě hěn yúkuài ma?
私もこのくらいは現代中国語がわかるようになった。「不也很愉快吗?」とか、特によくわかる。わかるので、それって、「不亦説乎」なのかと逆に疑問に思う。「高興的意思」というのも、どうなのだろうか。
自分の中国語の学力では無理を承知で、あえてここで論語と現代中国語をあえて実験的に近づけてみる。
子曰:“学而時習之,不亦説乎。”孔説:“学而時常習,不也悦吗?”
ちょっと無理があるのは重々承知でその上で思うのは、構文の違いである。「而」はなんとかなるとしても、「之」は構文的にどうにもならない。近接化できない。
その点、「乎」は「吗」に置き換わったとしてもそれほど違和感はないし、同じ事は「亦」と「也」でも言える。つまるところ、「説」を「悦」とすれば「不悦」は変わらない。
もう一つ例を進めてみる。
有朋自遠方来,不亦楽乎。
現代語訳では一例はこう。
有朋友従遠方来,不也很快楽吗?
「不亦楽乎」と「不也很快楽吗?」は先と同じ構文であり、論じるとすれば、「楽」が「快楽」かということになり、先の「愉快」と同じような解釈の問題に帰する。
興味深いのは、「有朋自遠方来」と「有朋友従遠方来」の構文がほとんど同じだということだ。
「朋」と「朋友」の言い換えは現代語というだけでだし、「自」と「従」も同じとしてよいだろう。この点では、基本的な構文は、論語と現代中国語はほとんど変わっていない。
というところで、ふと漢文の下しを思い出すと、二通りある。
有朋自遠方来朋あり遠方より来る
朋遠方より来たる有り
「来たる有り」の下しはウィキクオートにもあった(参照)。
現代中国語と同構造なら、「朋あり遠方より来る」でよいとも思われるが、「自遠方来」は「有朋」を補っているのだから、「遠方より来たる朋有り」のように解してもよいだろう。ただその場合でも、古文日本語の関係節として「朋遠方より来たる有り」は「朋遠方より来たるもの有り」となるので、文法構造的には疑問が残る。
以上、ちょっとヘンテコな議論になってしまったが、ようは、論語を支える文法が構文論的に現代中国語とどの程度異なっているかというを探りたい。
その意味で、説明が雑だったが、「学而時習之」の「之」は、現代中国語の構文には合っていない。
論語から離れて、興味深いと思ったのは、構文がわかりやすい、比較構文なっだ。ここでも漢文と現代中国語は変わっている。
漢文の場合は、AとBを比較するとき、「於」を使う。現代中国語では「比」を使うのだが、構文が異なる。
「電話は手紙より速い」というのは現代中国語では「电话比信快」、つまり、「電話比信快」となるが、漢文だと、「電話快於信」というようになる。簡体字で書くと、こうなる。
漢話:电话比信快漢文:电话快于信
現代中国語だと、「电话快」があって、それに「电话(比信)快」というふうに比較が加わるが、漢文だと構文がかなり違う。「电话快」に「于信」が後置する。"A telephone is faster than a letter."に似ている。
現代中国語で、「电话快于信」と言えるかどうかわからないが、言えるとしても、「电话快,于信」というように追記的な補足になるだろう。
漢文の比較表現は補足的な構文だったのか、それとも比較構文は元来、英語のような構文であったかが、よくわからない。
先の「之」の構文でもそうだが、どうも漢文の文法構造は、現代中国語と構文レベルで違っているようにも思う。というか、違っていてもおかしくはないのだが、どのように構文が変化しているかが、もう少し知りたいところだ。
ただ、ざっと見ているかぎり、助字を使った構文の構成は、漢文と中国語はあまり変わっていないようにも見える。
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コメント
「中国語の歴史」って本を読めばいいと思う。
中国語は本来のヴェトナム語的なものから、遊牧民的の影響を受けてアルタイ語化、膠着語化しているのだ。
例:station
漢文:駅。(繹と同じ。)逓連の意味。
北京語:站。元代でのJamChiの音訳。
投稿: YoshiCiv | 2014.04.19 21:24
以前、漢文の文法の変遷をちょっと論じたものを見たことがあるのですが、それによると、古代の漢文ほど、南方系の言語、タイ・ガダイ語族(タイ語など)やオーストロアジア語族(ベトナム・クメール)に近く、近代に近づくほど、北方語、つまりアルタイ諸語(モンゴル、テュルク、ツングース系諸語)に近くなる、という話でした。
私は、古い漢文は南方語というよりもチベット・羌語に近接しているのではないか?と考える方が、自然な気がします。(まあ、北方語の影響が入るのは歴史見りゃ誰でもわかりますし。)
投稿: 通りがかり | 2014.09.24 23:19
あれ?同じような内容のコメントが表示された(笑)
投稿: | 2014.09.24 23:22