料理の下手な女
ちょっと危険な話題だが、「料理の下手な女」について最近思うことが多いのでちょっと書いてみる。最初に断っておくが、料理は女がせよとも、女は料理が上手でなければならないともまるで思わない。
先日、「父への恋文」(藤原咲子)を読み返していて、その藤原ていは料理が下手だったらしい印象を受けた。
塩と砂糖を入れまちがえるのはいつもだが、料理の種類も少なく、魚や肉は焼くか、煮るかの状態でほぼ原形のまま、大皿にどんとのっていた。
この様子は目に浮かぶものがある。私の母親も似たようなものだ。私の母も藤原ていも信州人だからということもなかろうとは思うが、都市的な文化のない地域にはあまり美食というものはない。
「美麗島まで」(与那原恵)に描かれる母与那原里々のエピソードもすごい。娘与那原恵はこう語っている。
私は子供のころ、里々のつくる料理のまずさに閉口して、これは自分でつくるしかないと台所に立ったほどである。良規は、普通の食材を使っているのに、里々ほどまずく調理するというのはある意味すごいと、妙な感心をしていた。
自分の母親の料理はまずいんじゃないかと思う人は少なくないだろう。庶民漫画としてサザエさんを嗣いでいるような、「あたしンち」だが、主人公の一人であるおかあさんの料理も、笑っきゃないでしょという壮絶なものだ。
こう言うに少しためらうのだが、字はいくら練習してもうまくならない人はならないように、料理というのも下手な人は努力しても無駄なのではないか。ただ、字を書く器用さとは違い味覚の問題もあると思う。作っている料理の味がまずいというのを分析的にフィードバックして自己教育できないのだろう。そう書くと一群の人を貶めているようだが、これはようするに向き不向きということだ。
ちょっと頓珍漢な意見かもしれないが、現在問題になっている学習障害(LD)についても、現代文明が要求する一斉教育という限定が付く。もともと一斉教育などというのはコメニウス(Comenius, JA 1592-1670)の独創であり、特殊な学習形態だ。同じように、料理の技術というもの、特殊な学習能力という側面はあるかと思う。
話が逸れるようだが、およそある程度料理ができる人間は日常の料理にレシピを必要としない。それどころか、ある料理を食べれば、だいたいのコピーはできるものだ。このあたりを沖縄料理の名人山本彩香は「てぃーあんだ」でうまく表現している。
料理の作り方に関して、ここでお断りしておきます。材料はこれこれを何グラム入れて、などとはなかなか決められないのです。ですからこの本の中では、材料の量などに関して詳しく述べていません。適量というのは作る人それぞれの舌と感覚で決めるしかないと思います。
もっとも、私はちょっと違った考えを持っているのだが、いずれにせよ、レシピで料理を作るということは、日常の料理を作る人間は、しないものだ。
私はさらにやばい話に進める。美人と料理の上手下手には相関があるのではないか。美人で料理が上手という人が思い浮かばない。例外は翁倩玉や平野レミくらいか。美人で利発な人はいる。その利発さで料理をこなすことはできる。が、料理が上手というのとなにか違う。
山本彩香の連想だが、彼女の育ての母は辻の「じゅり」(芸妓)だった。辻と「じゅり」については取り敢えず花街と芸者としておく。山本の母はそこでの料理を担当していたのことだ。失礼な言い方だが、それほど美人ではなかったのだろうと思う。
さらに私は変な話に進める。先の与那原恵の母里々だが、夫の良規が求婚した際、金魚のてんぷらでなければなんでも喰うと宣言したそうだ。ここで男の私は密かに思うのだが、たいていの男は自分の伴侶が美人でなくてもいいと思っているし、料理が下手でもしかたがないと思っている。女性には失礼な言い方だが、たいていの男はそう決心してそう耐えるし、一生耐える。「耐える」と言えば何事かと叱られるのは必定なので、普通は、男は黙る。あたしンちのお父さんは、男というのをよく表している。
で? だから?
別に男が偉いわけでもない。男のほうが料理が上手なら自分で作れば、は、正論だ。それにうまいものが食べたいなら、金を出してグルメになればいい…なのか? というと、そこが実は大きな間違いで、外食の味は日常の料理の味ではない。料理屋でよく、おふくろの味とかいうのもあるが、そう言われてきたもので、私がそうだと納得できなのは数少ない。おふくろの味というのはたぶん嘘だ。
家庭というものには、あるいは男と女というのには、うまく言えないのだが実際に生活してみないとわからないなにか、奇妙な秘密のようなものがある。なにかの統計だったと記憶するが、離婚の理由というのが、歳を取るにつれて、味覚の相違が増えた。日本では女性が食事を作るケースが多いから、女性の料理が下手なのか、男性の忍耐が弱いのか、どちらかなのだろう。
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コメント
いつも興味深く拝見しています。今回軽い話題なのでちょっとだけ参加させていただきます。
私たち三人姉妹は両親が共働きだったため中学1年から週に1,2回父の晩酌の肴と自分達の晩御飯のおかずを作って育ちました。
料理自慢の母の味を体で覚えて学び、好き嫌いが多く、ちょっとでも口に合わないと一口食べて「うまくねぇ」と言って皿を押し返す父に鍛えられた私達 姉・私・妹の腕前は、ところがなぜかバラバラ。
特に旅行やグルメの食べ歩きで舌の肥えているはずの姉の作るものは「どうしてこういうことになるのだろう?」という状態で、「味覚の再現」ができる・できないにはある程度の資質が関係しているというのは深く同意します。
食べ物にあまり執着心のない軽い引きこもりの妹が一番料理が上手で、男の人の趣味の料理のような厳しい美意識のある料理をします。
好き嫌いが多いのに自分の嫌いなものもうまく料理できるのは不思議です。
私は母の手際と適当さを受け継ぎ、普通のお袋さん料理を一通り、という水準です。
料理の腕前と食い意地というのも関係しないようで、味覚の再現の秘密は奥が深いものがあると思います。
ところで私達3人、腕前に関わらずそんなに料理が好きでありません。(笑)
容姿は、、、誰が飛びぬけて美しいということもないのですが、全員やはりバラバラな顔をしています。
投稿: 蛸舟 | 2004.08.21 14:22
北京の中国庶民が住むアパートで数年暮らしたことがある。夕方になると向かいの棟の調理場に明かりが灯るのだが、どの窓も料理をしているのは旦那の方だ。
ということでぼくも料理をするようになったのだが、これがなかなか楽しい。今では毎日の一番楽しい時間ではないだろうか。
投稿: MAO | 2004.08.21 17:17
歳をとると、郷里の味が恋しくなるといいます、魯山人は日本全国の郷土料理を作れたとか、郷の味が一番のごちそうであり、最上のもてなしと考えていたようです。
料理も腕は、味覚の記憶力、再現能力にかかっているのかもしれません、しかも、相手の舌の好みも加味して再現するのは繊細な仕事です。
私の夫は世界を転々とした人なので、中国の麻婆豆腐やら、バナナの揚げたのとか、ボンカレーとか、グラーシュ、など何枚舌があっても足らないです。ギリシアの山羊が美味しいって言ってたけど、finalventさんは召し上がった事はありますか。
投稿: のっち | 2004.08.21 19:05
こんばんは
好き嫌いなくなんでも食べられる特技のせいか おいしいものの区別はできますが 作るとしたら似て非なる 超手抜き料理が大好きです
男は黙って・・・
なんかわかるような 父なんかそんな感じでした
旦那は 顔に「不満」が表れますのですぐわかりますが 手抜きでも「好物」をそろえてでごまかします(笑)
食事の支度に手をかけなくてもなんでもできてしまう便利な世の中になって本当によかったと思ってます
投稿: クレ | 2004.08.21 22:46
さらに進めると、料理がまずい伴侶をかかえての仕事は、重大な障害がでる可能性が高い
まずい料理をたべるにせよ、拒否するにせよ、いずれにしても仕事での品質に影響する可能性が高くなるので、そういう伴侶をもつ人は要職につけるべきではない
投稿: i | 2004.08.22 03:24
どもです。この手の話題はどうかと思っていたのですが、日常で誰もがなんとなく思っていてしかし、あまり語られない部分のような気がします。そういうのがうかがい知れるように思えて、失礼な言い方もしれませんが、面白いです。
のっちさんからの「ギリシアの山羊が美味しいって言ってたけど」ですが、そうですね。ギリシアの肉=山羊という感じでした。内陸を旅すると山羊の群れが川のように流れていました。これを喰っているのだなと思いました。意外に挽肉が多いように思えました。
印象的な山羊料理は、骨付き肉の塊をセロリ(土着の種類かも)でとことん煮たものです。どかーんど皿に置かれて一生懸命食べました。うまいというより、山羊を喰うってこういうことなのかと感激しましたよ。
投稿: finalvent | 2004.08.22 07:07
こんばんわ。3代続いた共稼ぎ家庭なので、削りに削った「ご飯」「味噌汁」「納豆」の譲れぬゴールデントライアングルだけ要求、じゃなくって頼んだのに、すっかり無視(失念?)されてニョウボの手料理どころか品数だけは多いチチハル出身の阿姨の東北料理に毎日攻められてます。同じ東北でも大陸じゃあねぇ。1年近く経つとさすがに辛抱たまらんので、娘とこっそり食パンにマヨネーズたっぷりかけて食ってたりしてw。海鮮料理も羊串肉も飽きたですね。郷里が違いすぎるまた実業家(になってしまった)の嫁もらうと、こういう難儀がまっておりますですよ。
投稿: shibu | 2004.08.22 19:34
再び失礼いたします。
思い返してみたのですが、料理下手と「猫舌」の関係ってどうでしょうか?
私に身の回りにいる数少ない料理下手サンプルの姉は猫舌です。
今後猫舌の人に会ったら料理の腕前について訊いてみるようにします。
投稿: 蛸舟 | 2004.08.23 17:55
はじめまして。いつも興味深く拝見しています。
家庭料理って、ただ食えればいいというもんじゃなくて、いろんな意志が絡んでいるから面白くも厄介ですね。皆さんのコメントからもそれを感じます。
このモヤモヤ感の歴史的、社会的分析については以下の2冊が出色でした。
『きょうも料理』(山尾美香、原書房)
『変わる家族 変わる食卓』(岩村暢子、勁草書房)
投稿: みえ | 2004.08.24 13:06
「ある料理を食べれば、だいたいのコピーはできるもの」
これができない人がいることを長い間不思議に思っておりました。
そういうものなんですよね。
投稿: 真似っ子 | 2007.05.23 14:50