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2003.11.07

再考・太田朝敷と小熊英二の議論に関連して(11.9追記)

 コメント内のレス内の太田朝敷についての言及ですが、morimori_68さん(参照)のご指摘は当然だと思います、が、私の意図は小熊英二がそうだという意味ではありませんでした。このあたり舌足らずだったかもしれないので、少し補足させてください。先のレスで、「太田朝敷なんて結局皇民化だ」というのは、沖縄の言論界でだいたい1990年くらいまでの左翼的な評価としてある程度定着している面があったのですが、彼が新報(琉球新報)の創始との関係や実際に現地ではその謦咳に接する古老も多いことから、旧来な左翼的な評価が定まりにくい傾向がありました。そうしたなか、論集の再刊などを含め、見直し的な考察やまた、左翼的な思索からもれいのポストコロニアル論やカルチュラル・スタディーズが出て、ちょっとイジワルな言い方をすれば、沖縄は文献が豊富なこともあり「おいしい領野」になってくるあたりで、ちょうど小熊英二が出てきて、やっぱ「東大系からはこれかよ」と思ったのです。その意味で、


「結局~皇民化の推進者」といった一方的な裁断ではなく、彼の言説の意図、効果、限界などを、距離を取りつつ客観的に位置づける

 とmorimori_68さんがご指摘されるのはわかります。小熊英二についてその言及が妥当であるとも思います。ただ、私は2点の問題を感じているのです。
 1つ目は、ポストコロニアル論やカルチュラル・スタディーズにアクチュアリティがないことです。逆にそれがアクチュアリティ乃至状況への知識人の言及に適用されるとき、結局旧来の左翼思想に実質収斂してしまう。というのは、おそらくその背後に結局のところユーマニズムを内包しているからではないか。別の言い方をすれば、人間の終焉、ユマニテの生成・終焉過程としての近代化の発現として植民地化を見ていない、かつ、植民地化として現実のアクチュアリティに連結してみせるが、その支柱となるべき帝国主義論が完成していない。この点、英国のニューレフトのように帝国主義から植民地主義をマルクス的な世界史の動向の正統な一貫として捕らえることができない。これは、多分に、日本やフランスなどの知識人が、知識人階層として結局のところそのナショナルな国家システムに保護されているためだろうと思います。この点は端的に言えば、日本にはラジカリティがないのです。吉本隆明が60年代安保を支援したのは思想の内在ではなく、ラジカリティという思想だった点が日本の知識人は十分に問い直されていません。
 2点目は、「一方的な裁断ではなく、彼の言説の意図、効果、限界などを、距離を取りつつ客観的に位置づける」というときの論者のスタンスはどのように理論構築されているかが、曖昧だということです。この問題は、戦後のヴェーバーの社会科学論、古いところではカール・レービットなどによってかなり深化されていたはずなのですが、結局のところ、日本を含め、80年代あたりのどこかでなにかの屈曲があったように思われます。ソーカル事件でフランス現代思想が実は修辞ではなかったかというプラグマティックな批判がアメリカ思想側からでる、また実質クーンに連動したドイツのフィアーベントの科学批判などもどこかで否定のための否定となり、結果、フランス現代思想が思想による思想のシミュレーションになってしまう(例えば、コジェーヴは優秀なヘーゲル学者でもあるが、ヘーゲル=コジェーヴというのが前提となりデリダの議論が通ってしまうのはごくフランスのローカルな家のご事情)。その屈曲のなかで社会学の科学性が十分にマックス・ウェーバー時代の前提すら考慮されなくなってしまった。端的な話、我々という日本人の知識人が帝国主義者の正統嫡子であるということをポストコロニアル論やカルチュラル・スタディーズなどは弁罪的な内容で隠し、その上で「客観」を仮設することになってしまう(この点で、フランスの知識人におけるアルジェリア問題など最近は日本側では考慮されていないように見えます)。乱暴な議論をすれば、本土人という意味で我々に沖縄・台湾を客観として論じる資格などないというのが巧妙に「客観」に隠蔽される結果、別の「アジアなるもの」「アジア諸国なるもの」というのが日本に対立して出現してしまう。結局、日本の知の状況では、ポストコロニアル論やカルチュラル・スタディーズなどは、そのスタンスの甘さから批判されるべき「日本のナショナリティ」が前提に回帰されてしまうのです。正確に言えば、カルチュラル・スタディーズの議論は、それを解体するはずなので、こうした私の言及がお笑いに聞こえるかもしれません。しかし、問題は、社会学理論の装置の性質ではなく、我々の思想というアクチュアリィなのです。
 小熊英二は、ちょっと皮肉な言い方をすればお利口さんなので、そのあたりの学会(業界)の動向や装置の設定、そしてアクチュアリティへの距離など実にウェルバランスに出来ています。もうちょっと皮肉な言い方をすれば、アメリカ人研究者の博士論文的なスタンスです。が、そこで欠落されるのは、国家性のない侵略という現象とでもいうべき、実際の歴史の状況です。単純な日本の戦後史観では「日本が(主語)アジアを(目的語)侵略した」という命題から日本やアジアとされる国家ないし民族が固定的に実体化されます。しかし、実際の歴史の展開は、あえていえば、アジアの部位が部分的に日本になることで日本化という現象が起こり、それが西欧の侵略の様相を呈したということです。単純な例でいえば、日本の戦犯とされた朝鮮人や台湾人(これはもっと複雑な問題がありますが)などは、侵略の主体に回されてしまいます。
 話がめんどくさくなりましたが、植民地化というのはジオポリティックな現象でなく、スポラディックな発酵的な現象だった、だからこそ、そのアクチュアリティの側面では急進的中核性が求められ、それが日本に課せられたと私は見ています。そして、その課せられるべき日本が実はオーバーロードであることから、偽装された急進的中核として石原莞爾などの満州国の理念が出てくる。
 そしてこの運動は結局のところ、日本の敗戦後も共産主義の形で歴史運動だけは継続していた。ちょっと浅薄で皮肉な言い方をしますが、アジアの赤化は、大衆の側にとって、ちょうど日本の植民地化と同じような現象として実現したのは、もともと同じ現象の一貫だったのではないかと私は考えるのです。
 単純な話にしすぎていますが、日本敗戦後のアジアの共産化の状況を日本の帝国侵略と同じなめらかな現象と見て、現代の日本アジアを位置づけるといった視点は小熊英二にはありません。もちろん、そんな議論は妄想というかもしれませんが、現象のもつ説得性があれば考慮すべきであるし、小熊英二の装置にはそうした問題を扱うシカケが存在していません。私の思索の誤りの可能性を明示化するために、逆にちょっときつい言いかたをすれば、小熊英二の議論は発展性がありません。

[コメント]
# masayama8 『べ、勉強になりました。ここ数日は特に筆致が荒々しい印象なのですが、僕の気のせいでしょうか・・・?』
# masayama8 『朝日にしても田中宇にしても、傾斜し過ぎないようにと思って目を通すようにはしているのですが、細かな整合性ってところについてはおっしゃるような検証が必要なのだろうなと思います。すべての記事に僕は目を通せるわけではないのはもちろんですが・・・態度の問題としてやはり極東ブログさんの立場って言うのは、ひとつ重要な観点を含んでいると思います。参考になりました。』
# レス 『(先日のレスでmasayama8さんとmorimori_68さんと混同してしまいましたので訂正します。)筆致が荒いのは殴り書きがけっこうあるためで、いかんなとは思うのですが、そのホットさ(感情むき出し)もありかと迷います。実際にはあまり手間が取れないことや、どれも掘り下げると深い部分があってできない面もあります。例えば、ホドルコフスキーのオヤジはユダヤ人だとか。また、morimori_68さんがご指摘された「太田朝敷」についてももっと説明する必要はあるかとは思っています。例えば、太田朝敷について典型的な批判(評価)でこんなのがよくあります。「太田朝敷は本土に向けて琉球人差別撤廃を主張したが、それはアイヌと同じするなという差別を含んでいた。太田朝敷は結局くしゃみまで本土人に真似ろという皇民化の推進者だった」、と。この手の批判はなんの意味ないと私は思います。それでは戦後の戦争反省派と同じようなものです。とま、そこを越える説明というのは難しいものです。』
# morimori_68 『はじめまして。小熊英二の太田朝敷論は「結局~皇民化の推進者」といった一方的な裁断ではなく、彼の言説の意図、効果、限界などを、距離を取りつつ客観的に位置づけるものだったように思います。ところで、ネットでの議論は必ずしも性急でなくてもいい(あとからいくらでも補足や軌道修正ができる)ので、じっくりおこなっていくのが良いのではないかと思っています。』
# レス 『morimori_68さん、コメントで突然ひっぱり出してしまっかことになってしまい、ご迷惑だったかもしれません。であれば、申し訳ありません。また、当然ながら、ネットの議論はじっくりと行うという点について異論のあるものではありません。ただ、メディアとしてのブログの位置づけについて、多少違った試行もあるかとは思います。レス内の太田朝敷と小熊英二については、補足を追記しました。』
# morimori_68 『この件に関する質問を http://d.hatena.ne.jp/morimori_68/20031202 に書きました。よろしくお願いします。』
# レス>morimori_68 『了解しました。そちらにコメントを書きました。』
# morimori_68 『finalventさん、回答ありがとうございました。回答を受けての私のコメントをhttp://d.hatena.ne.jp/morimori_68/20031202 に書きました。よろしければお読みください。』
# レス>morimori_68 『了解しました。そちらに追加のコメントを書きました。』
# morimori_68 『finalventさん、再回答ありがとうございました。それを受けての私のコメントをhttp://d.hatena.ne.jp/morimori_68/20031202 に描きました。よろしければお読みください。』
# finalvent 『了解しました。そちらにコメントを書きました。たぶん、これがこの件についての最後のコメントになるかと思います。』

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