シビル・ウォー アメリカ最後の日のレビュー・感想・評価
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日常の、その先に
ふっと、倒れた兵士ではなく、草花にフォーカスが合わされる。陰惨な殺し合いが繰り広げられていても、草は風に心地よくそよぎ、花は可憐に咲く。戦場カメラマンの彼らは、銃弾を避けるため、よりリアルな画を撮るため、幾度となく身を潜める。そんな低い視線が捉えた、凡庸だが美しい光景が印象的だった。
衝撃的な予告編、大きなスクリーンでの上映で、派手なアクション映画を期待した観客は多かったと思う。(たまたまかもしれないが、私が観た回は中高年男性率が高かった。)同行者も「予想と違った…」とつぶやいていた。それでも、戸惑いながらも惹きつけられる、不思議な力が本作にはある。
舞台は、内戦で壊滅寸前のアメリカ。大統領のインタビューを取るため、主人公たちは戦線をくぐり抜け、ワシントンD.C.に向かう。容赦ない撃ち合い以上に不気味だったのは、「面倒ごとには関わりたくないの」と無関心を決め込む田舎町の人々。「今も世界のどこかで戦争をしています」という言葉を聞き飽きたと感じてしまう自分に重なり、どきりとした。そんな町であっても、銃口はごく当然に向けられる。無関心は、安全とはおそろしく無縁なのだ。
監督の過去作に「わたしを離さないで」の脚本•製作があり、なるほどと思った。東日本の震災後、おずおずと映画館が再開しても、ラインナップは明るく元気が出るものが主流だった。そんな中、ようやくあの作品に出逢えた。ためらいなく脱力し、悲しい、むなしいと感じていいんだと思えた安堵の記憶は、今も鮮やかだ。がむしゃらに進むだけでなく、こぼれ落ちるものを丁寧にすくい取る、そんな作風が、本作にも生きているように感じた。
非日常な戦争や災害の中にいても、笑い、はしゃぐのは当たり前。ただ、そのすぐ先に、何があるかわからない。だからこそ、なのか、それでも、なのか。彼らも私たちも、つかみきれない「今」に、感情を委ねずにはいられない。
予告では触れられていなかったので、主演がキルステン•ダンストだったのには少し驚いた。「スパイダーマン」のMJ、「マリー•アントワネット」のタイトルロールと、スクリーンを華やかに彩ってきた彼女。最後に観たのは、「メランコリア」だったと思う。ちょっと気難しく見える目元が、歳を重ねた熟練の戦場カメラマンという役どころにぴったりだった。ドレスもメイクもいらない!彼女を、これからも様々な映画で観てみたい。今後に期待だ。
こうならないための未来にするには
人によっては戦争映画と思うだろうし、ロードムービーだと思う人もいるだろうし、戦場カメラマンの成長譚と思う人もいるだろう。
それぐらい、見る人がどこに印象を感じたかで変わる映画だった。
「アメリカで19の州が離脱し、テキサスとカルフォルニアの西武勢力vs政府軍の内戦が起こっている」という、本当にそれだけしかわからない状態で物語は進んでいく。
内戦勃発のきっかけや、お互い何を正義として戦っているのかなどは一切わからない。
ただ、それも今のアメリカの状況を思えば致し方ないのかもしれない。
ファンタジーであればある程度理由付けもできるかもしれないけれど、今すでに存在しているアメリカの実際にある州での話となると、影響力の大きな映画は政治批判と受け取られるかもしれないし、プロパガンダと揶揄されるかもしれない。
作り手が見ている人にそう思われずに、今国内がひとつになっていない危機感だけをメッセージとして伝えたいと思ったのなら、こう描くのが一番なんだろう。
ウクライナやシリアのドキュメンタリー映画を見たことがあるので、内戦の描き方がすごくリアルだと感じた。銃社会のアメリカなので、市民が簡単に武装ができ、殺し合いができるという環境はとても恐ろしい。常にヒリヒリとした状況に、心休まる暇がない。
歴史物の戦争映画とは異なり、高層ビルや現代の風景(しかも都会)に、戦車や軍隊が進軍し、銃声が飛び交い、空には軍のヘリや戦闘機が飛び交う光景は恐ろしかった。こんな未来には絶対ならないでほしい。
あと、戦場カメラマンの人たちが、こんなに命懸けで戦場にいて撮影していることにも驚いた。
でも確かに、百聞は一見にしかずというし、聞いたことよりも実際見た光景が真実だと思うので、カメラでその瞬間の真実を記録することは、大切なことなのだと思った。
戦場カメラマンを通して見る、ifの世界線。
ひとつ間違ったら、こんな未来になってしまうかもしれないと、そうならないためにはどうしたら良いかを考えるきっかけになる映画だった。
理想と良識と常識はどこへいった?
内戦の背景などの説明がわずかであることから、さまざまな解釈を見かけた。もちろん受け手である観客自身が決めればいいとも思うのだが、自分の印象では、決して俯瞰などしておらず、非常に熱のある現代批判である。
というのも、カリフォルニアとテキサスという政治信条的には混ざり合わない二州が組んで大統領政府に立ち向かうという一見現実ではありえなさそうな設定も、「大統領が3期目」、つまり合衆国憲法(正確には修正第22条)に違反、もしくは強引な改憲をしたことが明らかであり、国の根幹を揺るがす非常事態であるとわかる。
民心が分断したというレベルでなはない。危機にさらされているのは、民主主義国家を成立させている大前提、つまり憲法であり、建国の理想であり、国をひとつに結びつける根源的な理念が壊れつつあるからこそ起きた内戦だと考えるのが打倒だろう。
ジャーナリストたちが追いかけているものも、ただのアドレナリンや興奮ではない。劇中のリーは、伝える価値があると信じていた仕事に疑いを持ったと述懐するが、リーの無力感は、信じていた前提が通用しない時代になったから生じたものだ。
現実の分断も、もはや政治的対立と呼べるようなものではない。この映画で描かれているような不条理な自体は、すべて現実の半歩先に想像できるものばかりであり、リーのように絶望する前に、常識と良識を取り戻そうと呼びかけている映画なのだと、自分は解釈しました。
武装権を認めている合衆国憲法
アメリカ合衆国の憲法修正第二条は、「武装する権利」を認めている。銃規制の議論などで度々引き合いに出されるこの条文には実際に何が書かれているかというと、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」とある。この条文の解釈は歴史的に議論があって、民兵を組織する権利を認めたのであって個人が銃を持つことを許したのではないという解釈と、個人が武装する権利だという解釈があって、今は個人の武装する権利と解釈されているのが一般的だ。
ただ、これは最高裁の解釈であって、解釈はひっくり返ることもある。この映画は、テキサスとカリフォルニアが武力で中央政府に挑んだことで内戦が始まったことを背景にしているが、これは民兵が政府に戦いを挑んだという状態に近く、憲法解釈としては前者に近いかもしれない。
修正二条ができたのは、独立戦争の後。当時、イギリスから独立を勝ち取ったアメリカは、人民の自由を奪う時、国は武力を持ってやるに違いない、人民の自由を守るためには武器を手放すべきではないという論調があった。国が人の自由を奪う時は、民兵が立ち上がってこれに抵抗することを保障するための条文が修正第二条だ。
本作で大統領や政府が何をしたのかわからないが、これに対抗して武器を取ることを憲法が保障しているのがアメリカという国なのだ。
つまり、憲法解釈によっては、この映画のような事態が起きることを保障している国と言える。元々、イギリス相手に武力で独立と自由を勝ち取ってできた国なので、武力行使と自由が密接に結びついている国なのだ。
何がアメリカ人民の自由を脅かすのか、この映画はそれを直接描いていない。現実にその火種はたくさんあるので、見る人によってそれこそ「解釈」が変わるだろう。火種がたくさんあるから、このような内戦の勃発は決して絵空事ではないと思わせる。何せ憲法で保障されてるし。
ちなみに、テキサスとカリフォルニアは、全米の州兵で最も強いトップ2と言われている。この2州が手を組んだら、本当に政権転覆できるかもしれない。
状況と瞬間を濃密に焼き付けた一作
冒頭、スピーチ練習をする大統領の言い回しには、かの元大統領を思わせるものがあるし、この映画の挑発的設定がいくらかリアルに感じられるのも、我々の脳裏に議事堂襲撃事件が鮮烈に刻まれているからだろう。だが、結論から言うと本作は特定の人物や党を連想させることなく、あえて事の経緯は曖昧なまま、分断の果てにある状況そのものを描き出す。と同時に、これは世界各地の紛争を我が身に置き換え体感する映画でもあるのだと感じる。そのカオスを分け入るロードムービーの動線を担うのは銃の代わりにカメラを構えたジャーナリストたち。一つの車に同乗する性別、世代の異なる彼らは時おり疑似家族のように思えたりも。はたまた感情豊かな新米と冷静沈着なベテランの対比は一人の写真家の出発地と現在地を集約させているかのようだ。世にある歴史的瞬間を記録した一枚に写真家らの姿はない。その切り取られた世界の外側や背景を自ずと想像させる秀作である。
「お前はどの種類の日本人だ?」への正解を想像できるか
アレックス・ガーランド監督には「エクス・マキナ」や「アナイアレイション 全滅領域」などSFの印象が強かったので、新作が内戦を題材にしたアクションスリラーと聞いて意外に感じたものだ。だが実際に見ると、この「シビル・ウォー アメリカ最後の日」も米国の政治的社会的現状を客観的にふまえつつ、近い未来にもし内戦が勃発したらどんな戦闘や混乱が起こり得るか、それをジャーナリストが取材しようとしたらどんな行動をとるのかといったことを、出来る限りの科学的な正確さでフィクションとして描くという点で、広義のサイエンスフィクションと呼んでもよいのではと考えを改めた。
それにしても、ガーランド監督(脚本も担当)と製作会社A24の機動力には恐れ入る。2020年米大統領選の不正を訴えた当時現職トランプの過激な支持者らが米国議会議事堂を襲撃したのが2021年1月。それが映画の直接的な出発点ではないにせよ、インスピレーションの1つにはなったはず。ガーランドとA24は2022年1月までに契約を交わし、次の大統領選が行われる2024年の4月に米英での公開にこぎつけた。
映画では、連邦政府から19州が離脱し、テキサス・カリフォルニアの西部勢力が大統領側の政府軍と武力衝突を繰り広げていると説明される。赤い州(共和党支持)のテキサスと青い州(民主党支持)のカリフォルニアを組ませた点が脚本のしたたかさ。大統領選の年に公開されたことも考え合わせると、もし反政府勢力が赤い州か青い州のどちらに偏っていたら、本作が政治的プロパガンダだという非難をまず間違いなく浴びていただろう。そうしたリスクを回避するための戦略的な設定だと考えられる。
民間人の遺体を処理する武装集団のリーダー的存在、赤いサングラスの男を演じたジェシー・プレモンスは短い出演時間ながらも強烈な印象を残す。予告編にも使われている、ワシントンDCに向かうジャーナリストたちに向かって「お前はどの種類のアメリカ人だ?」と問う台詞が、米国の分断の根深さを象徴している。
昨年公開の「福田村事件」で描かれた、香川から関東を訪れていた行商の人々が、朝鮮出身者ではないかと村人たちから疑われる場面が思い出される。近い将来、日本でまた大規模な災害と大混乱が生じ、自警団とそれに追従する人々が似たような暴走を起こす可能性がまったくないとは言えない。そんな状況で、「お前はどの種類の日本人だ?」と問われたら、果たして何と答えるのが正解なのか。そんな想像をすることで、この「シビル・ウォー」がよりリアルに迫ってくるだろう。
求めていた"内戦というエンタメ"ではない。
非常に不謹慎なタイトルのレビューではあるが、個人的にはド派手なフィクションを求めていた。
"世界の警察"とも言われるアメリカが分断され、内戦が始まるという非常に興味深く、且つこれ以上無い題材。
ノンフィクションの様な路線で行くのか、
完全に振り切ってフィクションにするか。
フィクションだからこそ、現実にはあり得ないようなド派手な演出や脚本が欲しかった。リアルにこだわった展開に進行も遅く、状況も把握しにくい。もっとそれぞれの対立を深掘りしないと、何と戦っているのかもわからない。
PRESS(報道)の目線から内戦という『一つの民族が戦わなくてはならない』『殺し合わなくてはならない』『身近な人が死んでいく恐怖』『反戦を訴える』という意味ではとても良く出来ている。
だが、宣伝文句ではそうは捉え難いエンタメ的な表現だったので、期待してしまっただけに率直に言えば残念。
大統領の目線、クーデターの理由、双軍の内情などがほとんど見えず、結果的にラストも朧気。
新米報道カメラマンの成長に焦点を当て過ぎた弊害が大きい。
唯一、オンとオフ。
いわゆる一般国民と軍人の意識の乖離は新鮮で、日常と非日常の描写、それに巻き込まれた時の戸惑いはグイグイ引き込まれる。
脚本次第で【プラトーン】や【ダンケルク】の様な大作に肩を並べられたかもしれないだけに、ただただ勿体無いの一言。
思ったてたのと違ったけど
命とは
後半生の生き方を考え直すきっかけを貰いました。
「バイオハザード」も「マトリックス」も全作映画館で観たし、ブルーレイでも視聴した。
架空の世界の肉弾戦をワクワクと観ていた。
けれど、この作品は、ジャーナリストの市民が取材に向かう道中の風景を彼らの視点で描いており、アメリカで、もしかしたら日本でも、起こるかもしれないと感じた。
銃声を聞いたことも、銃を撃ったこともない。
銃口を向けられたことも、本気の暴力にさらされたこともない。
震災やテロ、事故に巻き込まれたこともなく、今に至るまで平安に過してきたことに感謝した。
子育てという人生のミッションをクリアした私は、これからは「頑張らず楽しく生きる」をテーマに、残りの日々を歩もうと考えていた。
けれど、この映画を観て、今、何か行動しないといけないような気がした。
第三次世界大戦が起こって、我が子たちをはじめとする多くの若者がそれに巻き込まれたら…と想像してしまったのだ。
これからもうひと山越えなきゃいけないのかなとげっそりすると同時に、エネルギーも湧いてくるから不思議だ。
新年一年、気持ち新たに頑張るエネルギーを貰いました。
説明が不足しているのでぼやけた印象
凄いよ、凄い。アカデミー賞かな?!
観たよ。Amazon、未だ上映期間にも関わらず、早々の配信をありがとう。
内戦を繰り広げる米国内で、主人公のカメラマンがホワイトハウスに向かうため、ワシントンD.C.への1379kmを、記者仲間に飛び込んで来たカメラマン志望の若者を加えて、危険すぎる旅をする話。
前半部分で、主人公さんは言う。「(何が正しいとか間違っているとか)考えても無駄。質問はせず、記録に徹するの」
前半部分での若者からの語りかけ。「私が撃たれて死んだ時にも、あなたは、それを撮る?」
この二つのセリフは記憶しておいて損はないので、まだ観ていない皆様へ。
-----注意 これ以降は内容を書いてますので、また観てからどうぞ。-----
もし内戦になったら、という風景が、ワシントンまでのそこかしこで描かれる。
明るい陽光の中のガソリンスタンド。
裏手には残酷な光景が。
300ドルじゃガソリンを入れるどころか、サンドイッチしか買えない。カナダドルなら(暴落していないから)ガソリンが買える。
PRESE(報道)と車に書いてあるという点だけが、攻撃されないことを期待するわずかな希望。
「写真で警告しているつもりだったのに結果は内戦。国家は崩壊。報道的価値すら見失いそうになる」 主人公の口からつい出る愚痴。
残り800km強。明日からは戦場。
同僚が言う「ひとりで怯えるな」
報道に携わる人たち、つまり相対的には強い人間たちですら、こんな言葉を掛け合う。
残り500km弱。ウエストバージニアに入る。
野営場あるいは難民キャンプ。
農場にいる家族は、内戦は見てみぬふり。
途中の平和な街。
内戦は知ってるけど、関わらないようにしてる。
その街で、ワンピースを試着し、何日も見ていなかった鏡で自分を見る違和感。
残り300km弱
かって小さなエンタメ施設だったような開放的な光景。
暖かな陽光の中で、建物に潜むどこの誰ともわからぬ敵と静かに対峙し続ける兵士。
とある場所
兵士たちによる拘束。会話にならない会話。問答無用に訪れる死。夥しい(おびただしい)数の死体。
こうしたシーンが、静けさの中で、あるいはポップな音楽、フォーク調の音楽が流れる中で。それがかえって、無秩序で明日知れぬ毎日という、ごく緩やかで逃れることのできない不安を我々に与え続ける。なんか、すごい。
西部勢力(WF)軍事基地のシャーロッツハイツ
そして、首都ワシントンD.C.
30分以上続く果てしない銃撃戦
「リー、金になる写真を先に撮るなよ」 と言い捨てて、先を急ぐ同業者たち。そして…
やるな。A24
やるな。「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランド監督・脚本。
主張がないかのように見せかけるこの脚本。ただ、光景を描いてみましたよ、と言うかのようなこの映画は、何を語っているのだろう。
今のように「"分断" を票集めのために助長するかのような態度」を取り続けていたら、こんな風になってしまうかも知れないと想像しなさいよ。想像できないなら、映画にしてあげるから、観なさいね。ということなのだろうか。
俺が感じたこと、友人が感じたことを羅列しておく。いずれにしても、とても静謐な感動。素晴らしい映画だと俺は感じた。
俺が感じたこと
「撮る」
それだけが私にできることだから。報道にできることだから。
思っていたほど、簡単ではなかった。しかし、受け継がれていった。
友人が感じたこと
「当事者」
アメリカ外では災害でも戦争でも悲劇の中で、ただ冷静に撮れていた主人公が、最後は撮れない。全く撮れないという描写。
途中の平和な街も、なかったことにすることで、当事者である現実から逃れたいという思いのあらわれ。
臨場感が半端ない
観るまでSF世界みたいな未来戦争と勘違いしていた。
戦争カメラマンの世界は本当にこんななのだろうか。
臨場感が半端なく、とても恐ろしいのに、それと並行して彼らの心情がオシャレなPVみたいに音楽と映像が流れていくシーンがあって、すごくカッコよかった。
のだけど、なんかやはり場所が場所だし、色んな感情をスイッチを切らずに生きていくことが難しいのだろうな。
後から振り返って号泣するような場面でも、とりあえず先に進まないといけない場所なのだろう。
とても複雑な気持ちだけど、そんなもの吹っ飛ぶくらい怖い場面が続くので、とりあえず始終ドキドキしてた。
何と戦ってるのかよくわからないまま話が進んだけど、最後にとりあえず結果は出たのかなと思う終わりに?なってる??
。。
怖かった。
冗談キツいぜ
あるかもしれない未来
緊張感を持って観るべき作品。音響効果が実にリアル。
A24らしい問題作。こういう設定にリアリティーがあるかどうかはさて置き、展開はスリリングだし音響効果も含めてだが戦闘シーンのリアリティーは凄い。ずっと緊張感を持って観ざるを得ない作品。オチ(というか誰が死ぬか、ということ)はほぼ予想通りで、最後は兵士も戦場カメラマンもアドレナリンが出まくっていて完全に眼がいってしまっていた。元大統領の死体と一緒に笑顔でポーズを取る兵士達の写真を嬉々として撮影する若いカメラマンにも、僕にはついていけない。邦題はアメリカ最後の日となっているがそうはならないだろう、テキサスとカリフォルニアが組めたのは敵の敵は味方という理由だけであり、次の内戦が始まる、そういうことではないか?民主主義のない国の人達、特に指導者達がこういう作品を見るとどういう印象を持つのだろうか?聞いてみたいような気がする。後で調べて分かったことは
1.ニューヨークからワシントンDCてそんなに(=1,400km)離れていたかな?と思ったがピッツバーグとシャーロットビルを経由していくから、やはりアメリカは広い
2.shoot という動詞は"写真を撮る"という意味もあること
3.show me state という表現を初めて知った。
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