みそ文

結婚腹帯

 もう、だいぶん前のことになると思う。一年よりはもっと前、ニ年か三年くらい前だろうか。今の職場の、コンドームと妊娠検査薬を置いている売り場で、若い男性のお客様に声をかけられた。

「あのっ! すいませんっ!」
「はい。なんでしょう。」
「あのっ! 彼女がっ、妊娠したって言うんですけど、ぼくは、何を買ったらいいですか?」

 男性のお客様の年の頃は、二十歳になっているかどうか、少年というには幼さが少なく、青年というにはやや童顔すぎるような、でも、日々お仕事をされているのだろうな、職種は、左官さんか大工さんだろうか、といういでたち。
 お客様にとって、望ましい妊娠としてのご相談なのか、望ましくない妊娠としてのご相談なのか、こういう仕事では両方ともあることなので、どちらだろうかと探りつつ、お話をうかがう。

「妊娠なさったということは、もう検査薬で確認なさったということでしょうか?」
「はいっ! ここにある妊娠検査薬を買って検査したら、妊娠してたって、言ってました。」
「そうですか。では、産婦人科での受診は、もうなさいましたか?」
「え? 病院に行かないといけないんですか?」
「出産予定がいつ頃になりそうか、は、わかっていらっしゃいますか?」
「いいえっ! 検査薬で妊娠がわかっただけなんでっ!」
「そうですか。妊娠なさったのであれば、産婦人科を受診して、お腹の中の赤ちゃんの状態と、お母さんになる妊婦さんの健康状態を検査して確認するんですよ。それから、母子健康手帳、というものを作ってもらって、出産までの健康管理の記録をつけていくことになりますね。出産予定日を知って、いろんな準備やこころづもりもしていきます。」
「そうなんですかっ。じゃあ、彼女には、すぐに、病院に行くように言いますっ!」
「ぜひ、そうなさってください。病院では赤ちゃんの超音波写真などを撮影してもらって見ることができますし。妊娠中の注意事項もいろいろ教えてもらえますから。」
「ええっ! お腹の中の赤ちゃんの写真が見れるんですか? うわあっ! どうしようっ。ぼく、嬉しくて。ぼくは、何をしたらいいんでしょう? 何を買って帰ったらいいですか?」
「お父さんになられるの、たのしみですね。おめでとうございます。」
「はいっ! ありがとうございます! 彼女に病院に行ってもらう以外には、ぼくは……、あ! お酒とか煙草は、やめたほうがいいですよね?」
「お客様もお母さんになられる妊婦さんも、お酒飲んだり、煙草吸ったりなさいますか?」
「はいっ。でも、やめたほうがいいならやめます!」
「妊婦さんには、すぐにやめてもらってくださいね。お客様は、飲みすぎでなければ、おいしくお酒を飲んでくださっても大丈夫ですが、煙草は、煙が妊婦さんの体にかからないように、別の場所で吸って、その後の手洗いやうがいもしてから、妊婦さんと一緒に過ごすようにしてくださると、なお安心ですかね。」
「そうなんですか! だったら、やっぱり、やめます! お金も貯めないといけないし! 僕ら、まだ結婚してないんです!」
「そうですか。じゃあ、結婚の申し込みも、これからなんですか?」
「はいっ! 彼女はOKしてくれると思うんですが、彼女のお父さんとお母さんに挨拶するのが、めっちゃ緊張します!」
「それは、どきどき、ですね。でも、がんばってくださいね。では、ご結婚もおめでとうございます、ですね。」
「ありがとうございますっ! あの! ベビーフードとか、買ったらいいんでしょうか?」
「いえいえ。お客様。それはまだまだ先のことです。まずは、妊婦さんの健康状態を病院で確認してもらってください。その結果によって、必要なものがわかりますから。もしも少し貧血気味だったりするようであれば、そのときには、鉄を補うサプリメントも、妊婦さん用のがありますから、必要なときにはご利用ください。」
「それは、どこですか?」
「はい。ベビーコーナーになりますので、ご案内いたしますね。」

 そうか、そうか。赤ちゃんを歓迎する気満々の態勢なのか。だから、嬉しくて、こんなに勢いよくお話なさるのか。と、少しばかり安堵しつつ、微笑ましい気持ちになりつつ、ベビーコーナーへと移動する。

「こちらが、妊婦さん用の健康食品です。あとは、そうですね、妊娠が進むと、妊娠線という線が体に出てくることがあるんですが、その予防に使うのが、こちらのクリームなどになりますね。でも、今はまだ、何が必要かわからない状態ですから、まずは、産婦人科で健診を受けて、それから、また、ご本人様とも相談なさって、それからご一緒に、こちらのコーナーを見に来てくださるとよいかと思います。」
「わあっ! いろいろ、あるんですね。赤ちゃんのミルクやベビーフードは、こっち側なんですね。あっ! あっちにオムツもある! うわー! どうしよう! ぼく、どれを買っていったらいいですか?」
「いえいえ、お客様。落ち着いてください。赤ちゃんのものは、赤ちゃんが生まれてからで大丈夫ですよ。」
「でもっ! ぼく、嬉しくて。何か彼女に買って帰りたいんです。赤ちゃんが生まれるまでに、必要なものって、ないんですか?」
「そうですねえ。もう少しお腹の赤ちゃんが大きくなって、妊婦さんのお腹も大きくなってきたときに、腹帯(はらおび)、という、お腹を保護するものを使う必要があれば使うでしょうか。」
「それはっ、どれですかっ?」
「はい。こちらに。昔ながらの、ぐるぐるっと巻きつけるのもありますが、最近は、マジックテープで簡単に着けたり外したりできるものもあります。こちらのタイプですと、MサイズとLサイズからお選びいただけます。けれど、それもまだ、もう少し先のことですから、妊婦さんご本人様と相談なさってからでよろしいかと思いますよ。」
「いいえっ! ぼく、これ、買います。彼女は、細い娘なんで、Mサイズでいいと思います! これ、買って帰って、結婚しよう、って言います! それから、病院、産婦人科ですよね、に行こうって話します!」
「そうですか。ありがとうございます。いろいろ頑張ってくださいね。では、レジにてお会計をお願いいたします。」
「はいっ! ぼく、よくわからなくて、また妊娠検査薬買ったほうがいいのかと思ってたんで。ありがとうございました!」

 あのとき、お腹の中にいた赤ちゃんは、もう歩いて食べて飲んで、元気に喋って笑っているだろうか。お母さんは、「あんたがお腹にできたとき、お父さんは大喜びで、なぜか腹帯買って来て、結婚しよう、って言ったのよ。プロポーズは腹帯ちゃうやろ、指輪やろ、って、言いたかったわ。」と笑いながら、話していらっしゃるのだろうか。

 あっ。もしかして。数年前のあのとき、私は、「お客様。プロポーズなさるのであれば、腹帯よりも、指輪か何か、花嫁さんがほしいと思われるものをプレゼントなさったほうがよくないですか?」と接客したほうがよかったのかな。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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