四層(五階)以上が微妙に傾いているそうです。
古写真でわかる通り、明治期に松本城大天守は傾斜がひどくなり倒壊の危険性が誰の目にも明らかな位になり、民間資金で城の払下げを受けた上で明治36年(1906)~大正2年(1913)に「明治の大修理」を実施し、傾斜を直しています。この時は柱を曳き方の技術で引っぱったそうで、大天守五階階段脇の柱には、この時に引き綱が喰い込んだ痕が残っています。
ただ、その後も再度傾斜が始まり、昭和25年(1950)~昭和30年(1955)に行われた「昭和大修理=解体修理」の段階では大天守は南西に1°の傾斜が測定されたそうです。この時の調査では16本の地下支持杭の腐食があり、その内の一本の腐食がひどく原因となっていたので、昭和27年(1952)に栂材の地下支持杭を鉄筋コンクリート枠組の基礎に交換していますが、重要な枢材は従来のものをそのまま使用していったので、応力も残留していて、明治期に一番傾斜がひどかった四層部分から微妙に傾いたそうですが、一定量まで傾斜するとピタリ進行が止まり今日に至っているそうです。傾斜量は人間が感じたり倒壊に結びつくような量ではなく、また補助材で強度が保たれている量だそうです。もちろん管理の方で定期的に傾斜量も測定しているそうです。
【蛇足】建物は色々な要素で一時的な傾斜を起します。松本城では屋根の積雪の有無も関係します。
面白い例では東京タワーの地上250mの特別展望台ですが、ここで観客(20人程度)が一定方向の寄り集まる(初日の出など)と床の上のボールが転がる位の傾斜が起きます。そういう時には職員の方が反対側に移動(笑)しているそうです。