Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

自殺した父について今、僕が思うこと

 

 北鎌倉にあるお寺へ墓参りに行った。妻と母と一緒に。父が死んで二十年。前日の台風が残していった風にあおられて線香に火をつけるのに苦戦しながら、この煙で燻され、ゾンビ化した父が墓から這い出てきたら…というどうでもいいことに想像力を浪費していると、家族連れだろうか、イーチ、ニー、サーンとどこからか子供たちの声。その声は僕に父との風呂を思い出させた。


 父は僕と弟を湯船につからせるとゆっくり百まで数えさせた。父の風呂は本当に、本当にあつかった。僕らは大人の熱さに、数えるのを速めたり、数字を飛ばしたり、胸までお湯から出したりして対抗した。そのあとには恐怖の「10やりなおし」がいつも飛んできて、僕らが湯船から出るときには百をゆうに越える数を数えさせられていてゆでダコのように赤くなっていた。二匹のゆでダコの指先はふやけてしまっていて僕ははやく大人になって一人で風呂にはいる権利がほしいとそのふにゃふにゃの指先に誓ったものだ。


 子供たちに湯船で数えさせているあいだ父は薄くなりはじめていた頭や太い腕を洗いながら話をしてくれた。本当にいろいろな話をした。絵の描き方。くだらないオヤジギャグ。志村がいなかったときのドリフターズのこと。田舎のこと。航空母艦の離発着のメカニズム。父の提案で犬の名前を採決で決めたのも風呂だった。「タローとレオ。どっちがいい?」「レオー!」「レオ!」「じゃあタローにしよう」「えぇ〜!」


 いろいろな話はしてくれたけれど祖父の話が父の口から出ることはなかった。祖父は、僕の弟が生まれてすぐに亡くなった。父が祖父に生まれたての弟を連れて帰省した春、新しい家族に魚を食べさせようとして川に向かった祖父は流されてしまった。僕には父方の祖父の記憶がない。父が祖父について語るのも聞いたことがない。もしかしたら父は自分を責任を感じていたのかもしれない。僕が大きくなるにつれ、父との会話はなくなっていった。


 父が書斎で命を絶ったとき、僕は部屋でファミコンをしていた。他の家族は外出していた。マヌケの僕は異変に気付くのが遅れた。最初に疑問。「どうして」「なぜ」。疑問のあとには後悔がやってきた。「なんであのとき」「畜生」。わかるわけがなかった。気付くはずもなかった。<あの>風呂はもうなかった。会話も少なくなっていた。タイミングを見計らって父は遂行したのだから。父が死んで何年かは、今も稀にあるが、父を思い出すのが苦痛だった。悲しみと悔しさはいつしか父への怒りになっていった。母を残して。家族を悲しませて。無責任。ふざけるな馬鹿。


 時間は薬だ。その後いろいろあったけれど、そのいろいろはまだ話ができるまで消化しきれていないけれど、今の僕は父の自殺そのものは消化できている。自殺を許さない宗教があるらしいが、僕が、父を許す。弟が結婚して甥が生まれ甥が生まれ女の子が欲しいねと仕込んだらまた甥が生まれ僕もこの夏に結婚した。家族は新しくなっていく。悪いけれどいつまでもそこにはいられないんだ父さん。


 お墓を掃除しながら母は笑う。妻もつられて笑う。「お父さんもアホなことしなければ孫に囲まれて楽しいことあったのに。お年玉をあたし一人に押し付けて…もう…本当に馬鹿!」最近の我が家では父は馬鹿キャラだ。もちろん感謝の上で。僕は思うのだ。あのコワモテの父さんに馬鹿キャラクターとか弱虫設定を与えて物語にすることは有効なんじゃないかと。人間にあって動物にはない強さ。それは知能指数とか二足歩行とかではなく、案外、物語をつくることなんじゃないかと。


 物語のなかでなら孫のお年玉を工面する父の、やってこなかった未来も創り語れる。物語のなかでなら、悲しかった過去を現在から癒し悲しみや辛さを和らげることだってできる。そして。前を向ける。進める。僕にもまた新しい家族が増えた。父がうらやましがるくらいに僕は人生を楽しむつもりだ。うらやましいだろ、父さん、一度ならゾンビになって出てきても許すよ。


 会社勤めではない父は孤独だったのかもしれない。物語には語り手と聞き手が必要だ。父には聞き手がいなかったのかもしれない。物語にして乗り越えることができなかったのかもしれない。もしかしたら祖父の死を乗り越えられなかったのかもしれない。それは父の責任であり、僕ら家族の責任でもある。父の死の直後は逃げようとしたその責任から僕はもう逃げない。


 将来、僕に子供が出来たら父みたいにお風呂でいろいろ話をしようと思う。父は祖父のことを語らなかったけれど僕は父のことをたくさん聞かせてあげようと思う。父との思い出や父の優しさや面白さ、そして弱さも。全部紡ぐ。物語にして。乗り越える。そして。家族を自殺で喪う悲しみと苦しさを伝えたい。地球上からこんなものはなくしてしまいたい。これは僕に与えられた責任。僕の仕事。父の自殺は人とは違う経験を僕に与え、僕を考えさせ、確かに僕の心を逞しくした。僕を成長させてくれた父には感謝している。でもこれは本来の正規のルートじゃない。人は正規のルートを辿って行くべきだ。もう僕らの家族のコピーはいらない。


 ベイビー、自意識過剰で理屈っぽくて話したがりの僕の、パパの話は長くなる。君がゆでダコのように赤くなって君の指がふやけてしまうまで語り続けるつもりだから精巣のなかで泳いでいるうちから覚悟しておけよベイビー。前言撤回。現世をうらやましがった父が心と魂を引き換えにゾンビとなって我が家を襲撃してきたら金属バットのフルスイングで応戦する。僕にはもう守るべき家族がいるから。父さんの残してくれた大切な家族が。


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