大地震後の或る朝、我が社を取り巻く交通機関は大混乱に陥っていた。災害対策営業会議が開かれる予定だったが、会議どころの状況ではなかったので僕は部長に電話した。「停電だろうが電車が止まろうが核戦争だろうが営業会議は絶対だ…防災マニュアルの作成は急がなければならない…会議に遅れた奴は査定に響く…会議の中止を提案する馬鹿はいないと思うが…」と部長はいった。苛立っていた。
会議開始予定時刻。会議室には部長の姿だけがなかった。ボロボロになって出社してきた営業部員には疲労の色がみえた。部長の仕打ちに恐怖し、ある男はやって来ないバスを見捨て15年ぶりに自転車を操縦し会議に臨んでいた。またある男は動かない電車をうち捨て痛風シックで傷んだ両足で無理矢理疾駆して会議に臨んでいた。すべて無駄であった。「事態に臨機応変に対応しなければ…」と会議の無期延期を告げる部長からの電話が入ったのは会議開始予定時刻10分後であった。男たちは、天は我を見放した!北大路欣也のような顔をして天を仰いだ。
「ふっ…仕事ができる男はこんな事態にも対応できる…」。電話の部長が不敵に笑った。電話部長曰く、防災マニュアルの原案はB5用紙にまとめてデスクにおいてある、それをもとに議論すれば馬鹿な猿でも自然と何処に出しても恥ずかしくないマニュアルが出来上がる寸法。あとは頼む。そう告げると、おおおっという奇声を挙げて部長の電話は事切れた。
部長のつくりあげた防災マニュアルの原案をみて、その意味のわからなさに僕らは愕然とした。
序文として「自然界の一員」と壮大なスケールでうたってあり、 その後「必要以上に自然破壊をし、便利さ追求で構築・創造したものは必要量に調整されるのかなあ」と続く。「かなあ」とぼやき調子なのが不安を煽る。
以下全文である。(太字は突っ込み 赤字は解釈困難)
「計画停電で暗くなり、p/c使用できず、電車も止まり、暖房も麻薬ストップ、間引き運転、、電車内の暖房のオフ、万引きの横行、治安の悪化、睡眠が少なくなり、ガソリンも少なくなり、食料も少なくなり間食は絶滅する不安、暗くなると眠気誘発」
※現状を嘆いている。嘆いているだけともいえる。つづいて暗闇のなかで一縷の光を見い出すようにアッパーなテキスト。
「人間観察(良いときではなく悪いときに人間性はでるもの)、自然の元の原風景(木漏れ日のなかのハンモック睡眠、波長出る)自分らしさを見失わない(無理しない) ア)じゅうぶんな昼寝 イ) ゥ)
正しい情報と睡眠が安心感を生む(精神的パニックを減少させる今後の予想ができる事で)困難の時代を乗り切る知恵へと続く
「このときこそ 心と肩の力を抜く → 肩上げ下ろし 全部のつめ挟む 首を右・左回す」
「全部のつめ挟む」の意味は知りたくない。
「平寛(体も心も…肩の力を抜く)、明るく希望の歌、明るい話題つくり→お笑い、赤ちゃん誕生、未来、希望あることの実施(ロト6)、冷静に仁ある行動(思いやりのある行動)平寛、風林火山、人の批判より相互の助け合いの心、集中と選択、有って当たり前の考えからあることへの感謝の気持ち感激の気持ちで無い状況を(姿を)感じることである状況における自信の甘い考えを改める機会、平寛、有り難い、お蔭様、忘己利他、人を批判、恨む、憎む事により幸せになった人いない(殴って解決)睡眠不足の恐怖」
「バランスを大事に 自然体 昼寝30分や熟睡環境をつくり身体の疲労をとる、ストレスをためない、除去勢力(趣味、映画、映画鑑賞、絵、似顔絵、カラオケ、競馬、自分史、書く、歩く、水泳、GYM、何回か美味しい食事、球技、デート」全体的に睡眠が多い。
「実施事項は役割分担し、納期キメ、すばやく、童心で。一人ませると(大人)時間掛かる 事項に対しては人員かけ実施し確認、時間置いて復讐、カタチづくる」
以後非常と非情を間違えた文章がはじまる
「非情用具を身近に(いざというときの刃物も)非情連絡網の確認集合場所
(ラジオ 懐中電灯 乾電池 カイロ 位牌 数珠 靴下 靴 ズック ソックス ヘルメット 携帯 充電器 歯磨きセット ティッシュペイパー 常備薬 紐つき笛 年金手帳 マスク10枚 メガネ近視 老眼 金銭 札 カード 免許 髭剃り シェーバー 合鍵mybotl 耐熱性ペットボトルズ サプリメント ガムと飴(心落ち着く) 枕」
なんだこれは…。部長こんなものを…。会議室は混乱した。これをベースになにをつくれというんだ?これを無視すると厄介なことになるのは明白…、またも男たちは北大路欣也のような顔をして天を仰いでいた。部長の原案は最終章「不安5要素」へ。
「不安5要素 1.仕事 2.通勤 3.自宅」「早めに出勤 徒労(電車のなかでの時間の使い方…睡眠 静寂した外観を眺める 新聞雑誌タブロイドを読むことによる情報収集)→体と心を休める時間 余震で熟睡できぬ 倒壊の不安 24時間風呂はとめるべきか」
以上。とりあえずポイントを箇条書きで書き留めたがとてもとても防災マニュアルを仕立てられそうにはなかった。また怒号かなあ、と部長の序文のように途方に暮れていると気になることが。不安5要素なのに4と5の項目が抜けていた。どうする?あとで面倒ですからねえ、絶対、書いてあると言い張りますよ、と悲観的観測から部長にきいておこうということになり僕がテル。「ふわああん」非常に非情に緊張感のある寝起きな様子で電話に出た部長に「部長の原案、不安5要素が3までしかないのですが…」訊いた10秒後に僕は後悔した。「お前ら…本当にわからないのか…仕事が出来ない部下をもつと…ふっ…出来ねえ部下がブカブカ浮いているなあ、おい」と苦笑したあとで部長はこう言い放ったのだ。「四の五の言わず言わずやりゃあいいってことだあ!!」
明日の午後までに防災マニュアルをつくらないといけない。解釈ヘルプ!胃が痛い。