ただ、日本を取り巻く状況はそのような幻想を抱いていられるようにはなっていない。
たとえば尖閣諸島をめぐる中国との紛争にしても、竹島をめぐる韓国との紛争にしても、北方領土をめぐるロシアとの紛争にしてもいずれも相手国との主張の違いは埋まらず、中国は場合によっては軍艦の派遣もありうると軍関係者が明言したり、韓国に至っては終戦直後「平和線」と称し、武力をこうしして竹島近海を一方的に領海とし、日本人を約4000人を死傷・拉致した。北方領土に至っては言わずもがな、旧ソ連によって武力制圧された。その間に旧ソ連兵によって殺害された日本人は多数である。
世界は覇権をめぐって、武力闘争を放棄していない。そのいい例が現在起きている南オセチア紛争である。表面上はグルジアとロシア間の武力紛争であるが、その背景には米露の対立があり、米露の代理戦争の様相を呈している。
そのような世界の現実を前に、日本はこの63年間何を学んだのだろう?日本はアメリカに安全保障を依存することで、世界の武力紛争と距離を置くことができた。しかし先の敗戦により、武力に頼ることを放棄した日本の惨状が韓国との紛争に表れている。武力は用いるのがきわめて難しい。そのことを先の敗戦から学び、いかに武力行使するかを日本は学ぶべきだったのではないか?
せみ時雨の夏の一日、そのように思いを巡らす日としたいと思う。
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