視点・論点「まん延する感感俺俺詐欺」

児童、青少年の間で「うつ病」が蔓延 - 米国 AFP BB News - BETA -
これはアメリカの話だが、アメリカの話ということは政治経済のアメリカ化に日進月歩でまい進する日本のことでもある。


この手の話で重要なのは、「まん延」しているといわれるのはいったい「何のため」なのか、もっと言えば「まん延していることで利益を得るのはいったい誰なのか」ということである。


文中にもあるように、抗うつ剤を服用することで逆に自殺リスクが高まるという副作用もすでに報告されている。
にもかかわらず、「うつ病がまん延」という事態において「必要」とされるものとは、やはり抗う剤に代表される、向精神薬なのである。


「あなたはうつ病です。だからこの薬を飲みましょう。必ず治ります。しっかり飲み続けてください。」という文句と、
お前のいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。」という文句は、いったいどこが違うのだろうか。


さらにその精神疾患を規定する、精神分析医学にもまた大いに疑問が涌く。
なにしろ、その分析の前提となる態度とは、「すべての人間精神は精神疾患である」というなんとも相対主義的で、いうなれば中心・中核を持たない実にポストモダン的なスタンスで、極論すればもうそれ自体がまさに分裂病的な理論なのである。




精神分析医学を基盤にした極めて主観的かつ独断的な金科玉条を振りかざす製薬業界のビジネスモデルというのは、いわば「感感俺俺詐欺」ではないのか。




考えてみれば、「精神疾患」と呼ばれるものは、精神分析医学以外の視点、例えば発達医学や、行動分析学や、現象学や、教育学、はたまた社会学などから、その原因を分析し解決することも可能なものではないのか。
しかし、精神分析医学以外の学説に基づいていては、製薬業界が21世紀の主力商品である向精神薬が販売できない。
そのために、そうこのドル箱を維持するために、巨大資本を背景にしたマスコミでの「感感俺俺詐欺」行為が絶え間なく繰り替えされているのではないのか。


例えば、「うつ病」の「原因」として考えられるものは、


・政治的な人間関係によって成果が判断される「成果主義」であり、
成果主義の名の下に無制限なただ働きを強制される「サービス残業」であり、
・そのただ働きを法律でより強固に制度化しようという「ホワイトカラー・エグゼプション」であり、
・国家全体の経済成長率を引き上げるために企業利益が経営者層にのみ還元され雇用者には分配されないという「低賃金」であり、
・その企業利益を増加させるためにまともな雇用環境を労働者に与えないという「雇用の不安定化」であり、
・老人の雇用を維持するために十数年にわたって制限され続けている「若年者差別」であり、
・財政健全化を理由に増税される低所得者層に対する逆進課税制度である「消費税」……などである。


もちろんこのほかにも、考えられる要因はいくつもある。


だが、「うつ病向精神薬での治療」というのは、これらすべての問題を「個人の精神疾患である」と断定し「自己責任」へと矮小化する、極めて政治的な「政府に優しい」支配の道具として機能している。


いわゆる「心理学化する社会」という、社会にまん延する「心理主義化」の弊害、その「結晶」こそが向精神薬であることは疑いようの無い事実である。






さらにこの問題は、これだけに限った話ではない。


向精神薬と同根、同形の問題のひとつが、「愛国心」である。
「まん延する愛国心の欠如」と言い、またよりわかりやすく「まん延する個人主義」と言い、あるいはよりグロテスクに「まん延する非国民」とでも言えばおわかりか。


まるで「愛国心」さえ「再生」すれば、すべての問題が「美しく」解決するといわんばかりの空疎な床屋談義が、まともな「議論」の体裁で日々行われていることは、今が狂気の時代であることを否定できない確かな理由のひとつである。


教育基本法を改悪し、「愛国心」というバーチャルリアリティを植えつけようという一方で、「アニメやゲーム、インターネットはバーチャルリアリティだから法律で厳しく罰するべきだ」という、明らかにあからさまな矛盾を断固として打ち出すその様は、まるで「二次元は身体にいいが、三次元は身体に悪い」と断言する「ニセ非モテ」にも等しい愚かな態度であることは言うを待たないのだが、それすら指摘されることは少ない。
いや、「少ないことにされてしまっている」のだろうか?


向精神薬にも比して、「愛国心」が問題にするものは実にさまざまである。


だが、もちろん、しかし、である。


・「いじめの問題」は、「愛国心の欠如」が原因ではなく、「狭い空間に数十人の人間を詰め込むこと」や「親世代のしつけの放棄」や「差別を正当化する精神論」や「あって当然と居直り改善を否定する大人の態度」などが複合して起きた問題である。
・「地域の連帯の崩壊」は、「愛国心の欠如」が原因ではなく、「地方から人間を引き剥がすことで成立してきた都市型資本主義の結果」や「商店街から顧客を奪う大型店舗の拡大」や「人口増加に伴う郊外住宅の新開発」などが複合して起きた問題である。
・「道徳の欠如」は、「支配装置としての道徳が民主主義制度化においては必要なかったこと」や「国家=経済という構図の中で合理主義を叫ぶ大人自体に道徳がなかったこと」や「経済成長主義の下であらゆる問題がなかったことにされ続けたこと」などが複合して起きた問題である。
・「少年犯罪の多発」は、「愛国心の欠如」が原因ではなく、「警察の統計のトリック」や「マスコミの視聴率目当ての過剰報道」などが複合して起きた問題である。
・「学級崩壊」は、「愛国心の欠如」が原因ではなく、「不況下で余裕をなくした親世代の無理難題」や「新任教師がいきなり低学年を担当するという異常な教育慣行の結果」や「何らかの発達障害を抱えた児童の増加」などが複合して起きた問題である。
・「女性の権利の拡大」は、「民主主義制度下において当然の権利の主張」や「経済成長という目標達成に労働力として必要とされたこと」や「よき消費者として市場自体が必要としたこと」などが複合して起きたものである。


馬鹿の一つ覚えのように「愛国心愛国心」とその「愛国心」の中身についてまともな合意形成すらしないまま、異口同音に同音異義語を口ずさんで一知半解して付和雷同するなど、とてもまともな大人のすることだとは思えない。


日勤教育が必要なのは、むしろこういう大人たちの方ではないのだろうか。


さらに言えば、老人が若年者を否定すると言うのなら、その否定対象である若年者そのものが減少する少子化とは、老人にとってむしろ望むべき事態なのではないのだろうか。






そう、失われたものは記憶の中で永遠に「美しく」「再生」されるのだから。


にもかかわらず「愛国心」の必要性だけが唱えられる現状もまた、まったく同じく、まさに「お前のいま感じている感情は愛国心の欠如だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。」という、「感感俺俺詐欺」である。


中身も結末すらも定かではないバーチャルリアリティを強制され、その先にどんな失敗があろうとも、そのときにはまた別のバーチャルリアリティが用意される。


こんなものを、デタラメや誤魔化しやインチキや不正という名で呼んで終わらせていいものか。






これはれっきとした「詐欺」である。





<<<まとめ>>>
感感俺俺詐欺
かんかんおれおれさぎ


反証不能トートロジー的論理に基づいた、自作自演、マッチポンプ的犯罪。


ある問題について、他の一切の要因を恣意的に無視した上で自分の利益に引きつけて原因を断定し、これだけが唯一の解決策であるとして利己的な主観的主張を押し付けること。


お前のいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。」という名セリフを地でいく非論理性から、名づけられた。