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とちぎに行ってきました。toRubyのみなさま、artonさん、どうもありがとうございました。

小飼弾氏の『Rubyクックブック』評に反応する

※あらかじめ断っておくが、この件に関して私はまったくもって中立でも無私でもない。さらに、出版社の事情・思惑などもよく知らない。限定された情報のみを元にした、利害関係のある、偏った立場の者の意見としてお読みいただきたい。

わかっている わかっている わかり過ぎる程わかっている
でも今日も 日々に追われ だから人間っていとおしいもの

     ――篠原美也子『誰の様でもなく』より
       http://www.room493.com/discography/tsuki.html#10


別に私が「日本のRubyコミュニティ」を代表しているわけではないのだが、とある日本のRubyコミュニティを代表する立場でもあり、また当該書籍にはいくばくか関与していたりもする。そのような背景を踏まえつつ、日本のRubyコミュニティに属する一個人として、応答したい。


まず、一点、同意する。

そもそも上記の表がWebにしか載っていないのは、お金を出して本書を購入した読者に対して失礼だ。


礼を失っている、とまで言えるかはわからないが、確かにこの表は掲載されるべきだったと思う。私自身は後述の事情より、本書を献本されてもいるのだが、その前に一部自費で購入していたりもする。「お金を出して本書を購入した読者」として、残念だったと記しておく。

しかし、上記の一文を除き、小飼氏の『Rubyクックブック』評には異論がある。

むしろ他の言語の中級者以上の人が、「ではFooではどうか」というのを確認する需要の方がずっとある。中華料理の達人にして和食の初心者が読んで納得するのが、Cookbookのはずだ。


その需要自体は否定しない。しかし、『Rubyクックブック』が供給しようとした、供給するべきだったものは、果たしてそのような需要を満たすものではなかったのではないか。なぜか。まさにそのような需要のための、先行する一冊の書籍があったためである。


Rubyレシピブック 第2版 268の技

Rubyレシピブック 第2版 268の技


DCONWAY級、Dave Thomas級の人間を「日本のRubyコミュニティ」で探してみたとしよう。もちろんまつもと ゆきひろ氏が筆頭に上がる。もっとも、まつもとさん自らの執筆というのは、いろいろな意味で無理がある。監修にまわっていただくのが賢明だろう。
では、執筆者はどうするか。青木峰郎氏、後藤裕蔵氏などは適切だろう。それに加えて、うささん、なひさん、わたなべさん、やまだあきらさん、ごとけんさん、西山さんといった方々の協力も得られれば万全である。国内はもとより、海外でも十分通用するのではないか。

……そんな本が、すでに日本では出版されており、改訂版まで出ているのである。ついでに私が主として手がけたまえがきやら部扉の引用などもついているが、それはここではどうでもよい(や、本文もちょっとは書いたんすよ……)。

要するに、『Ruby Cookbook』の少なくとも一部は、日本においては「今さら感」のあふれる、二番手の書物になってしまっているのである。オライリーのおなじみの表紙も、ことRuby界隈においては何の威光もない。むしろ、すでに過当競争が起きているRubyの出版状況の中では、新参者の印にしか見えないかもしれない(『Rubyデスクトップリファレンス』はすでに入手困難となっている)。

では、『Ruby Cookbook』は訳出する意味のない本だったのだろうか。否。違う。

『レシピブック』には根本的な限界がある。応用的なクラスなどをスコープ外としているのだ。それは様々な制約のもと、意図的になされた選択の結果である。そのせいで『レシピブック』は息の長い本になったとも言えるのだが、それだけでは満足できないという要望が一定以上あることは事実だろう。そして、『Ruby Cookbook』には、それに応える内容が記載されていた。

『Rubyクックブック』編集担当者は迷ったのだろう。実際、本書の訳出に先立ち、私は担当の方から連絡をいただいている。『Ruby Cookbook』を翻訳するべきかどうかの判断のため、この本について評価してくれないか(意訳)、と。

その際のメールのやりとりの中で、私は次のように書いている。

やっぱり二分冊がいいかなあ、と思います。

もちろん全章を訳出することを期待した上で、書いた。英語でなら全て読めたとしても、やはり日本語で読みたいのは日本語話者としては自然な思いである。もし、いったん抄訳が出てしまえば、全訳版が出版される可能性は、ほぼ、ない。それは惜しい。

しかし、それを無理強いしたくはなかった。少なくとも2000年ごろから日本でRubyの出版状況を見てきた者にとっては、年々出版されるRuby関連書籍が減っていき、書店の棚から在庫が消えていくのを眺めていた者にとっては、良い本だから全章訳出しなければいけない、などということは言えない。思っていたとしても、強く言う気にはなれない。

いずれにしても、他の方からの助言も参考にしつつ、熟慮の末、決められたのが現行の形なのだと思う。すなわち、先行書籍などとの共存を図るべく、『レシピブック』などとかぶるような部分については基本であっても大胆に削り、むしろ『レシピブック』では触れられていない、応用的なライブラリの使い方に重きを置く、というものだ。これであれば、『レシピブック』を持っている者でもさらに購入することも期待できる。『Ruby Cookbook』の長所も生かされる。そのような意味では、たとえベストではなかったのかもしれないが、納得のいく着地点ではあったのではないかと思う。

もうこの時点で、本書は終わっている。


そうではない。「この時点」は本書の出版においては「終わり」ではない。むしろ「始まり」であったはずだ。……全訳は困難であり、さりとて応用的なところを削ってしまえば先行書籍とかぶってしまう。であれば、基本的なところも落とすことも視野に入れなければならないのではないか? ――本書の出版は、まさにこのような逡巡から始まったのだと想像する。

「この時点」から始め、このような形での書籍を世に出すまでに尽力いただいた担当編集者の方と、関わった方々には心から労いと感謝の言葉を捧げたい。私たちが扱うことのできなかった分野について、それを日本語の書籍として刊行していただけたことは、日本のRubyistにとって、非常に有益なことであると思います。ありがとうございました。