産業界からの俗流ゆとり批判について

本日も釣り記事のオンパレードで少々腹立たしいのだが、一個だけ書いておこうと思った。

三角錐の体積が計算できない技術系新入社員---深刻な若手の学力低下 - 日経ものづくり - Tech-On!

絶句した。ある大手メーカーに人材育成に関して取材していた時のことだ(本誌2009年5月号特集「今なら間に合う人づくり」。)。最近の技術系新入社員の基礎学力の低下に関する話題の中で,「半数が三角錐の体積を計算できない」と聞いたからである。それだけではない。家庭の商用電源のおおよその電圧を尋ねる問題が解けない技術系新入社員も十数%いたという。驚くのはまだ早い。この電圧の問題はいわゆる「サービス問題」で,「○mV」や「△万V」といった選択肢が用意されている問題だったのである。いや,驚くのはまだまだ早い。この大手メーカーは,大学院修士課程修了者(修士卒)が技術系新入社員の8割を占める人気企業だったからである。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20090529/171002/

こちらが絶句である。この結果についてはいくつか考えようがあるだろうね。絶対的な学習時間による「平均的な学力低下」についてはあまり違和感はない。ただ問題は次の個所。

若手社員の学力について考えるとき,気をつけねばならないのは,単に感覚的に「最近の若手はダメだ」と決めつけてかかることだ。取材において,我々はこの点に注意した。定量的な根拠を示したかったからだ。調べていくと,技術系新入社員の学力を数年にわたって定量化し,把握している企業が複数あった。毎年同じ問題でテストを実施し,その点数の推移を調べていたのだ。結果は,見事に,いや,残念ながら右下がり。学力低下は高校生以下にも見られ,ある予備校では過去10年同じ学力テストを生徒に行わせてデータを取ったところ,平均点が毎年1点下がり,10年で10点下がったという。

いやいやいやいやいや、この時点ですでに統計的にバイアスがかかりすぎてる。技術系新入社員の学力を数年にわたって定量化し把握しようとしている企業というフィルタリングは結構大きい。予備校のテストにしても、大学進学の倍率自体が減っていることや少子化による受験者数の減少も考えられる。可能性の問題だが、予備校でのテストの対象が浪人生であった場合、大学が定員枠を減らさず上から順当に合格者を出していった場合、浪人するのはかなりフィルタリングされた成績下位層の生徒たちとなるのではないか。
 どちらにしろペーパーテストの点数はペーパーテストをどれだけこなしたか(熟練度)と相関があるという結果が出ているのであり、絶対的な学習時間が減ると点数が減るのは当たり前。それより点数の減少と人間性を結びつける記事の書き方が問題である。

読み手に何を共感させたいのか

この記事の問題点は構造である。

一行目の「絶句した」→「若手技術者の名誉のために断っておくが,今でも優秀な人はたくさんいる。」というフォロー→「ゆとり教育」への責任転嫁→「企業としては,自助努力しか方法はないのだ。」という企業は被害者という立場→ 中堅以上の社員なら,このベテランの「腹立たしい思い」に共感できるのではないか。だが,そこは「仕方がない」と“前向き”にとらえよう。その思いはきっと将来,報われる。自助努力による人材教育の強化を図らなければ,日本の製造業に明るい未来はないというのが,特集を書き終えた後の個人的な感想だ。 と、逆ハンバーガー理論でネガ→ポジ→ネガ→共感という構造でかなりネガティブキャンペーン的手法である。
 若者の特性についても「待ち」の姿勢で云々と書いているが、それは企業と若者の"関係性"の問題であり、特性の問題ではない。それだけ後輩たちを(知識だけでなく態度も)教育できない上司が増えた、もしくは教育技術が伝承されていないと言ったほうが確かだろう。
 すべてを教育のせいにするという構造が個人的にはかなり腹立たしいのだがそれ以前にいくつか考えるべきことがある。

技術系教育の構造と配分

 技術系の教育は主要なものとして中学校技術・家庭、高校では工業科および工業高校、高専、そして大学の工学部および隣接学部がある。
 高専の学生が工学部の学生より優秀で使えるという話はこちらの世界では有名で、というのも普通高校から工学部へ進学しても、普通高校での教育内容は"いかに意味のないシグナルを処理できるか"という「基礎的認知能力」に対応した教育であり、また物理や化学の成績に優れていたとしても、それは科学的理解にしか反映されず、技術的理解には到達しない。簡単な言い方をすると「わかるけどつくれない」若者ばかりができる構造になっているのだ。高専は実践的なモノづくりと知識をスパイラルに高める環境であること、最近は知られていないが進級基準が厳しくなりつつあり確実な定着度が保証されていることなどがあげられる*1

15年前はそれでよかった。

理由は二つ。学校では基礎的認知能力しか求められず、同時に消費者は専門的な知識がないほうがモノが売れるのであるから。

順調な雇用機会の拡大と新規産業部門・業種の成長は、結果的に、特定の具体的な職業的技能や知識が学校教育に要求される度合いを少なくした。急速な技術革新に対応したOJTや、ジョブ・ローテーション、集団的な労働など、日本の雇用システムは、労働者の一般的な基礎的認知能力を活用する方向で組織化された。その意味で、学校は、基礎的認知能力の形成や集団生活の規律の習得など、実際には経済システムと密接な関連のある教育活動を行ってきた。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000270079/buildinordebu-22/ref=nosim/

と指摘するように、従来は企業での教育が前提であった。
 ここ数年の技術の物理的飽和、イノベーションの停滞から基礎的認知によるシグナル処理だけでなく、創造性とかなんとか言いだしたのは企業側であり、その不足分を学校側に求め、足りなければ責任を学校に求めるというのは教育側からするとナンセンスである。その上学校で教育がなされていないという論拠は個別の事例に基づいていることが非常に腹立たしい。

 そして中学校/義務教育段階で技術的素養を求める技術・家庭は「ゆとり教育」が実施される平成10年以前から授業時間の合計が315時間(昭和44年:週1.5時間)、245時間(昭和52年:週1時間)、平成10年には175時間程度と減少しており、実質週0.5時間程度である。
http://www.nier.go.jp/kiso/kyouka/PDF/report_06.pdf

技術教育が3年しかないのは日本だけ。環境をよくするために「車に乗るな」ではなく「環境にいい車に乗る」と教えることが本当に妥当か。結局企業の利益になるだけ。都合のいい教育だし、技術の先生以外が伝えることができるとは思えない。

自虐的技術観・環境観の話 - 技術教師ブログ

と、この時も書いたが、たとえば「本当に環境にいい教育」をしてもらっては企業としては都合が悪い。「環境にいい車」を買うより「環境のために車を創らず公共機関を利用する」方がよっぽど環境にいい。消費者教育など妥当なところで終わらせてギャンブルのようにお金を借りる人を増やしたほうが金融市場はもうかるのだ。
 そうでなければ少しでも使命感と教養のある人は「学校で技術教育をもっと推進すべきだ」と声を張るはずだし、実際はその教育を行うための技術教員が育っていないという側面もある。また実際は5割が臨時免許や他教科兼任などで対応した非免許教員であったりするのだ。

 そうして構造的には消費や生産について十分に知識を持っていない(そして指導要領による活動偏重の)教育を受けてきた一般消費者と、その中で円があり工学部など生産に携わる部門に向かうある意味生産エリートができる構造なのである。また高専卒などは設計・生産の計画でなく、工場での加工などの専門職として雇われることが多く、低賃金で高技能な労働力となっている現状がある。

 そういった背景を抑えた上での指摘であるなら一向に構わないが、ただの俗流若者論に産業的な視点を加えただけの記事であれば、共感したところで学生に求めるものと学生のストレスが増えるだけ。教育業界はその責任を背負わされさらに鬱病率が増加し、質の高い教員が減る。
 就職活動を困難にし、やりがいによる搾取を行い、ニートを増加させ、結果的に健康的被害や経済的貧困を招く要因にもなると考えている。最近の若者が精神的に弱いのではない、最近の年長者たちが求めるものが多すぎるのだ。これは若者と年長者の関係性の問題だけでなく社会的需要と供給などの問題も含む。すべての企業が学生に求めるものや割合を変えているという訳ではないし、昔から学生に高いものを求めていた企業もいるだろうが、あくまで傾向の話をしている。
 これらを踏まえた上でもう少し主張は丁寧に行ってほしいし、この現状を踏まえた上で人を選んだ企業がほとんどであろうからこそ、教育だけでなく何が解決策となるのかを産業界はもっと問い直さなければならないだろう。

*1:一方で高専に対する偏見も強いみたいですね http://viprole.blog53.fc2.com/blog-entry-75.htmlとか

'); $entries_archive.insertBefore(sections[0]); for(var i=0; i < view_sec_num; i++) { $(sections[i]).appendTo($entries_archive); page_index += 1; } archive_num += 1; for(var i=view_sec_num; i < sections.length; i++) { if(page_index==view_sec_num) { var $read_more_link = $('

もっと表示する

'); $read_more_link.on('click',{archive_num: archive_num},function(e){ $(e.target).hide(); $('#entries-archive-' + e.data.archive_num).fadeIn("slow"); }); var $before_archive = $('#entries-archive-' + (archive_num-1)); $before_archive.append($read_more_link); $entries_archive = $('
'); $entries_archive.hide(); $entries_archive.insertAfter($before_archive); page_index = 0; archive_num += 1; } $(sections[i]).appendTo($entries_archive); page_index += 1; } $entries_archive.hide(); } });