仏検をふりかえって

☆基礎の大事さ
「仏検に合格する」ということを目的にした場合、動詞の活用、前置詞と動詞の組み合わせ、といった基礎的なことが確実に身についているかどうかはかなり重要なポイントのようです。
フランス語が話したい、フランス語の本が読みたい、と思って勉強を始めた人は、ある程度の「初歩的」な勉強ができると、活用を覚えたりっていう面倒なことはいやんなっちゃっいます。フランス語学習者って、わたしの主観ですが、わたしも含めてミーハー、快楽主義者、ラテン系、猫的、猫好きな人、多いと思います。そういう人は面倒なことだいっきらいです。ところが、仏検3級はあんまり面倒なこと知らなくても合格できちゃうんです。で、いい気になって2級を受けると、ボロボロ落っこちると。そんな気がします。
そういう人はそういうふうで、別にかまわないと思います。そういうノリでも話せたり、読めたりしちゃう人、けっこういます。
ただ、仏検に受かる、と考えるとしっかり「基礎」をやらないといけません。
また、単に仏検に受かるということでなく、フランス語を正確に理解するためならば、基礎はとっても重要です。わたしが学校で習ってる先生eは、そういうとこスゴク厳しくて、性根を入れ替えられました。この先生eには鞭とか持って教壇に立ってもらいたいです。とても似合うと思います。
そもそもフランス語は、とても論理的で明晰な言語で、動詞の時制・法、冠詞の種類・有無、前置詞の種類などをしっかり押さえれば、より正確に意味を理解できるのです。豊穣なフランス文化の世界により深く入り込んでいくためにも、基礎的な勉強しとくことはとっても重要です。
☆Blogの力
自分の勉強に役立てばと思って始めたBlogですが、こんなに大きな効果があるとは思いませんでした。
1)自分を客観視できる
ややもすれば、流されてしまいがちになる日常生活。とくに日々の労働におわれている勤労学習者にとって、勉強を続けていくモチベーションを維持し、目標への進捗状況を確認しながら、自分を律していくことは、必要不可欠です。日記をつけたり、手帳でスケジュール管理っていうのもいいでしょう。でもパソコンの画面上に映し出される自分の日記というのは、どういうわけかまるで自分のことではないかのような、ものすごくつきはなした感じで読んでいるような気がします。おそらく、他人に読まれることを意識しながら書いている、ということもあるのでしょうが、どんなに主観的な人間でもある程度客観的に書こうとします。それを読み返すことで、さらに自分を客観視するというサイクルが生み出されます。そして、今日のBlogはなんて書こうか、と意識しながら日々を過ごすことは、自然と自分自身の生活、行動を律していくことにつながるようです。
2)励まし合える仲間ができる
勤労学習者というのは孤独なものです。さびしいんです。わたしはいちお学校行ってるので机を並べる仲間もいますが、普段勉強するときは一人です。で、たいてい自分ちじゃ勉強なんてできないんで、ファーストフードだのファミレスだのカフェだのに行って孤独に勉強するのです。スーパー銭湯で勉強するなんて、孤独すぎて不安にすらなります。そんなさびしんぼうでも、うちに帰ってパソコンをつけると、どこの誰だか知りやしない、顔も声も年齢も性別すらもわからないけれども、同じくフランス語の勉強に励んでいる人を見出すわけです。こいつがんばってんなあ、とか、ああ、やっぱ没な日ってあるよね、みたいなことを思います。さらにコメントなんて頂いちゃうともううれしくて、がんばるぞおって思います。だから自分もコメント書いちゃったりもします。なんと心あたたまる光景ではないですか。「Stand alone complex」がなんだ!Blogには時間も空間も超え、年齢も性別も人種も超えて、人と人とが結びつき、人を幸福にし、世の中を変えていく力があると思う!って、いきなり大上段に切っちゃいましたが、少なくともお勉強にはBlogは役立ちます。