新憲法 2.0は 数式で

なぜ法律には数式が一つも入っていないのか。
むしろ不思議なことのように思えます。
数学と法律、この2つほど相性のよさそうなものは、ちょっと見当たりませんよ。
数学=理系、法律=文系、この2つは正反対の水と油、そんな古い考え方を抱いてませんか。
実際、少し以前までは経済学がそう言われていました。
でも今や、数式の入っていない経済学なんて、時代遅れの感を否めないんじゃあないですか。
法律もそれと同じ。
「文系の数式化」は避けがたい潮流でしょう。
その中で、最大の波は「法律の数式化」にあるのではないかと思います。

数学と法律は似たもの同士、これがちょっぴり数学をかじってみた、私の偽らざる感想です。
この2つは、世間的には正反対だと言われているようなので、まずはその誤解を解いてみましょう。

* 誤解その1: 数学は思考科目、法律は暗記科目。
そんなことはないですよー。
特に現代数学と呼ばれる分野は、聞き慣れない名前を冠した抽象概念のオンパレード。
とりあえず用語と基礎タームを覚えないことには、何も始まらないんです。
現代と付かない分野であっても、掛け算九九とか、微積分の公式とか、やはり覚えないことには始まらない。
一方、法律は必ずしも暗記一辺倒ではないようです。
この原則があるから、この考え方が有効だとか、しかじかの主張は、これこれの権利から導き出されるとか。
法律は相互に関連し合って、原理原則から結論が、理論的に演繹される仕組みになっているんです。
数学にも暗記はあるし、法律にも論理の組み立てがある。
考えてみれば、何だってそうです。

* 誤解その2: 数学は絶対の真理、法律は人が作ったもの。
数学が絶対の真理なんていうのは大ウソ。
明らかに数学は人が作ったものです。
そもそも絶対の真理なんてものは、この世にありません。
一方、法律は人が作ったもの、つまり作為的なものであって、
時代と場所によってどのようにでも変わり得るのかというと、必ずしもそうではない。
殺しも強奪も騙しも何でもあり、負けたやつが悪いんだ、みたいな世の中は、
ひょっとするとあり得るのかもしれませんけど、「法律」ではない。
なので、法律にも誰がどう考えたって外せない普遍的な基盤があるわけです。
法律の方が利権に直結するがゆえに歪みやすいというだけで、本来の公正さという点では、どちらも同じはずです。

何と言っても数学と法律が似ているのは、どちらも演繹的な体系を形作っている、ということでしょう。
どちらも
・少数の公理、原理から出発して、
・広範囲の対象に適用して、
・事の真偽を判定する。
ほら、そっくり。
数学と法律の違いは、単に対象の違いだけなんです。

数式化の巨大な洗礼を受けた自然科学の1つに、生物学があります。
メンデルの業績は長いこと受け容れられなかった、という史実をご存じですか。
「メンデルは、この研究に慎重に取り組んでおり、物理学を深く究めた人らしく、
仮説検証をかたちとする解析的研究手法を用い、論文も、そのような考えに従って仕上げた。・・・
だから、当時の動植物学の論文とは趣を異にした点が、人々の関心を惹かなかった理由の一つだったのかも知れない。
19世紀中葉の生物学は、よい意味でも悪い意味でも博物学に徹底していた。
数学的論理に従った現象の解析には、研究者は慣れていなかった。
だから、当時第一線で研究を行っていた生物学者にとってさえ、この論文は時代を少し超えすぎており、
理解が届かなかったのではあるまいか。」
-- メンデル 雑種植物の研究(岩波文庫)の解説より引用。

雑種植物の研究 (岩波文庫)

雑種植物の研究 (岩波文庫)

メンデルは、時代を進みすぎていたんですよ。
だから受け容れられなかった。
現在の法律は、いわば19世紀中葉の生物学の位置にある、そんな風に私は思いますね。

法律に数式を導入するメリットは何か。
その答は、「物理に数式を導入するメリットは何か」という質問の答と全く同じです。
・曖昧さの少ない簡潔な表現。
・記号による明瞭な論理操作。
物理に数式を使わねばならない、という決まりが最初からあったわけではないのですよ。
でも、もし数式が1つも無かったら、物理の屋台骨はグダグダになってしまうでしょう。
たぶんそのグダグダの状態が、現在の法律が置かれている状況です・・・ちょっと言い過ぎかな。
でも、それに近いのではないかと思えるときもあります。
本音を吐くと、私、数式は嫌いです。
なんかカッコつけてるみたいだし、「チミ、こんなこともわからんのかね」みたいなエリートのエゴ丸出しじゃないですか。
でも、そんなデメリットを差し引いてもなお、数式のありがたみは失われません。
自然科学の成功例を思い起こせば明らかでしょう。

工学的な見方をすれば、法律とは要するに「最適化問題」なのではないかと思います。
相反する権利、主張、原理原則がぶつかり合ったとき、どこに折り合う点を見出すか。
つまるところ法律上の難問に理想的な完全解決は無くて(完全解決するような問題はとっくの昔に解決していて)、
最後は妥協点を探る努力になるでしょう。
最適化問題とは何か。
それは「与えられた条件の中で、目的のために、最もふさわしい答を探し出せ」ということです。
例えば「与えられた材料を使って、最も速く飛べる飛行機を作れ。」
重量と強度は相反する要素です。
速く飛ぶためには、軽くなければいけないし、丈夫でなくてもいけない。
そのバランスを取るのが設計なわけで、設計において強烈な威力を発揮するのが数式です。
微分法、変分法、数理計画。
これらは全て、言うなれば「妥協点を探すツール」なんです。
モノ作りなんて、妥協の連続です。
でも妥協の連続なのはモノ作りだけではなくて、実は世の中のほとんどが妥協の連続で成り立っている。
だから「妥協点を探すツール」が、世の中のほとんどに使えるはずなんです。

なのに法律の言明は、どうも妥協ではなくて、理想に基づいているように思えます。
よく引き合いに出されるのは
 「人の命は地球より重い」
たいへん立派な理想ですが、現実的に矛盾であることも、また明らかでしょう。
工学の「妥協」が入っていないんです。
(えっ、これ法律なの? というつっこみは置いといてね。法律風に言えば生存権。)
言葉による議論だと、白と黒以上の結論を導き出すことが、とても難しい。
たとえば人命の重みは、ある種の不等式で表すことができると思います。
賛同を得やすいのは、
  [1人の命を救う] > [それによって犠牲になる、複数の命の可能性]。
[可能性]は、過去事例から割り出した [生存確率]x[人数] でいいんじゃないでしょうか。
数式と言っても、そんなに難しいものではないですね。
では、赤ちゃんと老人の命の重さは同じか。
私は、1人の赤ちゃんの命を救うためには、1人以上の老人の犠牲はありだと思います。
なんか生々しい話ですが、もし私が老人の立場で、自分が死んで赤ちゃんが1人助かるなら、死んでもいいですよ。
ということで、人の命は単純に全て1ではなくて、[生存可能性係数]を掛けるべきでしょう。
少しずれるかもしれませんが、生物学には「包括適応度」という概念があります。
>> wikipedia:適応度
有名な「利己的な遺伝子」が推しているのは、これ。こんな感じ。
人間もつまるところ生物なのですから、生物の集団を記述する数理は、人間社会にも適用可能なはずです。

解決困難な大半の問題は、
  X = 0.7 x 権利A + 0.3 x 権利B
みたいな、重み付けの形になると思うのです。
交通事故の保険の査定みたいですね。
実際、保険の査定は数式化、数値化がかなり進んだ規則の代表例でしょう。
あれをお手本にすれば良いのではないでしょうか。
アルゴリズムは明文化、係数と重み付けは過去の事例から、時代に合わせて補正ってことで。
極端な話、月々の交通事故の統計から、リアルタイムに係数補正もありかと思います。

さて、以上で「法律に数式を」の意図が見えてきたかと思います。
でも、実際に数式化された法律がどんなものか、なかなか想像がつきませんよね。
そこで、不肖ながら法律の知識ゼロの私が、1例として勝手に「新憲法草案」を考えてみました。
憲法って、数学で言えば公理ですよね。※1
だから、手を付けるならやっぱりここかな、と。
妄想ですから、そこんとこよろしく。
(そういえば、一時期盛んに言われていた憲法改正論はどうなったのかな。)

-- 日本国憲法 2.0 草案 --

第一条:不可逆過程回避の言明
  Minimize( ΔS )
一度行ったら元に戻らないプロセスを、可能な限り回避する。
 「エントロピー生成を、最小限に食い止めよ」
ということです。

第二条:幸福量分散最大の言明
  Maximize( σ^2 )
簡単に言えば、みんな仲良く、ってことですね。
実はこの第二条には、ちょっとあり得ないくらい優れた、言葉による表現が存在します。
 「和を持って尊しと為す」
やっぱり和国憲法には、これ以上のものは考えられないと思うよ、うん。

等式ではなくて、Minimize, Maximize という動詞が入っているのは、
あるがままの自然を記述したものではなくて、取るべき行為を示したものだから。
書いてみてあれっ、と思ったんですけど、言明は自然科学のような等式表現にはならないですね。
(日本国なのに英語なの? うーん、、、もっといい記号ないですかね。)
基本骨格はたったこの2条だけ。
この2条から、ほとんど全ての方針が導けるんじゃあないかな、と思っています。
以下に例を挙げてみましょう。

* 人を殺してはならない。
 第一条から導かれます。
 死んだ人間は、二度と戻ってこない。
 だから死はいけない。

* 自殺をしてはならない。
 上に同じ。
 死ぬのはいつでもできるけど、生きるのは今しかできないよ。

* 戦争放棄。
 第一条、第二条から導かれます。
 第一条から、人殺しはいけない。
 第二条から、一方が力の限り奪ったら、全体の分散が小さくなる。

* 天皇への敬意。
 第一条より。
 天皇の特権廃止は可能なのかもしれないが、一度無くなった敬意は二度と戻ってこない。
 世界最長のエンペラーとして、ギネスの記録を更新すべき。

* あこぎなボロ儲けはいけない。
 第二条から導かれます。

さて、すでにお気付きかもしれませんが、既にこの第一条、第二条だけでも矛盾するケースがあります。
大体、分散が最大ってことは、エントロピーも最大なのではないか?
いえいえ、そうではないのですよ。
もしエントロピー最大=幸福の分散最大だったなら、世の中放っておけばみな平等になるはずじゃあないですか。
現実はむしろ逆に見える。
だから、両者は違っていると思う、、、たぶん。

矛盾するケース:
砂漠の真ん中に取り残された複数人がいたとして、
残った水と食料を全員に等しく分け与えると、全員が等しく死んでしまう。
一部に集中すれば、その一部だけは生きのこる可能性がある。
この場合、第一条の方が第二条よりも、つまり一部の命の方が全体の和よりも優先です。
ギリギリの決断ですが、たぶん皆さん納得してくれるでしょう。
(実は、この事例があるので「和をもって・・・」を第二条としたんです。
 ほんとは第一条にもってきた方がカッコイイんですけどね。)

じゃあ、ウチの会社の存続に関わるから、派遣社員はどんどん切り捨ててもいいのか・・・
ここからが本来の数式の出番です。
上記の重み付けの話を思い起こして、
・生命の存続
・国家の存続
・会社の存続
をそれぞれ評価しておきましょう。
その結果、「ここから先は切っても良いライン」が浮かび上がることになるはず。
個々の法令には、その重み付けを算出する方法が記載されることになります。

法律を数式化しておけば、近い将来、電子化してコンピューターによる判断を仰ぐ道も拓けてきます。
全ての判断をコンピューターにゆだねるのは、SFっぽくておもしろそうですが、現実的にはちょっと怖い。
なので、
・裁判官をサポートする便利ツールとして、
・裁判以前に、簡易的に判決を予想する一般向けツールとして、
使うことになるでしょう。

最近では、経済物理学という学問分野があるそうです。
>> wikipedia:経済物理学
いまネット検索したら、社会物理学っていうのがありました。
驚いたことに、精神物理学、心理物理学なんてのもあるぞ。
この調子で、司法物理学、立法物理学、行政物理学、なんて講座が開かれるのも、そう遠くはないでしょう。
どこかの総合大学院とかで、世界初の数式化憲法の草案でも作ってみてはいかがでしょうか。
それこそ科学の国日本にふさわしい、最先端の憲法になるはず。
もう西欧の猿まねとは言わせないぞ。


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※ 12/25 追記
インターネットを検索してみたら、なんかすごく波長が合いそうな、すばらしいコンテンツを見つけた。
* 科学正論
>> http://www.ide.titech.ac.jp/~yamasita/seiron/
正論:人間は自然を破壊する(エントロピーを増大する)ために生まれてきた.
正論:自然は人間の敵なのか.
エントロピー生成速度、散逸過程、最適化における極大点問題。
そうそう、そうなんだよ、ここに書かれている通りだ。
2001〜2003年に書かれたものとなっていますが、ぜひ、この続きを希望。


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※1 憲法って、数学で言えば公理なのか?
いまさらですが、「憲法は法律の親玉」ではありません。
私はずっとそのように誤解してきたのですが、実は憲法と法律は全くの別物でした。
* 憲法に関するよくある誤解
>> http://d.hatena.ne.jp/fly-higher/20090107/1231298239
・憲法は国民が国家に対して義務を課すもの
・法律は国家が国民に対して義務を課すもの
なので、法律は法律で、憲法は憲法で、それぞれ個別に考えないといけませんね。
(2008/01/27 追記)