なぜ「動物化」は現代を生き残るための戦略なのか

pikarrr2007-08-23


「ソウゾウ性」と動物化


人が生きるためには、想像を創造することが必要だ。「ソウゾウ(創造、想像)性」とは未来への可能性であり、そこに向かおうとすることで生きる力が生まれる。しかし想像はどこまでも虚像である。それは虚像であるからこそ柔軟に創造される。そして虚像を創造するために現状をこえて錯覚することが必要である。

ソウゾウすることは、「命がけの飛躍」であり、現状から飛躍するにはリスクが生まれる。そしてリスク回避のために人は情報収集を行うだろう。情報が少ない時代には、そのような試みに対しても、解答が得られず、夢をみることを容易にした。そしてそこに貧しくても(貧しいからこそ)、ハングリー精神(生きる力)がうまれえた。

現代の情報過多の時代、夢をみることが難しくなっている。ソウゾウする前に、多くの情報が提供されてしまう。それは生きる上で失敗をさけ、リスク回避としては有用であるが、諦めとともに、足元の快楽で充足してしまう。これは「動物化」と言われる。そして生きる力、自らの存在意義の消失が起こってしまう。




動物化という生き残り戦略


しかし「動物化」には、足元の充足に満足するだけでなく、戦略的な面があるのではないだろうか。

情報過多の時代、あえて多くの情報を遮断する。そしてニッチな限られた領域において情報収集を深化させ、もはや情報がない新地(フロンティア)を見いだそうとする。そこで始めて、想像を創造することが可能になる。妄想によって生きる力が見いだせるというニッチ戦略である。

そして彼らはマクドナルド化のような市場主義(ネオリベラリズム)を歓迎する。すなわちマクドナルドで家畜のように食事をするのは、ニッチな「大切なこと」により多くの労力をつぎ込むためである。機械のように働くことのは、ニッチな「大切なこと」をする経済力と時間と労力を確保するためである。

正確には、この動物化戦略は目標を成功させるためにあるのではない、「大切なこと」という目標そのものを作り出し、自己消失を避け、生き残るためにあるのだ。この戦略ともっとも有効に活用しているが、「オタク」であるが、現代人は多かれ少なかれこのような戦略をとっているだろう。

マクドナルド化は、まず持って低コストで物質的な生きる糧を提供する。それとともに、「大切なこと」をするための活力さえ与えてくれるという夢の戦略なのだ。たしかにここには情報化社会を歓迎しつつ、ニッチな一点において突破を試みるという矛盾をかかえている。情報化という怪物を一点突破であっても打破できるのか。多くにおいて取り込まれて、ただの動物機械と成りはてるのがオチかもしれない。しかし情報過多現代を生き残るためにこれ以上に現実的な方法があるのだろうか。
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