odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

フョードル・ドストエフスキー「罪と罰 下」(岩波文庫)感想3 踏み越えを果たした「新しい人間」が社会を変える



 ではどうするか。ここからエピソード以降のラスコーリニコフを空想する。
 ラスコーリニコフはきまじめで、几帳面で、強いこだわりを持っていて、観念が大好きで、空想家・夢想家で、弁が立つ。強い自尊心と自意識があって、他人を蔑み、冷笑する。この行動性向が周囲との違和感になる(これは「地下室の手記」の語り手と同じ。この行動性向がモッブ@アーレントと同じであり、全体主義に傾倒しやすいのは、すでに検討済なので繰り返さない。「地下室の手記」(光文社古典新訳文庫)の感想)。なので、他人から異論を受けたり、批判されたり、嘲られたり、笑われたりすると、すぐに激高して威嚇や恫喝を行ってしまう。
 ラスコーリニコフの分身ともいえるスヴィドリガイロフは苦しみを受け入れることができた。嘲られたり、見下されたりしても、動じないふてぶてしさと図々しさをもっていた。ときに自虐の笑いに変えたりもできた。強い自尊心や自意識を嘲笑するようなニヒリストなので、苦しみをそのように捕えない技術をもっていた。スヴィドリガイロフのように性格をかえれば、ラスコーリニコフは苦しみを受容できる。それがソーニャを愛することによって実現した。このあと囚人と仲良くなれたのだ。
(別の見方をすると、ソーニャが常にラスコーリニコフのそばにいて、他人への共感や自己犠牲をいとわないので誰から(とくに貧乏人など虐げられ辱められた人びと)も愛されるソーニャが他人とのコミュニケーションを担当することで、ラスコーリニコフの問題は回避されるともいえる。)
(亀山郁夫は「罪と罰ノート」平凡社新書で、ラスコーリニコフの屋根裏部屋の思想は「地下室」の思想とは異なるといっている。俺が解釈しなおせば、「地下室」のモッブの思想に基づいてラスコーリニコフは全体主義運動を開始したのだと考える。ひとりで考えていたことを実現するために大衆や全人類を扇動するようになった。「地下室」と「屋根裏部屋」には連続性があって、断絶はない。)
 さらに行うことは、彼の選民思想に基づく理論と観念をもっと先鋭化すること。神がいない、自意識を捨てられない「地下室」の思考を実践する方法をさらに極めることが必要になる。それは借り物の西洋思想に変わる土着の思想で構想されることになるだろう。「自由・平等・博愛(同胞愛)」はロシアの大地に根を張っていない。となると、別の観念を持ち込むことになるだろう(そこにナショナリズムや外国人排外主義、レイシズムが入り込む原因になる)。また単独で実行することで「踏み越え」や「苦しみを受ける」ことに個人が持ちコア得られなかった。そこで、考える人と実行する人を分ける。観念を共有する集団を作り強固な絆をもつ組織にする。そのリーダーになるのがラスコーリニコフだ。この方法はのちの長編で検討される。「悪霊」ではスタブローギンが考える人で、ピョートルやキリーロフ、シャートフらが動く人だ。書かれなかった「カラマーゾフの兄弟」第2部ではアリョーシャが考える人でコーリャが動く人だ。そこでは考える人と動く人の間で葛藤や摩擦が起きたが、とりあえずラスコーリニコフが監獄で考えている間は明確にならないので、今は置いておく。
 そこまで考えても、ラスコーリニコフは民衆に嫌われるのだ。ふるまいが、みためが、存在自体が不快に思われてしまう。個人でやっているうちは気にならないが、集団化・組織化するときは障害になる。そのうまい解決があった。ソーニャを組織のシンボルにして、彼女を運動の先頭に立たせ、ラスコーリニコフは黒幕になればよい。彼に取り憑いた思想や観念を他者に伝えて、「旋毛虫」や「悪霊」のように取り憑かせていけばよい。この構想は「悪霊」や「カラマーゾフの兄弟」第2部で実行されるだろう。
(ラスコーリニコフが他人に嫌われるのは、彼が他人を手段とみているから。アリョーナ、ラズミーヒン、火薬中尉などをそうみている。あるいは敵とみている。ポルフィーリィ、ルージン、スヴィドリガイロフ。あるいは見下した憐憫の対象とみている。マルメラードフ、街ですれ違った娼婦など。ラスコーリニコフは対等な人間関係を作れない。選民思想による強い自意識と低い自己評価の帰結。モッブ@アーレントはそうしたもの。)
(集団化・組織化に向かうのは、「新しい人間」になるための3つの実践、1.家族の禁止=人と神を愛することの禁止、2.定職の禁止、3.貨幣所有の禁止、に潜むトレードオフや矛盾を回避できる可能性があるからだ。この実践を行う共同体をつくり、資金調達部門とそれ以外をわければよい。このやり方は多くの宗教教団、社会革命を目指す秘密結社などで行われてきた。
 すると、監獄にいる残り7年はこの構想を実験する機会になる。充実した7年になるだろう。囚人の中に秘密結社をつくり、収監を終えたら、ペテルブルクに戻るのだ。ばらばらに出獄したものたちがペテルブルク=人工的な都市=地獄に集まる。(ということを妄想したが、亀山郁夫「罪と罰ノート」平凡社新書によると、当時のロシアの刑法では殺人犯のラスコーリニコフはペテルブルクに帰還することはできず、出獄後は監獄の周辺の町に暮らすことになるとのこと。また自首-判決の5年後にはラズミーヒンとドゥーニャの夫婦もソーニャに合流することになる。彼らの出版社で、秘密文書を印刷することができそう。)
(その先をさらに妄想すると、「罪と罰」は単独の社会革命を志すラスコーリニコフが挫折し組織化を試みるところで終わったが、「悪霊」で組織化された社会革命の挫折を描き、それでは社会変革の可能性が潰えるので「カラマーゾフの兄弟」でアリョーシャの愛の共同体による変革を構想したのではないか。でも構想の身で終わった「カラマーゾフの兄弟」第2部では皇帝暗殺に向かいナロードニキのように壊滅するのであった。そしてラスコーリニコフの構想はレーニンによって実現するとまでは、ドスト氏も予想できなかったに違いない。「地下室の手記」で始まった「地下室」「屋根裏」の思想はどこまでも進展し、潰しても消えない執拗な暗さと長い射程を持っていた。この思想はモッブや大衆、群集の発生から全体主義運動と対応しているから、現実の動きに応じていかようにでも変形し、一人の人間では人生の間にすべてを経験することができないせいだ。)

 というように、「罪と罰」を自意識や自由の観点からは読まなかった。選民思想を持った青年が実行にあたって挫折し、社会変革のカルト集団育成の構想を持つようになるまでの物語とみた。そのようにみると、「罪と罰」は「地下室の手記」の続きで、のちの「悪霊」や「カラマーゾフの兄弟」第2部(存在しない)に直接つながる物語になる。
 エピソードの最期で、ラスコーリニコフが更生すると書いてあるのを見ても、よかったよかったとはちっともおもわず、怪物の誕生をみるようだった。こんな危険な小説が名作として読まれているのがちょっと信じられない。ラスコーリニコフが21世紀にいるのならば、彼はヘイトクライムを起こしたはずだ。障碍者施設で障がい者を大量殺戮したり、マイノリティ施設を放火したりした日本人マジョリティはラスコーリニコフの精神にとても近い。SNSでネトウヨインフルエンサーになった「地下室の手記」の語り手が憎悪と排外を扇動して、ラスコーリニコフの精神的近親者が犯罪を犯す構図ができるだろう。彼らは人間の根源的存在に肉薄するようなものではない。彼らは今日では「ネトウヨ」「オルトライト」と呼ばれる存在だ。

(こういう読みをしてしまったので、いま最も入手しやすい「罪と罰」論である亀山郁夫「罪と罰ノート」平凡社新書はこの感想を書いてから読んでみたが、エントリーを作りたいほどの指摘はなかったでした。マルメラードフとスヴィドリガイロフの分析にはうなったが、ラスコーリニコフの分析は隔靴痛痒の感。真人間が悪霊に取り憑かれていたのが更生するのがラスコーリニコフという見方は不充分だと思う。それ以外の見方が必要だと思うが、「罪と罰ノート」ではそういう見方はなかった。欠けていたのは、モッブと全体主義運動の視点。自分の読み方が粉砕される指摘があればいいと思っていたが、なかった。プロの読み手相手に傲慢だけど、しかたがない。)(2022年のおれの読み方も観念先行の偏向した解釈だと思う。深く考えずに簡単な答えに飛びついているとも思う。いずれ自分がこんな書付をしたことを後悔するときがあるかと思うが、ともあれ考えたことはテキストに残しておこう。)

 

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北村透谷のフョードル・ドストエフスキー「罪と罰」評(1892年) 日本で最初にドストエフスキーに取り憑かれた明治時代の人。

 北村透谷(1868-1894)の「罪と罰」評が青空文庫にあるので、読んでみた。
 透谷が読んだのは1892年にでた内田不知庵(魯庵)訳の第1巻。透谷の文章を見ると、第1部までの翻訳。松本健一「ドストエフスキーと日本人」によると、1893年に第2巻がでて中絶。大正のころに改訳を試みたが、1913年に中村白葉の全訳が出たので止めたとのこと。第1部のできごとの説明や展開は第2部以降にでてくるが、透谷(および明治20年代の読者)は読んでいない。そこは留意しておこう。
罪と罰(内田不知庵譯) 1892

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「罪と罰」の殺人罪 1893

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 透谷(当時23歳)は第1巻を2回読むほどに、「罪と罰」に取り憑かれた。読みの中心はなぜ癖漢(へきかん)が殺人を犯したか。透谷は、その理由は書かれていないが(ナポレオン主義ほかの議論は第3部第5章になってから登場するので仕方ない)、殺人にいたる心理描写が「魔力の所業を妙寫(みようしや)したるに於いて存するのみ」と評する。当時でたいくつかの評では、ラスコーリニコフの殺人を「貪慾」「復讐」などに見ようとしているようで、悪人の造形としては動機も行動も弱いというものだったらしい。透谷はこの「儒教」のような勧善懲悪の物語のように読むのではなく、真理の過程が「綿密に精微に畫出」されていることが面白いのだという。まあ和歌や俳句のように完成体を賞味するのではなく、過程をみろということだ。
 透谷が読んだ時代には、江戸の草紙や明治10年代の政治小説がすでにあり、黒岩涙香らが翻案した犯罪小説や探偵小説などがあった。犯罪を描いた小説、読み物は多数あったなかで、ドスト氏(この言い方は透谷がたぶん最初)の「罪と罰」は異彩を放っていて、しかも日本人が親しんでいたものとはとても違っていたということがわかる。 
 個人的には透谷の「罪と罰」評にシェイクスピアのマクベスが出てきたのはうれしかった。そう、殺人直前の心理描写として「罪と罰」に比肩できるのはマクベスくらい。あと、透谷が第3章以後のソーニャを見てどういう感想を持ったか想像すると楽しい。透谷は「処女の純潔を論ず」で滝沢馬琴の「八犬伝」に登場する伏姫を語っている。

「処女の純潔を論ず」

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「伏姫は因果の運命にその生涯を献じたる者なり。因果は万人に纏ひて悲苦を与ふるものなるに、万人は其繩羅(じようら)を脱すること能はずして、生死の巷に彷徨す、伏姫は自ら進んでこの大運命に一身を諾(ゆだね)たるものなり」

の評は、ほとんどそのままソーニャにあてはまりそうだ。透谷ならキリスト教の慈愛や自己犠牲を正しく理解していそう。
 透谷が注目したのはマルメラードフの愚痴。この酔漢が自分のダメさを自虐しながら、妻を蔑み、娘を娼婦に売ったのを嘆く。そこに露西亜の農民や下層民の貧困や生活の悲惨を見る。これも日本の文芸が主題にしてこなかったこと。社会の貧困や悲惨を描く形式として小説があることに驚いているようだ。なるほどこの衝撃が藤村や花袋、長塚節らの自然派文学、その後のプロレタリア文学や農民文学の礎になったのだろう。
 ドスト氏の読み(1881年59歳で亡くなったので、当時は没後10年)が、透谷から始まったのはよかったと思う。でも、「罪と罰(内田不知庵譯)」にあった露西亜の地理や歴史などのエスニシティがその後の読者の読みから失われ、人類普遍の問題や人間性として読むようになったのはこの国のドストエフスキー受容には禍根を残したが、それは透谷の責任ではない。

(個人的な思い出。高校三年生のときに岩波文庫の「北村透谷選集」を買って、少しずつ読んでいたのだが、言文一致体より前の文体がどうしてもなじめず、難解で、ついに読むのを止めてしまった。それからほぼ40年。黒岩涙香を読んだおかげで、こんどはよくわかりました。対象の「罪と罰」をそれなりに精読したのも役に立ったようだ。とても若くして亡くなった明治の青年で、早熟かつ聡明な人がいたのだなあ。関心が少しわいた。じゃあ、ほかの透谷の文を読むかというと、腕を組んでしまうけど。)
(「よくわかりました」のもうひとつの理由は、文庫ではなく、10インチタブレットで読んだこと。小さな文字から解放され、絵本なみの大きな文字で読めたから。)

米川正夫のフョードル・ドストエフスキー「罪と罰」解説(河出書房) ラスコーリニコフを「西欧的個人主義者」とみなしたので、読みそこなった

 米川正夫は20世紀初頭にでたロシア文学翻訳者。最初にロシア文学を翻訳したのは二葉亭四迷らだったが、米川はその次の世代。大正時代にでた最初のドストエフスキー全集の翻訳で活動を開始。戦後には個人訳全集を河出書房から出した。「罪と罰」の新潮文庫は1951年にでて、そこに長い解説を書いた。Wordで16000字強なので、原稿用紙で40枚になる。前掲河出書房版全集の「罪と罰」の巻にも収録された。
 20世紀前半の文学者および日本の読者がどのような興味と感心で「罪と罰」を見たのかを考える素材になる。米川のはかなり長い感想ではあるが、ほとんどは小説の梗概。それにドスト氏の生涯と「罪と罰」連載時の反応が追加されている。こういうのスルーして、「罪と罰」の訳者の見方を抜粋し、おれの感想を記しておこう。カッコは引用。

「ラスコーリニコフも実に極端な(道徳も法律も宗教も、すべていっさいの権威を否定する)徹底個人主義の狂信者だったのである」

 別のところでは、ラスコーリニコフは「西欧的個人主義者」とも書いている。でも、ラスコーリニコフは西洋的な考えには嫌悪を持っていた。米山が上のようにみるのは、日本の「道徳も法律も宗教も、すべていっさいの権威を否定する徹底個人主義」は西欧思想に取り憑かれたところから生まれたという考えを投影していると思う。訳者が書いた時期を考えると、この国では「個人主義」を実行しようとすると、すぐに「家」「家父長」の抑圧を受けてしまう。個人を出発点にして考えることが困難だった。そこからすると1860年代に「徹底個人主義の狂信者」であることは自由主義の典型にみえたのだろう。だがおれの見るところでは、道徳も法律も宗教も、すべていっさいの権威を否定するのはコモンや共同体に入ることができないモッブに特有の考えなのだ。根無し草で居場所がないから、社会や国家への憎悪になり、権威をすべて否定する。自由主義・個人主義は個人の自由や主体を尊重するために、社会や国家の秩序や法律などを重視する。米山がそうみないのは、戦前の国家神道に基づく宗教政治や全体主義を生きていたためだろう。全体主義は個人の自由や主体を尊重することは秩序の破壊とみなす。
 このあと訳者は第1部第6章の殺人シーンを細かにみて、斧を振り落とすラスコーリニコフの心理を考察する。このような殺人はおよそ凡人には到底なしえない、それを「瀬踏み(訳者の訳語)」するのはとても困難であり強い思想を必要としているという。でもこの百年の殺人犯罪をみれば、行為自体を行うのに理論や思想が必要なわけではない。他人に先導された憎悪や嫌悪があり他人の価値を認めない考えがあれば、人は簡単に機械的に人を殺すことができる。中国で日本軍兵士が行った三光作戦や右翼・新左翼のテロ、障がい者やホームレスへの憎悪に基づくヘイトクライムなどがそれ。人が簡単に殺人に「瀬踏み」する事例は初出の数年前までの戦争でたくさん見聞きしただろうに。

「ラスコーリニコフの物語は徹頭徹尾、抽象的理論の人間性に加えた暴虐と、それに対する人間性の恐ろしい復讐の歴史である」

 人間性を良心や善悪の判断ということにすれば、ラスコーリニコフは凡人や人間のしがらみを取り除くことに後悔したことはない。暴虐とは思っていない。また内的な道徳規範に人間性が「復讐」されたわけではない。「地下室」や「屋根裏」でひとり考えていたことを社会や世間に行為で公表したら、思いがけない苦痛があって、それに耐えられなかったのだ。他人の複数性に出あって、「抽象的理論」が動揺したのだ。
「こうした孤独地獄の悩みはラスコーリニコフの心中に、誰とでもいいから自分の魂の重石となっている秘密を分ち合いたい、自分の魂を開いて見せたいという、やむにやまれぬ内部要求を感じさせるようになった」
 自分のみるところでは「内部要求」というより、他人に対する自尊心や優越感に由来する、言動の端緒は他者との関係の持ち方にある。昭和20~40年代の読み方では、ラスコーリニコフの言動を「自由意志」でみるようだったのかな。

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 その自尊心の持ち主が、なぜ家族の縁を切ったり、友人たちと会うことを拒んだのか。殺人で盗んだ金に一切手をつけず、一方で手元の金を貧しい人々や虐げられた人びとに惜しげなく施したのはなぜか。それを「個人主義」で解釈できるのか。
(戦前の社会では、自由を実行しようとすると、国家から家までの権力がすぐに介入し、それに雷同するものが抑圧をかけてきた。常に少数が多数に抑圧される構造になってしまう。そうすると社会から積極的に孤立して「地下室」にこもって自由や平等を考えることは日本のインテリに親近感をもったのだろう。でも、おれが思うに自由が実現する場所は公共空間なのであって、「地下室」で孤独に考える「自由」は活動action(@アーレント)のない概念だ。概念をこねくりまわしても、他者の複数性を確認しなかったり活動の実践がなかったりするのは、自由には届かない。)
 第6部第8章。ラスコーリニコフは自白するために警察署に向かう。

「ドストエフスキーがこのフィナールで読者に示そうとしたのは、単にラスコーリニコフの内部において、一つの理論が他の理論にとって変ったというような意味の変化ではなく、悔悟と呼ばれる高揚した力づよい心の動きに現われた彼の人間性=良心の発現なのである。しかり、彼はこのときすでに悔悟したのである。方向を誤った意識と傲岸な理論は最後まで彼につきまとって、流刑地においてもなお多くの苦悶をもたらしはしたけれど、根本的の意味における真の悔悟はもう乾草広場で成就されたのである。」

 ここで悔悟したと断言できないという読み方がそのあとに起こる。その視点でみると、訳者のみかたでは自首か自殺かという選択肢の重要性は失われている。流刑地での夢や病気の体験が無視される。それよりも、ラスコーリニコフが「悔悟」するということに意味を強くもたせすぎ。おれからすると、ラスコーリニコフは理論を捨てていないし、殺人を後悔・反省していないのだ。

 「(ソーニャは)ドストエフスキーのキリスト教的理想を具体化した、謙抑と忍従の権化であり、謙抑と忍従によって強い内部の力を蔵した肯定的タイプとして描かれ、ラスコーリニコフの西欧的個人主義に対してロシヤ国民的思想の体現者という役割を与えられている」。

 これもソーニャとラスコーリニコフの関係を単純化していないか。「悔悟」にいたる前に、ラスコーリニコフが彼女や一家に行ったこととの関連も見たほうがいいんじゃない。ラスコーリニコフは街の行きずりの娼婦に金を施したり、男に凌辱されないように手配したりする。彼は弱者に施しをしたが、これを理論との関係は。なぜ行きずりの娼婦たちからは「ロシヤ国民的思想」の影響を受けなかったのか。
(ラスコーリニコフだけでなく、ルージンやスヴィドリガイロフ、マルメラードフなどの男が未成年の少女と結婚したがったり、障害を持つ少女に熱中・執着するところにも注目しないといけない。「謙抑と忍従の権化」は社会や男から強制された性格なのだ。彼女らの聖性はいつも侮辱を受けているので自己防衛のために選択せざるを得なかった、ロシア正教の教義と一致しているので内面化したのだという見方が必要。ラスコーリニコフの自由を検討するのに熱心でも、彼女ら虐げられ辱められた人たちの自由や解放を検討しないのは不充分。)
 おれとしては「罪と罰」を個人主義の克服や自由の真剣な検討、法への服従などで読むのは違っていると思う。そうではなくて、近代に入ったばかりのロシアで、だれも見たことも考えたこともない、孤立化アトム化して他人への憎悪を燃やすモッブ@アーレントやダス・マン@ハイデガーを見出し、全体主義運動を扇動する運動家を造形したことが重要。

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