中島さんと古川さんの対談

中島聡さん の おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書) を読みました。とにかく古川さん との対談が面白い。「経営学」と題している書籍ではあるのですが、この対談の箇所だけを抜き取ると、一人のソフトウェアエンジニアがどのようにして未来を切り開いたかというエンジニア論の体をなしています。

著者の中島さんの blog ははてなブックマークでも人気エントリーの常連なので、ご存じの方も多いことかと思います。

ところで 1998 年に、マイクロソフトがブラウザ戦争 (wikipedia:ブラウザ戦争)の結果、独占禁止法で提訴されたことがありました。個人的にはネットスケープがマイクロソフトにボコボコにされて「もうやめて、ネットスケープのライフは 0 よ!」と勝敗が完全についた区切り/象徴である事件だと認識していて、当時はまだそれほど IT ビジネスに関心がなかったにも関わらず興味を持った出来事でした。対談を読むうちに、このブラウザ戦争のど真ん中で、プログラマとして Internet Explorer 3.0 を作り、Windows 98 でシェルとブラウザの統合を実現したのが中島さんだったことを知り、驚きました。

実際のミーティングには行かなかったんですが、あとで話を聞いたらブラッドに「お前たちは何を考えているんだ。これからはインターネットの時代だぞ」と散々にこき下ろされたそうで、101番目の僕のアイデア以外が全部消された。それで最終的にウィンドウズ98の目玉が、僕がひそかに作っていてブラッドがとても気に入ってくれた「シェルとウェブブラウザの統合」となったんです。あとで独禁法で訴えられたんですけど。

なんてことがさらっと書いてある。一方読者の自分は「な、なんだってー」。いや、中島さんがマイクロソフト時代に Windows チームにいたというのは伺っていたのですが、古川さんが"もう時効だ!!"とばかりにその裏幕を次から次へと暴露 (?) するもので、中島さんが Windows の開発においていかに重要な役割を担っていたかというのが嫌というほど伝わってくるという。圧倒されます。

中島さんのおもてなしの経営学を読んでいたら、中島さんがコンピュータの歴史においていかに重要な仕事をされていたかが分かり驚いた。同じく元マイクロソフトの古川さんとの対談の中で、アスキー、マイクロソフト時代のことが詳しく語られている。

中島さんとは何度か直接お会いした事もあるのに、マイクロソフトで活躍されていた、ということを漠然としか知らずにお話させて頂いていて恥ずかしい限りだ。

全くもって。

例えば Wikipedia の OS/2 の項 (wikipedia:OS/2) を見ると

Ver.1.2のリリース後、マイクロソフトはWindowsの開発に注力することになり、以降はIBMのみの開発となった。

と OS/2 から Windows への方向転換についてあっさり一行で記述されていますが、実際には、マイクロソフト社内では別のOS開発プロジェクト "Cairo" が本命で、Windows プロジェクトは冷遇されていたという背景があったそうです。

当時中島さんも Cairo プロジェクトにいたそうですが、理想的な形を追求するあまり分厚いドキュメントはあるものの開発がなかなか進まない状況に業を煮やしてをプロジェクト飛び出しWindows チームに勝手に異動(それが可能な文化が Microsoft にはあったそうです。)、そこから Windows 95 のユーザーインタフェースを作り上げ、ビル・ゲイツへのプレゼン対決で Cairo に勝利して、結果 Windows 95 がマイクロソフトの正式な次世代 OS としてリリースされた...なんて裏話があったようです。そんな奇跡が本人たちの口から語られていて、とてもリアル。

これらのエピソード以外にも、マイクロソフト以前のアスキー時代も含めて、びっくりするような逸話が次から次へと語られています。

失礼な話、最近の中島さんの blog を見ていると、JavaScript や Flash に興味があって最近の流行を追いながらちょっとした Hack を繰り返している粋なオジサマ、という印象が受ける人が多いと思うのですが(すいません、無礼講で...) 多分このアスキー時代の話やマイクロソフトでの話を聞いてその印象ががらっと変わるという人も多いのではないでしょうか。

話は変わって、ロールモデルの話。梅田さんはエンジニアのロールモデルとしてよくまつもとさんの名前を挙げます。まつもとさんは確かにロールモデルとして他に類を見ないすばらしいエンジニア道を実践されている方だと思います。ただ、開発対象がプログラミング言語であったり、そのユーザが技術者であったり、企業人としてはやや特殊例であったりすることから、自分のような「企業に属しながら企業が求めることに対しエンジニアとしてどう結果を出していくか」という人間には、まつもとさんをロールモデルとしてイメージするのが少し難しい。

一方の中島さんは技術者以外のユーザーに向けてソフトウェアを作ることを目的としている企業に属す人 (言語処理系やコンパイラを作るというより、ツールやサービスを作ることを模索しているプログラマなど) が企業内外でどう振る舞うか、そのロールモデルになれるエンジニア人生を歩んで来た方なんだと思いました。しかし、これまでその手の話はあまり具体的に語られて来なかった(http://satoshi.blogs.com/life/2006/04/windows95.html のような話に blog で時折触れられているのではありますが)。そんな中島さんの貴重なエンジニアとしての経験を、同じ時代を共有してかつ技術的な素養がある古川さんだからこそ、昔話として引き出すことができたんだろう、と思いました。

繰り返しになりますが、とても面白かったです。ありがとうございました。

ちなみに中島さんは、知る人ぞ知る GAME80コンパイラ の開発者でもあります。当時高校生、だそう。うげげ。