マイケル・L・ロス『石油の呪い』

 サウジアラビアやUAEやクウェートやカタール、あるいはブルネイ、あるいはノルウェー、いずれも豊かな産油国であり、「それに比べて資源の乏しい日本では…」といった思いを抱きがちですが、経済学を少しかじったことのある人なら、石油の存在がかえって経済成長を妨げる「オランダ病」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。原油の輸出が通貨高をもたらし、その他の産業の競争力を削ぐという現象です。
 

 しかし、「石油の呪い」は、こうした経済的側面だけにとどまらず、政治的な側面にも負の影響を与えるのです。
 本書によれば、1980年以降、産油国は非産油国に比べて民主化が進展せず、より秘密主義的になっています。また、途上国の産油国に限れば、女性の雇用や政治的な進出が進まない傾向が見られ、暴力的な反乱に苦しむ傾向にあります。
 この本は、石油のもたらす政治的な負の側面を、計量分析を駆使しながら明らかにした本になります。著者は政治学者で、この本も政治学の本ということになりますが、著者はポール・コリアーのもとで研究をしていたこともあり、また、本の中でもジェフリー・サックスとアンドリュー・ワーナーの研究に批判的に言及するなど、経済学にもなかば越境した内容になっています。


 目次は以下の通り。

第1章 諸国民の富の逆説
第2章 石油収入にまつわる問題
第3章 石油の増加、民主主義の後退
第4章 石油は家父長制を永続させる
第5章 石油が引き起こす暴力
第6章 石油、経済成長、政治制度
第7章 石油に関するよい知らせと悪い知らせ


 第1章はこの本の概要の説明で本格的な議論は第2章から。
 第2章では石油という資源の持つ特殊性が分析されています。石油はその国に大きな富をもたらしますが、その価格は不安定で、また、その収入を隠匿することが容易です。
 石油はまず、その国の政府に莫大な富をもたらします。2000年代に石油輸出国として台頭した国にアゼルバイジャンと赤道ギニアがありますが、01〜09年にかけて、アゼルバイジャンは政府支出を600%、赤道ギニアは800%拡大させました(44p)。


 一般的に産油国の政府の規模は非産油国よりも大きく、税への依存は低くなっています(47p)。また、石油の採掘は生産費用をはるかに超えた利益、レント(超過利潤)を得ることができます。原油価格は世界である程度共通ですが、その採掘コストは大きく違います。採掘コストのかからない油田を持つ国は大きなレントを獲得することができるのです。
 1970年代までは、油田の多くは国際的な石油会社によって管理されており、そのレントも石油会社が得てたのですが、70年代に急速に油田の国有化が進んだことで、このレントを産油国自身が手に入れることができるようになりました。
 しかし、この70年代から石油価格は大きく変化するようになり、政府の歳入も石油価格に大きく左右されるようになります。また、石油収入は税による歳入などと比べて隠匿することが容易であり、インドネシアのスハルト大統領やイラクのフセイン大統領などはこの公になっていない資金を使って長期政権を維持したと考えられています(79p)。


 産油国で民主主義が根付かないのは、独裁者が金をばらまくからだけではありません。産油国では国家財政が石油からの収入で潤うために、一般的に歳入における税収の割合が低くなります(47p)。税が低いというのは国民にとってよいことに見えますが、アメリカ独立革命時の「代表なくして課税なし」の言葉にみられるように、課税とそれに対するアカウンタビリティ(説明責任)の問題は、民主主義の進展に大きく関わってきます。
 第3章の分析によると、石油は低収入国(5000ドル以下)の国の民主主義以降への移行を妨げ、その影響は1980年以降(1980〜2006年)に表れています(それ以前は産油国と非産油国で特に差はない)。また、ラテンアメリカの国々はこの傾向の例外となっています(95p)。
 

 石油が民主主義への移行を妨げる理由の一つは、権威主義体制がその石油収入を使って国民にさまざまな便宜を図っているからです。この本の103pに石油収入とその国のガソリン価格を示したグラフがありますが、ここでは石油収入のある権威主義国ほどガソリンの価格が安いという傾向が示してあります。権威主義国は民主主義国よりも国民の声を聴かなくても良いはずですが、ガソリン価格に関しては国民の要求によりよく答えていると言えます(圧政で知られるトルクメニスタンのガソリンは1ガロン2セント(20円)とのこと。
 

 この第3章には「石油国家としてのソヴィエト連邦」という節があり、ここではソ連経済の行き詰まりの原因を、80年代の石油価格の下落にみています。
 ソ連の社会主義経済は経済の中心が重化学工業からハイテク産業に移るまでは機能していたという印象もありますが、ソ連の経済は天然資源からの収入が流入することによって成り立っていたものだというのです(108p)。実際、1980年に石油・天然ガスからの収入は国民一人あたり3100ドルにも達していましたが、91年にはその3分の2が失われ、一人あたり1050ドルまで落ち込みました。さらに98年には一人あたり475ドルにまで下落。ロシア経済を破綻に追い込んだのです(109-110p)。
 そして、このあとプーチンは石油会社を国有化していき石油収入を政府の管理下に置きましたが、それとともに報道の自由を規制し、議会を弱体化させ、民主主義を後退させ、「ロシアを一党支配体制へと逆戻り」(118p)させました。


 ただ、ラテンアメリカはこうした傾向の例外となっています。サド・ダニングの研究によるとラテンアメリカでは産油国のほうが民主化する可能性が高くなっています(このダニングの研究は久米郁夫『原因を推論する』でも紹介されていました)。
 この理由として、ラテンアメリカ諸国が民主主義を経験していたこと、格差社会のため富裕エリート集団は民主化によって富裕層への課税が強化することを恐れているが石油があるとその恐れが軽減されるから、といったものがあげられています(110p)。もっともベネズエラに関しては近年の動きを見ると「石油の呪い」が発動しているといえるのかもしれませんが。


 第4章では石油が女性の地位を低めるということが述べられています。
 この問題については、それは「産油国の多くがイスラーム圏、特にサウジとかイランとかが入っているからでしょ?」という疑問が出てくるかもしれません。確かに、イスラーム圏では女性の地位が低いことが多く、石油の影響とイスラームの影響を区別できるのか?という疑いが出るのは当然だと思います。
 これに対して、著者は産油国のアルジェリアと、石油のあまり出ないモロッコ、チュニジアを比較することによって石油の影響を示そうとしています。この3国はいずれも国民の大半がイスラームで旧フランスの植民地であり、独立直後に女性参政権が認められています。しかし、産油国のアルジェリアは他の2国に比べて女性の労働参加率が低く、女性の議席占有率も低いです。つまり、石油の存在が女性の地位を低めていると推測できるのです(155-160p)。


 では、この理由とはどのようなものでしょうか。
 途上国では人件費の安さを生かした繊維産業が経済成長を引っ張ることが多く、そこでは多くの女性が働くことになります。韓国などがその代表ですが、繊維産業の勃興とともに女性の労働参加率が高まり、それが政治面でも女性の地位向上をもたらすのです。
 しかし、産油国では石油の輸出が通貨高をもたらし、繊維産業などの輸出産業の成長を妨げます。いわゆる「オランダ病」です。また、政府による家計へのさまざまな分配政策も女性が働く必要性を薄めます。この2つの回路によって、女性の労働参加率が高まらず、結果として女性の政治的影響力を減少させるのです(147pの図4.1参照)。


 第5章では石油と内戦の関係が分析されています。
 石油と内戦の関係は難しいものですが、1960〜2006年にかけて非産油国で内戦が起きる可能性が2.8%だったのに対し、産油国では3.9%。特に低所得国に限れば、3.8%対6.8%となっており、石油の存在は内戦の確率を高めます(187p)。時期的には1980年以降、産油国で内戦が起きる確率が高まっています(190p)。
 石油が内戦確率を高めるロジックを示すことは難しいのですが、著者は石油が分離主義を促進するという議論(例としてはインドネシアのアチェや南スーダン)や、石油が盗みやゆすり・誘拐などの暴力を誘発するという議論(例としてはナイジェリアやコロンビア)を紹介しています(197-214p)。


 第6章は石油と経済成長のそして政治制度をめぐる問題について。
 ジェフリー・サックスとアンドリュー・ワーナーは1971年から89年までの産油国を分析し、「石油を産出すればそれだけ経済成長が遅くなる」と言いましたが、著者に言わせるとこれは分析の時期が悪く(80年代は原油価格が低迷した)、1960年から2006年までの広いスパンで見れば特に産油国と非産油国の差はないといいます(230p)。
 ただ、石油があったにも関わらずほぼ同じ速度でしか成長できなかったという事実は残るわけで、著者はまずは民主主義の欠如、内戦、女性の社会進出の遅れとそれに伴う多産の傾向などをあげています(239ー245p)。
 さらに著者が大きくとり上げるのが石油の富の不安定さの問題です。原油価格は変動が大きく、その収入は年によって大きく違います。この原油価格の変動に対処するには政府が原油価格の高い時に富を蓄え、安くなった時にそれを使うという政策が必要になるのですが、現実にはなかなかうまくいきません。70年代に原油価格は大きく上昇しましたが、多くの産油国の政府が歳入の増加を上回るペースで支出を増加させました(248p)。
 長期的な財政政策というのは、民主主義のもとでも、あるいは民主主義のもとではなおさら難しいもので、政治家にいかに長期的な視野を持たせることができるかが課題になります。


 第7章はこれまでのまとめと展望。
 ここでは中東についてもう一度触れられています。中東における民主主義とジェンダー平等の不在の原因としてイスラームあげられることが多いですが、著者は「中東における民主主義とジェンダー平等の不在の大半は、石油の富によって説明可能だ」(279p)と述べています。これは忘れてはいけない視点でしょう。


 このように、「石油=経済成長を阻害」という単純な話ではなく、政治・経済両面に渡る石油の影響を丁寧に分析した本になります。計量分析の難しい部分は補遺に回しており、計量分析に馴染みのない人でもこの本の主張は十分に理解できると思います。
 開発経済の視点からも面白いですし、民主化によこたわる問題として読んでも面白いと思います。また、中東やソ連に興味がある人にとってもひとつの分析の視点を提供するものとして興味深く読めるでしょう。
 そして、個人的には350ページ近い翻訳の専門書を税抜き3600円に抑えた版元(吉田書店)も評価したいですね。


石油の呪い――国家の発展経路はいかに決定されるか
マイケル・L ロス 松尾昌樹
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