『428 封鎖された渋谷で』

kodamatsukimi2008-12-06


 公式サイト(音注意)http://chun.sega.jp/428/ ASIN:B001MBV7IA

・タイトルは、渋谷が舞台なのでそう読ませたいのだろうけれど
 最初見て「四谷」と読んでしまったのが抜けないので
 自分の中では今後も「よつや」と決定した。
 もう何度見ても四谷としか読めません。


・『428』は10年前の98年にセガサターンで発売され、その後もPS1やPSPに移植された
 『街』(ASIN:B000092P8G)の後継作品であります。
 同じく渋谷を舞台とし、複数の登場人物たちがそれぞれの事件に巻き込まれる中で
 互いに偶然から関わりあいながら、それを解決していく、というもの。
 その関わりあいを操作するゲーム。
 ある時ある場面で、この人物は、もしもこう行動していたら。
 操作対象の人物だけでなく、それによって他の人たちの運命もまた変わっていく。
 本人たちは気付いていないが、こちらからは見えるその絡み合った糸を
 解きほぐしていく面白さ。
 いまだ熱心なファンを抱える人気作品であるのですが
 制作の大変さと売上がそれに見合わなかったのか、続編は作られなかった。


・それが10年ごしに登場したわけです。
 ゲーム機もWiiに変わり、実写画像を使用していることから
 以前はやや難あった見た目も、大変良くなりました。
 そして何よりお話のまとまりが格段によろしい。

・『街』は出だしこそ、目新しく興味深く面白かったのですが
 それを構成する個々の話が満足できるものではなかった。
 曖昧な言い方をすると、一般性がなかった。
 今回は違います。テレビドラマとして充分使える出来。
 伊坂幸太郎、東野圭吾、宮部みゆき各氏作品のような
 その対象ジャンルにさほど興味のないひとでも楽しめる程度の質がある。

・AVGとして、目新しい何かがあるわけではない。 
 しかし扱う題材が広く満足できるものであること
 その見せ方が適当かつ充分であることにおいて
 つまり、より多くのひとが楽しめるAVGとして、最高の作品であると言えます。




・ゲームとしては『街』と『428』はまったく同じです。
 登場人物の視点にそって、時系列に事件を追っていく。
 操作している人物の行動選択だけでは解決できない状況に陥ったならば
 時間をさかのぼり、他の人物の視点に切り替えることができる。
 それぞれ自身の目的を達するべく動いている各人。
 しかし一方で操作しているこちらは
 皆のみちゆきに何らかの良い影響を及ぼすべきであることを知っていて
 そのように誘導していく、という仕組み。

・つまりAVGです。制作する側は、全ての事件とその解法、
 どの人物がいつどこでどうすれば良いのかを、知っている。既に決定している。
 遊ぶ側は、問題の答えを、はしばしに見受けられる示唆から見つけていく。
 国語のテストとまったく同じ。
 文部科学省的という基準がない分、おうおうにして理不尽度合いが上であるけれど。

・複数視点から物事を見て事件を解決できる、というメタミステリの手法を
 テレビゲームではあまり無理を感じさせずに採用することができます。
 『街』や『428』で操作しているひとが誰なのだろう。
 各人物の視点で事件を見ている自分は誰なのだろう。
 この後どうなるか知らないからそのお話の作者ではない。
 その場面でどうするか操作できるから読者でもない。
 知ることができることしか知ることができないので神様でもない。
 では何か。それがAVGというものなのだ。

・『街』は10年前として充分な出来で、複数視点AVGの仕組みを提示してありました。
 人物の関わりあい方、その関係を解きほぐす方法は
 偶然にしか見えなくて、道理に合わない感を受けても
 それがAVGというものなのだから、というべきであるという仕組み。
 そういう点で、ゲームとして『街』と変わらない『428』は
 例えば『インフィニットループ』(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20080908)と比べても
 変わらないということで面白くはないのですが
 やはり解決方法に納得がいかない点を、仕組みの要請から残すものの
 事件を大きくわかりやすくすることで
 それを少なくすべく丁寧に努力の図られた作品ではあるのです。褒めています。



・次に違うところ。お話のつくり。
 『街』においての
 登場人物ごと異なる種類の事件、それぞれが関係なさそうな事柄が
 ひとつの街に起こる事件であることだけを頼りにして不思議と影響しあっている、
 という、小説で言うならば連作短編のような面白さ。
 これに対して『428』は、全体をひとつのまとまりある長編小説へと
 構成を変えています。

・身代金目的とみられる誘拐事件、という大きな核があり
 それにどの人物もが関わっていく。
 ひとつの事件を、それぞれの立場から眺め、関わりあうことで
 単独では起し得なかった解決手段へと、操作することで導くことができる。
 AVGとして良くある、ミステリ、推理小説物の面白さを軸に成っていて
 それが全体のまとまりに貢献している。
 狭い「街」の中だけで完結しなければならない構成要件からも
 これはかなり効果的に働いている。
 複数視点のメタミステリとしても充分な出来栄えです。


・つまり2つは一見似ているけれど、お話のつくりはまったく別物です。
 お得感、「読後感」は『街』の方が大きい。
 同じ構成の話でありながら、そこに種類の異なるいろいろを見ることができる。 
 ひとつの「街」のなかで起こる事件であること、というお題で
 自由に幅広く様々な事柄を表現できる。
 事件の規模に大小はあっても、それぞれの意味に高低はないという切り口で
 「街」を行き交う全てのひとを主人公に
 いくらでもお話を作ることができるという圧倒的質量の期待感がある。
 『街』というゲームの仕組みが、深く長く評価されているところはここです。

・一方で『428』は、大きな事件の枠組みでは完結している。
 それぞれの人物がそのお話については
 関わりあった範囲で、するべきことは既になして、終わってしまっている。
 まとまりは良くて、推理小説としては楽しいけれど
 『街』のような広がりはなく閉じてしまっている。
 『428』で表現されるお話は
 『街』のなかにある、大きいけれど、ひとつの話でしかないのです。


・これは、あえてそういうように作ったのでしょう。
 『街』というゲームの仕組みを使えば
 『428』のような面白いものをいくらでも作ることができる。その証明。
 それは充分に果たされている。

・制作のチュンソフトは、『弟切草』『かまいたちの夜』系統だけでなく
 『3年B組金八先生』(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20041026)のような
 仕組みも取れたはずですが
 『428』は『街』というゲームそのものだから
 同じ仕組みを用いて、欠点を削り、あるべき姿のひとつを作った。



・ゲームの多くは、テレビ番組ほどには、誰もが楽しめるようなものではない。
 操作をしなければならない。
 操作の簡単なAVGという区分けですら
 それがそういうものであることを知っていなければならないという
 多くの前提条件が付くものばかり。

・より多くのひとに楽しんでもらえるものはどうあれば良いのか。
 ひとつの方法は、遊び手を信頼せずに操作方法を単純化することではなく
 そこに表現するものを、前提条件が必要なく、既にあるもので作り
 誰もが楽しめる程度のものでありかつ
 当然ではあっても多くのひとが知らなかった方法で作られたものにすることである。
 『428』はAVGにおいて、現時点でそれをもっとも良くなしている作品であります。