数学オリンピックについて思うこと・その2

 前回に引き続いて、数学オリンピックのことを書く。
 前回は、数学オリンピックについて、けっこう否定的なことを書いたが、思い出的にはいろいろ楽しいことも多い。最も思い出に残っているのは、次のような問題だ。
 「ある世界的組織は6カ国のメンバーから構成される。組織のメンバーリストには1978人が登録し、各人が1,2,・・・,1978番と番号付けられている。このとき次のようなメンバーが少なくとも一人はいることを証明せよ。『その人の番号は同じ国の2人の人の番号の和であるか、あるいは同じ国のある人の番号のちょうど2倍である』」
 この問題は、1978年のルーマニア大会で出題された問題で、出題中の最難問であった。この問題を教えてくれたのは、数学科の同級生であり、塾でもいっしょにバイトをしたぼくの親友だった。彼は、何年間も考え続けているが、解けていない、といっていた。しかも、この問題は例の「フェルマー予想」と関係がある、といっていたのだ。フェルマー予想というのは、例の「nが3以上の整数のとき、xのn乗+yのn乗=zのn乗を満たす自然数x,y,zは存在しない」という350年解けなかった問題で、ちょっと前にワイルズが解決して大騒ぎになったものだった。(ぼくが数学の道に入るきっかけを作った憧れの定理である)。
 ちなみに、その親友の能力が低い、ということはありえない。彼はフィールズ賞数学者である森の作った森理論の後継者であり、高い業績を上げている数学者である。前回もいったが、数学オリンピックには固有のパズル的な難しさがあり、受験問題とは違って、数学者の手にも余る問題があるのだ。
 ぼくは、『高校への数学』という雑誌で、数学オリンピックの問題に関する連載を持つことになったとき、洋書の過去問集を入手した。そこで上記の問題の解答を知ったのだが、どうみてもフェルマー予想と関係があるように思わなかったので、アメリカにいる親友に電話をかけて、調べてもらったのだ。彼は親切にも、数学オリンピックに詳しい(オタクのような)知り合いに聞いてくれて、それが「シューアの定理」というフェルマー予想に関して得られた一つの結果を書き換えたものであることをつきとめてくれた。このおかげでぼくは、連載をこの問題でみごとに締めくくることができ、しかも後に、『数学オリンピック問題にみる現代数学』講談社ブルーバックスという本に昇華させることができたのである。(上記の問題のあまりにみごとな解答と、フェルマー予想との関係はこの本を参照のこと。解答は小学生でも理解できるが、あまりに突飛であるので驚くだろう)。
 この本を書いたとき、実は、もう一つ、運命的なことが生じた。それは次のような問題についてだ。
 「正五角形の各頂点に1つずつ整数が記入されていて、その5つの総和は正となっている。どこか引き続く3つの頂点に記されている整数x,y,zに対し、もしyが負ならば次のような操作を行うものとする。"(操作)xをx+yに、yを−yに、zをz+yにそれぞれ置き換える。" この操作は、5数に負数があるうちは行い続けると、これは必ず有限回で終わるといえるだろうか。」
 この問題を別の本で解説した際に、それを読んだやはり塾のバイト仲間だった数学者が、セミナーで同じ補題を目撃した、と教えてくれたのだ。それは、代数幾何という分野の研究者の中山昇という人の「中山の定理」という定理の証明のなかに現れた、という報告だった。この定理は、まだプレプリントの段階であり、一握りの専門家しか知らないはずなので、それが数学オリンピックに出題されるとは考えずらい、ということだった。ということは、同じ補題が全く別の定理の証明にも用いられたことがあり、たぶん出題者は、その別の定理から持ち込んできた、ということなのだろう。この奇遇も、本を書く上で、大きなウリとなったのだった。いやあ、数学の世界は奇遇に満ちている。持つべきものは数学者の友人である。(中山の定理についても上記の本参照のこと)。

 数学オリンピックに関しては、まだまだ、数学者についての楽しい思い出がある。
その人も、後に著名な数学者となった人だったが、当時は大学生だった。彼は、中学生のときから数学で名をとどろかせており、噂では、まだ日本が参加していなかった頃に、秋山仁さんに「君が出てくれるなら、数学オリンピック選手団を組織するよ」といわしめたそうだ。しかし、「興味がありません」と断ったそうで、それだけですでにカッコイイ。
 ある日、ぼくを含む数人が、塾で待機して、リアルタイムでファックスで送られてくる数学オリンピックの問題を解き合っていた。その中にその数学者卵くんもいたのだ。彼には当然、最難問をまかせた。それは今手元に資料がないので、ちゃんと書けないが、ものすごい数の整数の等差数列を辺の長さにする多角形が存在するかどうかを問う問題であった。さすがの彼も、小一時間考えてとっかかりが掴めず、空腹だったこともあって、諦めたのだ。そして、みんなに挨拶をして、教室を出ていった。それを見送ったぼくらは、「さすがの彼でも簡単には解けないだね」と、ちょっとほっとした気分に浸ろうとした。その矢先、突如、彼が部屋に戻ってきたのだ。「部屋を出た瞬間にわかりましたよ」と彼はのたまった。つまり、紙も鉛筆もなしで、頭の中で閃きがきた、ということなのだ。そして、「複素平面を使えばいいんですよ」といって、ちゃちゃっと簡単な計算をしてみせてくれた。ぼくらはただただ、あんぐりと口を開けて、彼の解法を眺めた。それはとても奇抜な解法だったが、まさにそれが正解だった。
ちなみに、さきほどの正5角形の問題を彼に聞いたとき、「ああ、この問題は考えたことがあります。エントロピーみたいな量を作り出せばいいことはわかったんですが、それからがわかりませんでした」と正直に答えてくれた。しかし、ぼくはそれを聞いてのけぞってしまった。その方針こそがまさに正解の手筋だったからだ。