再び、東大駒場の講義から稀代の名著が誕生

今回は、三枝洋一『数論幾何入門』森北出版を紹介したい。この本は一言で言えば、保型形式と楕円曲線についての入門書なのだが、とんでもなくわかりやすく書かれている。まえがきによれば、「東京大学教養学部前期課程の全学自由研究ゼミナールで大学1・2年生を対象に行った講義をもとにしたもの」ということだ。このような講義から生まれた奇跡の名著に、久賀道郎『ガロアの夢~群論と微分方程式』ちくま学芸文庫がある。この本に匹敵する本はもう出てこないだろうと思っていたが、なんと、再来したのだね。

その前に、例によって、ぼくが市民講座で行う講義の宣伝をしておきたい。

早稲田エクステンションセンター 中野校

世界は数でできている~無理数から理解する株からカオス理論まで

全3回 2015年 02/07, 02/14, 02/21 (すべて金曜日) 15:05~16:35

(講義概要)

皆さんは、ルート2(2の平方根)やπ(円周率)やe(ネピア定数)などの無理数をご存じでしょう。しかし同時に、これらの無理数は私たちの生活とは無縁なものと思っておられるでしょう。この講義では、これらの無理数が実は、現実世界をつかさどっていることを解説します。例えば、株価は日々、乱高下します。その動きはでたらめのように見えますが、ある程度法則があり、そこに無理数が関わっています。また、火事や機械の故障などの突発的なできごとにも法則があり、ここにも無理数が出現します。このように、無理数は世界を読みとくカギになるのです。最後には、カオス理論という数学の先端理論にも足を延ばします。

詳しくは、以下のURLで見てほしい。

世界は数でできている | 小島 寛之 | [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター

 

さて、三枝洋一『数論幾何入門』にもどろう。

この本がなぜ名著なのかというと、「非常に難しい専門の数学を、めちゃめちゃわかりやすく解説している」からだ。それは、久賀道郎『ガロアの夢~群論と微分方程式』にも共通することである。なぜ、「めちゃめちゃわかりやすい」解説になったかというと、東大の1年生を対象とした講義であり、前提知識が限られるからだ。1年生だから当然、解析学や線形代数は習っていない。知っているのは高校数学だけだ。その縛りの中で「非常に難しい専門の数学」を解説しようとするなら、自ずと工夫をしなくてはならない。大抵の東大の教員は、そんな親切心は持ち合わせていないから、受講生の前提知識など気にせず未習得の知識をばんばん使って講義をしてしまうだろう。東大の一部には、高校生のときに既に大学数学をマスターしている強者がいるからそれでもついてこれる。でも、とても稀にだが、自ら高校数学までに縛りをかけて高度な講義にチャレンジしようという教員が出てくる。これが、久賀先生であり三枝先生だというわけなのだ。そして、このような「縛りをかけた工夫」は名著を生み出すことになる。

ぼくが、三枝『数論幾何入門』を手にしたきっかけは、現在ぼくが執筆している本において、保型形式と楕円曲線の解説が不可避だからだった。それでこれらに関するたくさんの本を読んだが、どれもわかった気にさせてもらえなかった。とりわけ、ぼくにとって最も重要な\Gamma_0(11)と\Gamma_1(11)という楕円曲線(モジュラー曲線のひとつでもある)の方程式を知りたいのに、それがわかりやすく書かれているものが(ウエブにアップロードされている論文以外には)全くなかったのだ。本書はまさにピンポイントでこの方程式を初等的に導いてくれている。これはぼくにとって、幸運な巡り会いだった。

本書は、まえがきに「高校までで学ぶ内容を超えた予備知識は極力仮定しないように務めている」と宣言している通り、大学数学の知識がなくても読めるようになっている。とは言っても、仮定していないだけで、大学数学で習うことと同レベルの数学を展開しているので、「スラスラ読めちゃう」たぐいの本ではないのでそこはご注意を。

ぼくがこの本で感心するのは、どこかの専門書には書かれている定理であっても、著者の(たぶん)オリジナルな証明が随所に提示されていることだ。例えば、「上半平面(虚部が正である複素数の作る複素平面の上半分)に作用するモジュラー群(整数が成分の2×2行列で行列式が1であるものの作る乗法群)が、2つの要素から生成される」という定理は、いろんな本に書かれているが、本書ではユークリッドの互除法を使って証明している。ぼくはこの証明は初めてみた。

もう導入部からして驚きである。数論幾何というのは整数論に幾何学的な方法からアプローチする分野だが、その最も簡単な例として、「ピタゴラス数」へのアプローチを紹介する。

ピタゴラス数というのは、a^2+b^2=c^2を満たす自然数の組のことだ。a=3, b=4, c=5やa=5, b=12, c=13など無限に存在する。それらをすべて求める手法として、円周上の有理点に帰着させる方法が有名である。まず、a^2+b^2=c^2を(\frac{a}{c})^2+(\frac{b}{c})^2=1と変形する。これは、有理点(\frac{a}{c},\frac{b}{c})が円x^2+y^2=1の周上にあることを意味する。したがって、ピタゴラス数を求める問題は、原点を中心とし半径1の円周上の有理点をすべて決定する問題に帰着される。この問題には、次のような見事な解法がある。円周上の点P_0(-1,0)を通り、傾きが有理数tの直線を作る。それはy=t(x+1)である。これと円x^2+y^2=1の交点を求める。円の方程式に直線の方程式を代入すれば、x^2+t^2(x+1)^2=1となるが、1つの解がx=-1とわかっていることから、方程式が(x+1)((1+t^2)x+t^2-1)=0と簡単に変形できてしまう。したがって、(-1,0)以外の交点として、(\frac{1-t^2}{1+t^2}, \frac{2t}{1+t^2})が求められる。逆に、円周上に有理点P(x, y)があれば、点P_0(-1,0)と結んでその傾き\frac{y}{x+1}は有理数だから、これを傾きtとすればPを生み出すことができる。したがって、円周上の(P_0(-1,0)以外の)有理点すべてがこの方法で見つけられる。ひいては、すべてのピタゴラス数がこの方法で見つかることになる。実際、有理数tをt=\frac{q}{p}と置けば、(\frac{1-t^2}{1+t^2}, \frac{2t}{1+t^2})=(\frac{p^2-q^2}{p^2+q^2},\frac{2pq}{p^2+q^2})となるから、ピタゴラス数の(既約な)パラメーター表示a=p^2-q^2, b=2pq, c=p^2+q^2が与えられる。ピタゴラス数が無限にあることもこれからわかる。

 以上のことは、多くの数学書に書いてある。本書の真骨頂はこれからだ。本書は、この解法を有限体\mathbb{F}_pに拡張する。有限体\mathbb{F}_pとは素数pに対する集合\{ 0, 1, 2, \dots, p-1\}に余り算の四則計算を導入した体のことだ(mod pでの合同式の計算と言ってもよい)。この\mathbb{F}_pにおいて、方程式x^2+y^2=1の解の個数を求めるのである。\mathbb{F}_pの要素に対する(x,y)は平面を成しているわけではないので、これは円の方程式ではない。けれども、あたかも円のように扱い、アプローチする。それを著者は「あたかも幾何学的実体を持っているかのように扱える」みたいな感じに表現している。

そして、何をするかというと、「平方剰余の第1補完法則」を証明するのである。「平方剰余の第1補完法則」というのは、x^2 \equiv -1 \mod pの\{ 0, 1, 2, \dots, p-1\}における解の個数が、p \mod 4で分類できるという法則だ。どうやってこれを導くかというと、(\frac{1-t^2}{1+t^2}, \frac{2t}{1+t^2})の分母がt^2+1であるのがポイントとなる。つまり、有理数の世界ではこれが0になるtは存在しないから問題にならなかったが、\mathbb{F}_pの世界では存在する可能性があるから(これが先ほどのx^2 \equiv -1 \mod p、すなわち-1が平方剰余となるもの)、これをちゃんと処理しないとならない。t^2+1=0なるtはいわゆる値の定義できない「極」になる。したがって、極の個数が方程式x^2+y^2=1の解の個数に関与することになり、そこに注目することで「平方剰余の第1補完法則」が証明されるのである。こんな証明はぼくの持っているどの整数論の本にも書かれていなかった。見当違いかもしれないが、リーマン面の理論では極の存在からリーマン面の性質がいろいろわかる。「幾何学的な実体を捉えるには特異な点に注目する」ということの意味は、この「平方剰余の第1補完法則」の証明に端的に現れているのかな、などと妄想した。ちなみに、本書ではさらに、同じ分析方法で「平方剰余の第2補完法則」も導いている。

今回は、三枝『数論幾何入門』の冒頭のところだけ紹介したが、本書の本領は、最初のほうに述べた\Gamma_0(11)と\Gamma_1(11)の方程式を導くことと、これらと保型形式との関係を明らかにするところにある。その説明が、ぼくが持っているどの本よりもクリアカットに書かれているのがすばらしいのだ。

実はぼくも、駒場に通っていた頃、このような1年生向けの数学ゼミナールの第1回に勇んで出席したことがあった。担当教員が開口一番、「数学セミナーなんか読んで数学がわかった気になっている人は来ないでください」みたいなことを述べた。ぼくはこの発言にめっちゃ憤った。数セミが愛読書だったからだ。ぼくは即座に退室した。出て行ったのはぼく一人だったと思う。そのセミナーではセール『数論講義』を教科書にしたのだと記憶している。だから退室して良かった、結果オーライだったと今では思う。もし意地になって出席して、セール『数論講義』を輪読したら、難しすぎて、きっと数学の道を諦めたと思う。そういうところでぼくにはツキがあるのだ。

最後にいつものように販促をしたい。久賀道郎『ガロアの夢~群論と微分方程式』については、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社で解説をしている。久賀先生の本よりもさらにかみ砕いているので、久賀先生の本にチャレンジする前に拙著を読んでおくと、面白い本がさらに面白くなること請け合いである。

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