暇人は社会のインフラ

私の五人国家のベーシックインカムよりずっと現実的な試算ですが、やはり、全く不可能なことではないことがわかると思います。

もちろん、さらに精緻に考えていけばいろいろな困難が出てくると思いますが、私は国力増強策として、日本という国の為にこれをやるべきだと考えています。

なぜかと言えば、一国の経済にとって労働人口より暇人の総数が重要になり、それによって国力が左右されるようになるから。

ブログサービスの供給者になって考えてみればわかりますが、みんなが汗水流して朝から晩まで働いていたら、ブログを書いてくれる人はいないでしょう。ブログというのは、まず数が無いと面白いものは出てこないし、最初から面白いブログを書く人を見つけることは無理。それにたくさんのブログがからみあうことでコンテンツの魅力が増すので、とにかく暇人がいっぱいいる国の方が楽にトラフィックを稼げるので、サービス提供者は儲かります。

18世紀頃までは農業力=土地の所有が経済のキーファクターで、19世紀から20世紀には工業力=労働力や資源が重要でした。主要でない産業においては別の要素にも左右されますが、マクロな見方においては、領土や労働力が国力を決めているとみなして問題なかった。それと同じように、21世紀の産業はブログサービスのような形態を中心に考えるべきで、そのキーファクターは暇人力です。

グーグルだって、世界中の暇人が誰も読まないどうでもいいようなホームページを無数に作ってくれなかったら、ページランクの網羅性や精度を上げることはできません。

現代の経済における価値というものをよく見てみれば、そこに必ず暇人が重要な要素となっていることがわかります。

逆に、労働力を潤沢に提供されても、そこから価値を生み出し、競争力のある企業を作ることは難しい。労働力は雇う前に選別することが容易なので、総数より質が重要ですが、暇人力はそうではありません。強制力によって人を組織化して創造する価値より、暇人の自発性から自然発生する価値の方が高いのです。技術という外的な制約の変化から、そうなっています。もともと、官僚的な組織が力を持っているというこれまでの状況も、技術の発展のある段階でたまたま例外的に起きていたことで、技術が変わればそういう制約条件も変わります。

だから、人的資源として、ごく少数の優秀な労働力と膨大な暇人人口をかかえた国が、投資先として魅力的な国とみなされ、そういう国が世界中から資本を集めるでしょう。

ベーシックインカムは、暇人を増やすという目的には非常に有効な政策だと思います。それだけで食っていくフルタイムの暇人も増えるし、そこまでいくのは少数だとしても、残業代を稼ぐ代わりにBIによる収入を時間として浪費するパートタイムの暇人はかなり増えるでしょう。また、失業しても最低限の生活が保証されているということから、ある程度のリスクを冒して暇人にはげむ人も相当数いるでしょう。

暇人が社会のインフラなのですから、全員がそのための負担を担うことは当然です。労働力が重要な時代には教育が社会のインフラで、その為の費用を社会全体で負担したことと同じです。インフラに対するフリーライダーをどうするかという問題は、今も昔も同じ悩みのタネですが、この議論はインフラをどう構築するかという問題とは別の問題です。