誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

日本語特殊論絡みで少しだけ

 なんか盛り上がっていたようなので少しだけ。本の紹介とか。前に書いたエントリなかったかなと思ったんですけど日本語特殊論についてはあまり書いてなかったよう(そんなに詳しく調べてないけど)。
 感想としては、言語学にある程度なじみのある人なら、こういう反応になるかな、というところ*1。gorotakuさんの書き方というか表現が強すぎると感じる人もいるみたいですど、こういう話って言語学/日本語学に関する「神話」の1つみたいなところがあるので、カウンター気味に強い言い方になっちゃうというのはよくわかります。自分で書いたらやっぱりこんな感じになるかもしれません。

言語学者に突っ込まれたら

 思っていなかったところからその道の専門家によってツッコミが入る(ように見える)というのは修羅の国ついったーらんどの日常かと思いますが、以前このブログでも紹介した

に、面白い話があるので紹介しておきます。

 わたしの言語学の授業では、授業の始めに書いてもらう短いプレテストのほかに、授業後に書く小論文がある。(中略)
 その小論文を毎回読んでいるうちに、ある傾向に気がついた。学生によっては新しい知識、コンセプトをもとにいままで経験したことを再検証しようとする。これは授業が効果的であったことを示す。だが全員そうとは限らない。逆に、いままで持っていたイメージが否定されたことに非常な不快感、抵抗感を示し、言語学の考え方に敢えて挑戦しようとするのである。それが納得のいくものだったら素晴らしいのだが、多くは感情論であり、悔しさをぶつけているにすぎない。うーむ。
(黒田龍之助『はじめての言語学』pp.27-28、強調はdlit)

イメージを否定されるストレス
 言語について何も知らない人はいない。たしかに言語学についての知識はないかもしれない。しかしことばについてはいろいろと考えたり、本を読んだりしている場合が多い。自分なりの哲学もある。なんといっても、ことばに興味があるから言語学を覗いてみようと思ったのだ。それなのにあれも違う、これも違うと言われては、どうしていいのかわからなくなってしまうのではないか。
(黒田龍之助『はじめての言語学』p.29)

 このあと、「用語の厳密さに対するストレス」「枠にはめられるストレス」「日常のことば遣いに対して指摘されるストレス」の話と続いていきます。こういうことが書いてある本はなかなかないのでおすすめです。
 言語学の授業を取る学生でこうなのですから、ついったーやはてブでいろんな反応があるのは不思議ではないといったところでしょうか。

ことばを比較することの難しさ

 これはいろんな言語学の入門書・概説書で出てくる話なのですが、上で紹介した黒田龍之助『はじめての言語学』だと「第5章 言語の分け方―世界の言語をどう分類するか」というところで取り扱われています。
 さて、このブログで紹介したもう1つの入門書、

に、重要な指摘があるのでこれも引用して紹介しておきます。

 言語と言語を比べるということは、今述べた、夢と夢を比べることとよく似ています。メートル法のような確実で厳密な物差しがはじめからあるわけではなく、研究者たちは皆、暫定的な(つまり、とりあえずの)物差しを使って手探りで進んでいます。
 ただし、その暫定的な物差しが、たくさんの研究者に採用されてポピュラーになり、何の説明もなく多くの本や論文にいきなり登場するようになってくると、いつのまにか暫定性が忘れられてしまい、確実で厳密な物差しとして、すっかり確立されているように思えてしまうことはよくあることです。このような錯覚は、特定の言語理論に精通したいと思っている研究者にはひょっとしたらある時期必要なことかもしれませんが、言語に興味を持ち始めた初学者にとっては極めて危険なことですから注意して下さい。
(定延利之『日本語教育能力検定試験に合格するための言語学22』pp.182-183)

 専門家が非専門家向けに「わかりやすい」話をする際にも、こういう単純化がされてしまう(あるいはそういうふうに編集されてしまう)ことがあるので、こういう話に触れる時には注意が必要なんだろうと思います。

過去に書いたレビューなど

 上で紹介した2冊については推薦のエントリを書きました。興味を持った方は参考にしてみてください。

特に黒田本は授業でもよく薦めています。
 あと、このトピックで外せない本としては

がありますね。上記二冊に比べれば読むのはちょっと大変かもしれません。これもそのうち紹介した方がいいかなあ。

個人的な雑感

 自分で研究をしているトピックではないので、ほぼ素人の感想として読んで下さい。
 私自身日本語が第一言語でない話者に対する日本語教育の経験が少しだけあり、日本語教育関係の研究者と話す機会もそこそこあるのですが、第一言語と学習言語に似ているところがあると、学習が進みやすい、あるいは学習者が「易しい」と感じるという側面があるのは確かなようです。よく言われるのは朝鮮語(韓国語)が第一言語だと文法面で日本語との共通点が(相対的に)多く、中国語が第一言語だと漢字・漢語の語彙面で共通点が(相対的に)多いので、比較的有利、というものですね。ただこれも似ているだけにかえって間違えてしまう・苦労する、という側面もあり、なかなか簡単ではないようです。有利な点がある反面、両言語とも音声・音韻面ではたいへんなところがありますし…
 「日本語はそんなに全体として複雑な言語ではない」という話に必ず「日本語にはこういう区別があるから複雑では」という反論が出てきますが、Aの言語で区別しないことをBの言語で区別する、というのは様々な言語間で成り立つので、そういう話をし出すともうほとんどお互いさまみたいな話になっちゃうんですね。ちなみに敬語の体系が豊かな言語も、いわゆる助数詞がたくさんある言語も日本語の他にあります。複数の文字/書記体系を混ぜて使っている言語はさすがにあまり多くないようですが、例はあるようですね。
 「ハイコンテキスト/ローコンテキスト」言語/文化の話は、この用語の普及度と比べると、そこまで研究が進んでいるわけではないと感じています。個人的には最近の要注意キーワードの1つです(もちろん関連研究はあるのですが、このことばがキーワードとして濫用されがちというか)。そもそも言語の話なのか文化の話なのか曖昧に語られることが多いですし、言語の話に限定したとしても、代名詞の分布のような話と、語用論レベルの話と、さらに社会的要因に関連するようなレベルの話が混ざっていたりして、かなり整理が必要だと感じます。また、焦点が狭いから「ハイ/ロー」みたいな話になるのであって、何を明示的に言うのか言わないのかの対象が言語によって違うという観点からの論考があまり見られないのも気になります。
 言語行動や言語文化のような話でしたら、

が具体的な話もたくさん出てきて面白いのでオススメです。

*1:ただこういう話のネタ本も実は言語学や日本語学に関連のある人が書いていたりすることがあるので話はややこしいんですが…