誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

言語学とデジタルコミュニケーション研究のこれから

はじめに

この記事は言語学な人々 Advent Calendar 2025 の4日目の担当として作成したものです。

adventar.org

また、この記事の内容は、Twitterに関する論文、

(PDF) Twitter (X) 上の日本語を対象にした言語学的研究に関する覚え書き

デジタルコミュニケーション研究会での発表

(PDF) マイクロブログを対象にした日本語研究の可能性:XからBlueskyへ

で書いたり言ったりしたことから抜粋して整理したものです。

内容はささやかなものですが、若干煽り成分も含んでいますので、大仰なタイトルにしました(ほかに良いのが思いつかなかったというのもあり)。

なぜTwitterに関する論文(上記)を書いたか

この論文を書いた一番の理由は、2024年までにTwitterからXへの移行とそれに伴うさまざまな変化が急激で予測が付かず、またその後が不安になるようなものが多かったので、「今記録も兼ねて参照可能な形で文章化しておかないとヤバい」という焦りがとても大きくなったからです。

アイディアはそれまでに考えたことや調べたことで材料がいろいろ揃ってはいましたが、かなり急いだ執筆になってしまいました。それにもかかわらず当時情報収集に協力してくださった研究者の皆さん、ありがとうございます。

この論文の内容に関するアイディアの原点は、自然言語処理との合同勉強会での発表(2014年、下記参照)です。

第8回言語学×自然言語処理合同勉強会の発表スライド(Twitterと言語研究の話)を公開します - 誰がログ

この時点でTwitterはすでに巨大なデジタルメディアとしての地位を確立し、日本語社会にも十分定着していたので、自分が研究しなくても自然に言語学・日本語学分野での研究も増えていくだろうと楽観視していました。使用している研究者も多かったですしね。私の一番の専門は次のようにTwitterの研究からはそこそこ離れているということもありますし(宣伝)。

共著書『形態論の諸相』が刊行されました(読み方とか訳語とか) - 誰がログ

しかし実際には、言語学・日本語学分野でTwitterを対象にした研究は思ったほど増えませんでした(楽観視分を差し引いても)。私にとって「2024年」というのは、上の発表からちょうど10年という意味合いもあったのです。だいぶ遅きに失した感もありますが、自分でももうちょっと発表や論文のような形にしていこうという決意表明も兼ねて、2024年の論文を書きました。

ざっくり言うと、10年経っても状況が良くならなかったので自分でもやるか、というところです。私は言語学分野ではコミュニケーション研究についてそれほど専門家ではありませんので絶対にもっと適役な方々がたくさんいるのですが、そういう人たちが本格的に動くまでのつなぎ役くらいはやろうかなと。

言語学(者)と新奇な/非規範的な言語現象

言語学の概論的な授業を受けたり、アウトリーチ的な企画に参加したりした人は、「言語学は若者言葉やネットスラングのような表現について「正しくない」とか切って捨てるのではなくちゃんと分析対象にします(できます)」という話を聞いたことがあるのではないでしょうか。

これ自体はその通りなんです。でも、研究論文や研究書の形にまでなっているものは、思ったより少ないと思います。教科書で分析の例示として取り上げられたり、コラム的なところに登場したりはするんですけどね。もちろんガチなレベルの研究発表で取り上げられているのもそれほど珍しくはないんですけど、その後を追うと論文化はされていなかったりする。

上記のTwitter論文でも紹介している「み」の新用法(「食べたみ」とか「わかりみ」みたいなやつ)に関する国際誌論文なんかはむしろ例外的な方だと思います。

Mi-nominalizations in Japanese Wakamono Kotoba ‘youth language’

私もいつの間にか言語学・日本語学という分野で研究活動を始めてから20年以上経ちましたが、流行語、若者言葉、俗語、スラング、のような新奇な/非規範的な言語現象に対しては、業界内でもやや厳しめな目があると感じます(もちろん研究者にもよります)。

TwitterとかLINEとか、比較的新しめのメディアについても、それこそSNS上とか、YouTubeのような場とか、学会での雑談や質疑応答では「面白いよね」と言及されるのに、実際の研究のアウトプットがそれほど増えていないのは個人的にはちょっと健全ではない状況なのではないかとさいきんでは考えるようになりました。ちょっと厳しい言い方をすると、分野の事情に詳しくない人からはダブスタというか言ってることとやってることが違うと捉えられてもおかしくないのではないかという心配があります。

もちろん、新しい現象や資料について、十分その意義や質が確かめられたものより慎重な姿勢が取られること自体は良いことなんですけどね。言語学・日本語学が、言語や日本語に関する研究のエキスパートを名乗るのであれば、それを踏まえてさらにチャレンジした方が良いのではないでしょうか。

上で紹介した、デジタルコミュニケーション研究会での発表の資料に書いたことから引用しておくと、「たとえば100年後、誰かがこの時代によく用いられていたコミュニケーションツールとしてTwitterの研究を探したときに、「なんだか日本語学では研究されてなかったみたい」となるのは分野の人間としてはさみしい」のです。

これはTwitterだけでなく、Instagramとか、YouTubeなど動画系での実況やコメントとか、さいきん私自身も取り組んでいるデジタルゲームとかにも及ぶ話です。

ただTwitter論文にも書いたように言語学・日本語学という分野自体圧倒的に研究者の数が足りていないので、状況的に仕方ないところでもあります。

おわりに

研究者の皆さん、それでも、少しでもやったものを形にしてもらえるととても嬉しいし助かります。釈迦に説法ですが、文献が0と1とでは大違いですので。上記Twitter論文も、そのような踏み台にできるものを1本、ということでむりやり形にしたところがあります。壊れて跡形もなくなるくらい踏み台にしまくってもらえると著者としては嬉しいです。

これから研究してみたいなと考えている皆さん、大変かもしれませんが、これからもう少しは状況を整備しておきますので、気になる方は研究テーマの1つとして考えてみてください(いちおう進行中の取り組みもいくつかあります)。

私自身は、次の少なくとも10年は、デジタルゲームとデジタルコミュニケーションの研究を最優先の研究テーマにすることにしました。10年で多少の基盤整備くらいしかできないかもしれませんが、面白い研究はいろいろ出てきているので、楽しみな側面もあります。依頼でいただくお仕事はこれまでの業績によるので依然として形態論・理論言語学絡みのものが多く大学の業務が肥大化する中どうやりくりするか頭の痛いところではありますけれども。

パラオにおける日本語に関する補足:今村・ロング (2019) の確認だけ

先週末から今週前半は集中講義のために神戸市外大に行っていて、そちらにかかりっきりだったので、まつーらさんの記事に昨日気付いた。

「25%が日本語由来」とか言語学者だったら言わなさそう|まつーらとしお

記事中で言及されている今村・ロング (2019) は借用・外来語(語彙層)の研究をしている関係で購入済みだったので、簡単に確認してみた。

パラオにおける日本語の諸相 今村圭介、ダニエル・ロング著

パラオ語における日本語由来の語彙の割合・比率について、購入時にざっと読んだ際に書かれていたかどうか思い出せなかったのだが、今回改めて読んでみてもそのような記述は見つからなかった。下記のような存在感に関する記述がある程度。

900語を超える日本語借用語がパラオ語に見られ語彙体系の一部として重要な機能をなしている。戦後70年たった現在、パラオ社会全体の変化や日本語を理解する世代の急激な減少により、使用される日本語借用語の数が減少するとともに、いくつかの借用語の意味や音に変化が起きている。(今村・ロング 2019: 113)

「900語を超える日本語借用語」という数はまつーらさんも紹介している下記の辞典の項目数ともほぼ同じ(完全に一致しているかどうかは未確認)。

A Dictionary of Japanese Loanwords in Palauan

なぜこれくらいの数になったかについては、本書の研究とも深く関わるところで明確かつ詳細な記述がある。この900-1,000(弱)という数自体は本書にたびたび登場するが、パラオ語の語彙における割合・比率に関する情報は見つけられなかった。もちろん私が見落としていたり、他の文献では言及がある可能性はある。

本書の巻末にも「付録 日本語借用語一覧」という資料が付いており、上記の辞書とは違って、話者による使用・認知の度合いの情報がそれぞれの語について付されている。たとえば"bakking"(罰金)は、『ツカレナオース!』の方のAmazonページの紹介画像中でも取り上げられていて上記の辞書にも項目はあるが、「一部に認知されるが使用されない」となっている(今村・ロング 2019: 188)。

「第9章 アンガウル州の公用語としての日本語」に気になる一節があったので引用して紹介しておく(具体例は挙げられていない)。

「パラオで日本語が公用語となっている」という話題は、一般人の間にも関心が高く、インターネットの書き込みなどを中心によく聞かれることがある。しかし、完全に間違っている情報から、誤解を招く情報まで様々な不適切なものがある。(今村・ロング 2019: 99)

本書で取り扱っているトピックは、日本語からの借用語(語彙)だけでなく文法、表記、教育、法、接触言語など多岐に渡り、特に借用、外来語、言語接触に興味がある人にとってはどの言語を専門にしているかに関わらず大変参考になる研究であるという印象を改めて持った。

九州・沖縄地区でのテニスの思い出

沖縄への帰省がきっかけで、小学校から大学までやっていたテニスの話題がちょこちょこ出てなつかしくなったのでちょっと思い出話。

しかし親と子の夏休み(のうち長期で出かけられる時間)を合わせるのが年々難しくなっていて、慌ただしい帰省になった。なかなか頻繁には帰れないので帰るときは少しゆっくりしたいのだけれど。

先日終了したインターハイのテニス競技の女子ダブルスで沖縄尚学のペアが優勝した。おめでとうございます。沖縄尚学は団体戦でも準優勝。さいきんはずっと全国レベルでも強いので驚きというほどではないけれども、やっぱり優勝はすごい。ちなみに男子の方も沖縄尚学が代表で出ていて、早いラウンドで負けたけど相手が優勝した湘南工科大学附属なので仕方ないところ。

男子テニスでは柳川(福岡)が有名だと思うけれども、ここ数年は大分舞鶴(大分)や佐土原(宮崎)などほかの九州勢も全国大会で勝ち進むことが多く、九州・沖縄地区になじみがある者としては嬉しくなる。大分舞鶴や佐土原は自分が高校生の頃も県代表としてはいつも出てくる高校だったので親近感があるというか。そういえば大分舞鶴には選抜の九州大会で負けてそれで全国に行けなかったんだった。ほかには龍谷(佐賀)、鎮西(熊本)の名前をよく覚えている。女子も沖縄尚学のほかにも鳳凰(鹿児島)とかさいきん強かった気がする。

ところでスコアを見てみると、さいきんはインターハイ本戦でも準決勝まで8ゲームマッチ、決勝だけ3セットマッチという形のようだ。自分が高校生の頃(1995-1997年度)は1回戦だけ6ゲームマッチで2回戦から3セットマッチだったと記憶している。どういう経緯で変わってたのかは分からないけれど、さいきんは暑さの問題もあるので競技者にとっては良さそうだ。プロもいろんな形で競技時間があまり長くなり過ぎないように変わってきてるし。今年のウィンブルドンも暑くて大変だったんだっけ。数年しか歳が離れていない弟に話を聞いたら、その世代ではすでに準々決勝か準決勝の前くらいまで8ゲームマッチだったと言っていたので、コロナ禍や暑さの問題で急に変わったということではなさそうだ。

沖縄は日差しはやはり強く、あんな太陽の下で、しかもコートの照り返しも厳しかったりする中で、よくテニスなんかできていたものだと思う(1回だけ試合中に熱中症になったことがある)。