誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

分野間/分野内コミュニケーションと文献の探しにくさ

はじめに

この記事では、文献の探しにくさが異分野間どころか同一研究分野内での交流にとっても問題になっているのではないかというようなことについて書きます。

以下の内容の大部分は以前から考えてきたことですが、2024年の12月に開催された日本語文法学会のパネルセッション「「“よい”文法記述」について考える ―分類・周辺・例外・理論といかに向き合うか―」に参加した際に1度まとめておいた方が良さそうだと感じたので書くことにしました。そのためパネルセッションへの感想のようなものも入っていますが、そこを読み飛ばしてもある程度内容が分かるように書くよう努めます。

なお、以下の内容についてきちんと論じたり整理したりするためには、いくつかの用語、たとえば「理論」と「記述」について暫定的にでも定義しておかなければなりません、というようなことはこの種のテーマが関わるワークショップやシンポジウムに参加する度に感じるところなのですが、それだけでだいぶ長くなってしまうのでここではあまり細かく書きません。

読み手の皆様が自分の身近なところに引きつけて考えるきっかけにしてくださるのは大歓迎ですが、ご自身の関わる分野の事情からの推測で決めつけるようなことは慎重にしていただけると嬉しいです(こういうのを丁寧に読む人はそもそもそういうことあまりしないとは思うのですが)。

それでも簡単に書いておくと、実はこの「理論」「記述」について私の専門である言語学に限っても、研究者間で用語のカバー範囲や指しているものについて齟齬があることが珍しくありません。特に上述のパネルセッションで言及されていた「記述(研究)」はやや日本語学の研究独特の位置付けというかニュアンスがあったりします。「理論」についてはざっくり特定の名前が付いているもの(例:生成文法)くらいに考えておくと良いでしょう。なお、日本語の記述的文法研究はこの分野内では一般的に「非理論的」な研究とされることが多いですが、もちろんこのベースには特定の理論(理論が嫌なら概念群などと言っても良い)や前提があります。

この辺りの話題については過去にもこのブログでいくつか書いたものがあります。

私自身の考えを整理することを優先していますしかなり長くなりますので、ここから先書くことについて関わるすでに始まっている取り組み(文献のデジタル化、アーカイブ、和文文献の英訳など)については具体的には取り上げません。

なんでそんなことを気にしているか

上で紹介した一番上の記事に書いたように、私自身が特定の理論の使用を明示しない研究から研究のキャリアをスタートさせて、今は特定の理論の使用を宣言した上で行う研究を中心にしていることもあって、それぞれの研究分野に関する文化の違いや交流(こういうのを「理論と記述の対話/交流」のように呼ぶことが多いです)に興味があります。

ちなみに上述のパネルセッションでは(そこでの議論に沿って考える限りでは)自分自身のマインドはどちらかというと理論研究者寄りということが少し意外でした。ただこれはふだんは理論研究者が多い場に参加していることが多く、そういう場だと自分がほかのマインドも持っていることをかえって感じることがあるからなのかもしれません。

なお、なんでここまでの話がここから先の本題に関係しているかというと、「理論と記述の対話/交流」みたいなトピックではお互いの領域の文献が(きちんと)読まれていない/調べられていないという話が出ることが多いからです(今回も少し出てました)。

文献の探しにくさという障壁

さて、メインのお話ですが、こちらはあまり複雑な話ではありません(たぶん)。

まず基本はごく当たり前のことで、その分野(たとえばここでは現代日本語を対象とした文法研究)に関する文献が探しにくいことがあり、それが初学者や他分野の研究者にとっての近寄りがたさになっているのではないかということです。

私が関わる分野に関する懸念は2つあります。1つは文献の探しにくさの位置付けで、もう1つは論文レビューの慣習です。

先に結論を書いておくと、従来の文献を丁寧に探すというやり方にある種の限界が来ていて他分野からの参入障壁になってしまうだけでなく分野そのものの先細りにも繋がりかねないのではないかという心配をしています。

これは以前自然言語処理の方々と勉強会をした時に強く感じたことです。異分野のことについて知りたい、交流したいという人は実はたくさんいる、でも制度とか慣習とか文化圏の違いが思ったより大きなハードルになっているのではないかと。

文献の探しにくさとその位置付け

研究に関する文献を適切に探すのはそれほど簡単ではなく、また重要なプロセスであるというのはどの分野でもある程度共有されている認識かと思います。もちろん、分野による程度の差や分野特有の事情等もあるでしょう。

(広く捉えると)人文系の分野にいて実感することは、探しにくい文献を探すことが研究者の能力の1つとして高く評価されるということです。こう書くと変ではないというか当たり前のことのように思えてきますが、これが「こんなのも探せないやつは研究者失格」という形で実現されることが多いのはあまり良くないのではないかと思うのですよね。あと、探せることを前提にするので、どこにどんなことが書かれているかについての情報が整理されにくいのではないかと感じることもあります。

文献の総数自体は基本的にどんどん増えていきますよね。これは全体としては研究が進展しているということなのでもちろん良いことなのですが、その分、調べることや読むものもどんどん増えているということです。私が大学院生になった20年くらい前を思い返しても、文献(の量)を取りまく事情はだいぶ変わったなという印象があります。

じゃあ実際にプロの研究者はうまくできているのかというと、やっぱり文献探しには苦労している人が多いのではないでしょうか。学会でも「それについてはこんな文献ありますよ」というやりとりはけっこうあります(よね?)。中には「このトピックでこれ読んでないのか」という怒られが発生するケースもあるでしょうけれど、私自身は「いやー実はこんな文献があるんですよね、探しにくいですよね」という姿勢を常に意識しています。自分も探すのそれほど得意ではないので…

もちろん、その分野に関する文献の探し方に関する特定のノウハウとかツールとかはあり、授業で紹介することもあります。でも他分野の人は自分の専門分野だけでも大変でしょうし、他分野についてそのような勉強をまた一から始めるのは大変なのではないでしょうか。今なら生成AIに聞けばという手もありますが、電子化されていなかったりwebにあまり情報が出ていなかったりする重要な文献の情報とかも私の身近ではまだまだありますからね。人文系だと書籍の重要文献も多いという事情もあります。英文なら論文集に収録された論文やbook chapterでも1つ1つが個別に購入できたりそれぞれにDOIが付いたりまだ比較的アクセスしやすいのですが。

文献に関する情報はどこにあるか

上に書いたようなことが関係しているのかしていないのか、私が関わる分野ではレビュー論文がカテゴリーとしてそれほど定着していないように思います。研究トピックごとにレビュー論文が定期的に、頻繁に書かれ、それが評価されるのであればもう少し他分野の研究者からも文献が探しやすいと思うのですけれど。

もちろん文献の収集とレビュー自体はたいへん重要で、実際に重視されています。ある程度まとまった文献のレビューとしては、博士論文や論文集のイントロなどに助けられることが多いです。あとは「展望」などの比較的広くさいきんの研究界の動向をまとめた記事が特定のトピックにフォーカスしている場合などが挙げられるでしょうか。

でも、博士論文のものははあくまでその研究のための文献レビューですし、論文集のイントロや「展望」のような記事は簡潔にまとめられることが多いんですよね。これらの存在は大変助かるものではありつつ、レビュー論文のようにもう少しボリュームがあったり内容が詳しいまとめがあると(より)良いんじゃないかなと思います。

ボリュームや内容以外にも気になることはあって、それは、上で挙げたような文献に関する有用なレビューの存在がいろいろな形で分散していると、その分野やトピックになじみがない人にとっては探しにくいということです。

たとえば、長野明子氏が『言語の構造と分析:統語論、音声学・音韻論、形態論』という本に書いている章、特に借用に関するところは(語彙論というより)形態論の問題として借用を考える際にとても参考になる和文では貴重な文献の紹介を含んでいます。でも、借用の研究に興味があるなと思った人がこの本のこの執筆箇所に辿り着くのはけっこう大変な気がします。

また、『日本語文法史研究』シリーズは文法史に関する文献についてとても助かる情報を提供してくれます。しかし文法史という研究領域についてはそうなのであって、ほかの日本語研究について広くこのようなシリーズが展開されているわけではありません。

文献に関する良い情報やレビュー自体はあるのですね。でもそれが慣れていない人にとっては探しにくいという状況があるとすればもったいない。

分野内のコミュニケーションとか対策とか

分野内での問題

ここまで書いてきたことは、研究分野間については私以外にも実感している人がけっこういるのではないかと思います。研究分野間というのは、大きなところではたとえば言語学と文学のような関係、もう少し小さいところでは日本語学と英語学、あるいは冒頭で紹介したような理論研究と記述(非理論)研究のような距離感です。

しかし実は、分野内、つまり言語学の中、あるいはもう少し範囲を小さくして日本語学の中でも、ちょっとテーマやトピックが違うと途端に文献やさいきんの研究動向を調べるのが大変という状況がもう身近にある気がしています。程度問題ですのでさいきん急に生じたと言うよりはあったとしてもより厳しくなっているという形でしょうけれど。

たとえばテンス(時制)の研究をしていて、やっぱりアスペクト(相)についてもある程度やる必要があるなと思って文献を探そうと思ったら意外と勝手が分からない、というような。従来の感覚だと「テンスについてやっているのにアスペクトについて勉強不足だなんてけしからん」となりそうですが、それくらい各分野の研究が進んでそれぞれの領域が大きくなっているというか。

このようなことを書くと「ああ、蛸壺化ね」と思う人も多いでしょうけれど、このメタファーはあまり正確ではないと考えています。何かに集中することで視野が狭くなっているわけではないのですよ。やるべきことと隣に何があるかは分かっているけど、実際には手が出せないというか。「ガラス製の蛸壺化」という感じなんですかね。しかしこれもいまいち正確ではないかな。

自分の関わっている分野の研究が行き詰まらないようするためにも、文献情報についての状況を(さらに)改善した方が良いのではというのは、私の思い込みなのかな。皆さんの実感としてはどうなんでしょうか。

対策?

さて、私自身に対策としてあまり良いアイディアがあるわけではありません。

個人的に気をつけることとしては、まず「他人に意識的に優しくする」ということがあります。文献探しは大変で、困っている人、知らない人がいたら比較的分かっている人が積極的に助けるというコミュニケーションをできるだけ増やした方が良いと考えるからです。

もう1つは入門書・教科書・概説書の整備です。今は私の身近ではこの手の良い本がどんどん増えていてかえってすべてに目を通しにくいということもありますが、入門書・教科書・概説書であることが明確であるものはその分野になじみがない人にとっての入口の1つというのは多くの分野で共通でしょうから、そこに文献に関する情報やレビューができるだけ整理されている方が良いのではないでしょうか。

昨年刊行された下記の共著書は入門書・教科書・概説書としてはかなり文献の情報が多い方だと思いますが、ここまで書いてきたような懸念も背景の1つとしてありました。とにかくこれを読めとリストするのではなく、トピックや概念、言語現象ごとに「それについてはこれに当たると良い」という形の文献参照に努めたつもりです。

形態論の諸相 6つの現象と2つの理論|くろしお出版WEB

また、この手の話は断片的にこれまで雑談の中でしたことがあって、10年以上前に当時既にその分野で活躍されている研究者に「もっと教科書なんかを整備するべきだ」と言ったら、「じゃああなたも書いてね」と言われたことがありました。懇親会でのちょっとしたやりとりでおそらくその方は覚えていないと思いますが、ひとまず1冊は世に出せたので私としては少しほっとしています。ちなみに、その方はその当時から、そして今も後進のための研究環境の整備をいろいろされています。

おわりに

最初の方で紹介した日本語文法学会のパネルセッションでは個々の、あるいは特定の領域の研究者の考え方や姿勢というところにフォーカスが多く、もちろんそれも重要でパネルセッションの目的にも沿ったものだったのですが、個人的にはここまで書いてきたような制度とか慣習とかの問題が気になります。

たとえばうちの分野でもレビュー論文を活発にしたいと考えた場合、査読誌でそういうカテゴリーを新設するのかとか、そういう論文の業績としての位置付けについての共通認識をどうするかとかいったことに向き合わないといけませんよね。

これはここ数年学会の仕事にそれまでとは違う形で関わったことの影響もあるでしょうけれど、ブログの過去記事を読み返したりなんかしていると、個人の興味として研究に関する制度とか慣習とかに興味があるのだと思います。科学哲学や科学への社会学的アプローチにも興味があることも影響しているのかな。

さいきん、ブログでいろいろ書いてきた読書案内を個人サイトに整理し直そうという方針を立てました。

これまでに書いた言語学や研究に関する記事のまとめ - 誰がログ

これもこの記事に書いたことが背景の1つとしてありますので、なんとか分野間/分野内コミュニケーションにも少しは貢献する形にしたいと考えています。

あと、言語学に関して分野間/分野内コミュニケーションを体験できる場として言語学フェスもよろしくお願いします。2025について発表は締め切られていますが、参加登録はまだしばらくできます。

sites.google.com

2024年に書いたものとかやったこととか

はじめに

2024年は出版までに時間がかかっていた著書(共著)が無事刊行されたことや、そのほかの書いたものについてもふだんより宣伝したいものが多かったので、主に研究関係で世に出せたものについて簡単に雑感を書いておきます。

書籍

ようやく刊行することができました。今のところ直接いただいたものの中では「難しいよ」という感想が一番多い気がします(一応それは覚悟の上でこういう内容にしています)。私の専門に近いところからの具体的な評価はまだそれほど聞いていなくてちょっとこわいところです。

後で紹介する個人サイトの方に、この本にチャレンジする前のガイドになりそうなものについてかんたんにまとめましたので気になる方はどうぞ。

[読書案内] 形態論の入門書・教科書・概説書 | 田川拓海

è«–æ–‡

これもだいぶ長い間構想はあったのですが、主にXになってからの変化が急激なことへの危機感が大きくなって慌てて書きました。特に言語研究を中心にした人文系の研究で研究の出発点や前提の整理として使っていただけるかなと思います(意外とこの辺りのことを自分でまとめるのは大変そう)。

研究発表

指導学生の研究が中心ですが、生成AIと日本語のライティング評価は大学での担当教科や業務に大きく関わることでもあり、研究としての関わりも持てたのは大変良かったです。でも技術的にも研究的にも進展が早くて追いかけるのが大変です…

  • 田川拓海「ゲームと言語の研究を考える:ゲームの言語学は(どのように)できそうか」第1回ゲームと言語研究会.

なかなか論文化できていませんが、研究としては少しずつ進められてはいます。第2回の研究会も目処が立ちましたのでまた告知します。

  • 田川拓海「分散形態論における阻止」日本言語学会第169回大会(ワークショップ「阻止はどこで,どのように起こっているのか?」).

北海道大学開催で、Snow Manやback numberのライブとバッティングしたことで交通や宿泊が大変だった学会の1つです。大会運営委員の方の業務が元々大変な上にトラブル続きでものすごくしんどかったので、このワークショップができたことが救いになりました。上で紹介した共著書の宣伝も兼ねているので、資料を見ると阻止 (blocking) の章の内容が少し分かるかもしれません。しかし日本言語学会で英語のセッションで日本語が第1言語でない発表者の司会になること自体がかなりレアケースなのにそれに機械トラブルが重なるなんてどんな運の悪さなのか。

  • 田川拓海「モダリティ形式「方がいい」の形態統語的特徴」日本語文法学会第25回大会.

九州大学開催。キャンパスが新しくなってからはじめて行きました。実は日本語文法学会ではパネルセッションでばかり参加していて研究発表ははじめてでした。久しぶりにお会いできた方も、思いがけずお話しすることができた方も多く楽しかったです。お一人お一人とはなかなかゆっくり話す時間がありませんでしたが…研究発表の方はつっこみどころがたくさんあったからかたくさん質問・コメントいただけて嬉しかったです。ここまで理論面が背景化した発表をするのはかなり久しぶりだったのですが、理論的前提はある程度整理しておいた方が良かったなというのが反省点です。聴衆として参加した発表も面白かったので別に参加記を書くかもしれません。

個人サイト

少しずつ作っていたものなのですが、ある程度の内容が出揃ったのは今年です。

ttagawa-dlit.info

個人的なおすすめコンテンツは下記の辺り(形態論の本の紹介は上に載せたものと同一です)。自分の研究の説明とかもあるといいのでしょうけれど手が回っていません。

ブログにある読書案内も、今後更新するものについては個人サイトの方に移すことを考えています。もちろんその場合にはブログの方に告知します。

ブログ記事

個人的に思い入れがある記事は下記の辺りです。

おわりに

今年はお仕事でもけっこうヘビーな業務が多かったです(思い出したくないので振り返りません)。さいきん上の世代の先生方が立て続けに退職を迎えたこともあって、今後も大変になる未来しか見えませんが研究面では面白いこともいろいろあるのでなんとか継続したいですね。個人的には(デジタル)ゲームに関する研究を本格的に軌道に乗せたいのですが苦戦しています。

個人サイトに形態論(言語学)の読書ガイドのページを作成しました

この記事・企画は言語学な人々 Advent Calendar 2024 の3日目の担当として作成したものです。

adventar.org

2024年10月に刊行された『形態論の諸相 6つの現象と2つの理論』の販促も兼ねて、

www.9640.jp

この本にチャレンジする前に、あるいは平行して勉強するために参考になる本の読書案内ページを個人サイトに作成しました。個々の本の紹介については下記のページをご覧ください。

ttagawa-dlit.info