「専業」VS「兼業」?

「働きながら子育てをしている母親にイライラする」の増田を読んで、「専業」VS「兼業」の対立にして欲しくないなあ、と。
「専業主婦」の私も、「これだから「専業主婦」は、、」的な言われ方をすることもある、
相手の気に入らない性格をその属性全体の「特質」にして「蔑称」と変えるやり方は醜いから、そういう「対立」はなくなればいいといつも思う。
もちろん「専業主婦」の中には「痛い」イヤな奴もいるけれど、それは正直に言って「兼業(?)主婦」の中にもいるんじゃないかな。
ただ、「子ども」が出来るとつきあう「母親」は「専業主婦」が多いから、「痛い」奴の割合は双方「同じ」でも、「数」の上では「多く」なる。
「お母さん集団」はやはり今でも「専業主婦」が多数を占めていて、
それは女性が働き続けながら子どもを育てることがいかにこの社会で難しいことかの証明なんだよね。
その「難しい」ことをしている人への「憧れ」や、それが転じた「嫉妬」を持つ人も少なからず存在する。
そうなるのは、多分「完全でありたい」とすり込まれたせいなんだろうね。
現在42歳の私が既に「やはり「仕事」も「家庭」も「子ども」もってこそ、一人前」の「意識」をどこかで持っているもの、
「家のこと「だけ」でいいの?」という自問はこの年になっても常にある、「自己実現という病」と私はうそぶくんだけれど。
子どもたちが小学生のころ、PTA役員会でしょっちゅう「揉め事」はあって、
でもその「揉め事」は「専業」VS「兼業」の単純な対立ではなく、
うちの地区では、「自営業者」VS「サラリーマン」、「時間の自由がきく(けれど固定給ではない)」VS「時間の余裕がない(でも一定収入あり)」
つまり、「経済力」に対するうっすらとした「嫉妬」が揉め事の根底にある気がする。
「自営業」者は会社勤めの人に「固定給がある」ことにどこかで「嫉妬」があるな、「母親対立」だけではない、と感じることが私にはよくある。
「経済」の不安定さが他者への「攻撃」に変わってしまうのはどこの世界でも同じこと、それに「子ども」が絡むと「焦り」が拍車をかける。
目の前の「揉め事」しか見えてなければ、そこまでの「自分」に気がつくことはないと思うけど。
「なんで、あの人は「忙しい、忙しい」ばっかり言ってこないのよ!」って、「忙しいのは誰も同じじゃない!」と怒る役員の一人は
自営業者で、確かに彼女は本当に「忙しい」、でも、「時間」を「自分で」、ある程度使えるだけの「自由」があることに気がついていない、
対して、「いえ」の「そと」で「働いている」人は相手の身なりが「専業主婦的」(?)と考えると、「専業主婦が何か言ってる」としか見えない。
同じ「働く女」であることがお互いが「見えて」なかったりして、ううむ、これはどうしたことか、
と言って、中に入ってなだめられるほどそれぞれのことを知っているわけではなかったんで、こちらに「飛び火」しないように
気の合う「兼業母」とお互いが出来ることは出来るだけ、細々「末端」役員業をつとめていたりして。
「完璧」を求めれば、どこかで何かを「マイナス」しなければならない、その「マイナス」がどこかを決めるのは「自分自身」、
私は転勤する相手と、共に暮らして子どもを育てる道を「自分で」選んだので、今「専業主婦」をしていることに特に後悔はない。
また、配偶者の「転勤」があるまで、私も仕事をしたから、働きながら子育てしている友達がいるし、
友達の苦労がわかるから、「働くお母さんはえらいなあ」と心から思う、「私には出来なかったなあ」と友達の「努力」に賞賛を惜しむ気はない。
「仕事を辞めた」のが本当に「自分の意思」であったかどうかが、イライラの原因かもしれないなあ、と増田を読んで思った。
母親になるのは難しいね、「産む」だけで「終わらない」、「始まる」ことはこの先、多々。
「専業」「兼業」お互いに仲良くなれば、世界は大きく広がる、それが私の「理想」だけれど。
しかし「兼業母」には「時間」がなさ過ぎるわ、仲良くなる「ヒマ」もなかなかない。とても残念だ。