絶望感の深さ

医師不足なる問題が「ありそう」な事は政府レベルでもほんの少しだけ認識されているようですが、その認識での対策にどれほど絶望感を深めている医師が多いかに気がつくまでは距離が果てしなくあるように感じています。

安倍総理が100億円、福田総理は161億円の医師「確保」対策を打ち出していますが、金額も内容も医師の心を打ちません。診療報酬改定に当り、厚労省がお座なりに主張している「勤務医の優遇」もまず誰も反応しません。根っ子の、根っ子の、根っ子の根本問題を気がつかないのか、故意に無視しているのかはなんとも言えませんが、スルーして先送りしているからです。

勤務医が待遇改善として要求しているものは何でしょうか。例えば給与、誰だって貰えるのなら幾らでも欲しいところですが、これは極論しますが、現在の給与でもさして不満ではありません。国際比較でも、他業種との比較でも低いですが、それでも今の給与が不満で到底働けないと考えている医師はごく少数派です。

では何が欲しいのかと言えば余裕です。

どこの職場も多忙です。3人分の仕事を2人でするとか、5人分の仕事を3人でするなんて珍しくもない職場環境です。当直と言う名の違法夜勤も含めると勤務医は2人前以上の仕事をしていると言っても良いと考えます。さらにその仕事量は減ることは無く、年々増加の一方です。増える内容とすれば単純に患者の増加、書類仕事・会議の爆発的増加、患者への説明量の増加などなど、なかには必要なものもあるでしょうが、とにかく仕事は増え続けています。

いくら鞭打たれても2人前以上の仕事を何十年も続けていくのに限界を感じ出しています。この状態を緩和し、余裕をもって仕事に臨める環境を作ることが勤務医への優遇策と考えます。つまり医師を増員して欲しいです。人が増えないと、鞭打たれようが、ニンジンをぶら下げられようが、もう働けないの実感です。本当に消耗している状態とお考え下さい。消耗しつくしてしまうと「収入が高く、社会的な地位も高い」であるとか、「社会の尊敬と期待にこたえて」みたいな言葉は犬の遠吠えほどにも心に響きません。もちろん医師の心を凍らせる訴訟問題はさらに心を萎えさせます。

もちろん医師不足であるから医師確保対策なるものが打ち出されています。しかしこの確保対策なるものの根本が

    どこからか医師を連れてくる
医師は医者馬鹿である面を否定しませんが、通常以上の情報分析力があり、ネットの普及により情報収集力も十分備えています。難解な政府文書や統計資料も読むことも理解する事もできます。その結果、医師は知ってしまったと思います。「どこから」かの「どこから」など日本に存在しない事です。どこからか連れてくれば、連れ去られた方がその瞬間に悲鳴をあげます。どこかを充足させれば、その代わりに多くのところが足りなくなります。間違ってもすべての医療機関を充足させる医師など初めから存在しない事です。

きわめて単純な算数に過ぎません。これまで余りにも情報不足で「どこから」か援軍がいつか来るんじゃないかと期待していた面があります。例えばフィリピンのルバング島で戦後29年間戦っていた小野田寛郎陸軍中尉みたいなものです。ところがこの情報社会ではそうはいきません。ほんの1、2年で医師は全く足りていない事を知ってしまったのです。

さらに都合の悪い事に、医師は短期間に大量生産できる性質のものではありません。来年度入学した医学生が卒業するだけでも6年、半人前程度の技量を身につけるためにさらに5年以上は必要です。医学部枠を大増員して医師増産に努めても20年単位で医師は充足しませんし、そんな気はサラサラないのは医師なら分かります。

まったく足らない医師を「確保」して充足させる対策などマスターベーションに過ぎません。さすがは国家なのでマスターベーション一つに100億円とか、161億円を費やすのは壮大ですが、所詮はマスターベーションであって、マスターベーション以上のものではありません。

本当に必要な事は現在の医師数に相応しい仕事量に需要を抑制する事です。それ以外に解決法はありません。

しかし患者にとって、国民にとって飛び切りの痛みになります。医師もまた精神として、そんな事は許される事では本来ありません。為政者もまたそうで、こんな事を発言実行したら、世論の袋叩きに合い、政権を失います。結局のところそんな政策は現実として行なえないという事です。行なったとしても非常に緩やかで長時間をかけ、行ったり来たりするぐらいのものが精一杯ですし、現実は正反対を向いています。

算数的に確保できない医師確保対策はマスターベーションに過ぎず、現実として唯一の解決策のアクセス制限は事実上の禁じ手であるということです。そしてツケは医師が一身に背負います。

去年にデスマーチの例えを紹介した事がありますが、デスマーチの元の話である聖書では、限界を越えたロバに乗せられたのは一つかみの藁でした。限界を越えた要求をその身に背負い続けた医師は、すでに消えつつあります。ロバと違い一瞬に背骨を折って即死するようには見えませんが、スローモーションのように今崩れ去りつつあります。

ここで余りにも深い絶望感に囚われるのは、これが必要な人には見えず、見えない人にはロバが死んでも理解できない事です。例え死んでもリセットすればすぐに生き返ると信じている、テレビゲームで遊んでいる子供のようにです。