シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

東京電力に責任があることを無視していたのは誰だ?

こんなエントリーが出ているのに気付いた。


東京電力に責任があることになったら笑う人は誰だ? - 常夏島日記
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110327/p1


相変わらず、都会に住む人間、というヤツは、自分に見えない犠牲というものに冷淡なのだな、と愕然とする。


今回の震災で問題と思っているものに、原子力災害の他、交通が挙げられる。被災地での燃料不足は、車中での一酸化炭素中毒死を招く事態となっているが、結局のところ、田舎というものを自動車無しには生活が困難な状況にしてきた、という問題だ、と云えるだろう。震災を予想していた訳では無かったが、自動車を中心とした交通政策や交通インフラを構築する事は、とりわけ交通弱者へのしわ寄せを招き、結果、誰にとっても暮らしにくい地域になる、という事を説いてきた。この震災では、その状況があぶり出されたと云って良いんじゃないか、と思う。


私が自動車中心の交通政策に対して批判する際に、大変に参考となったのが、宇沢弘文先生の「自動車の社会的費用」である。この著作はすでに古典的名著と云って良いが、その中において、日本が自動車社会に変わっていく際に、交通弱者の存在や、安全対策、公害問題などを、自動車を広めたい側が、それらの問題に対応し負担すればコスト高になるがために、そのコストを無視するか、社会全体に転嫁してきた事を厳しく指摘している。


例えば、道路建設において立ち退きを迫られる人々や、さらには道路を遊び場にしていた子供、排気ガスによる健康被害を受ける患者達、もちろん交通事故被害者。彼らを無視するか、またははした金で黙らせるか、社会全体の負担=税金の投入、によって「自動車が便利な社会」というのは作られてきたわけだ。キチンと安全性や環境対策、社会福祉的対応に掛かるコストを乗せたとしたら、現在のような「自動車社会」は到来しただろうか?実際、これらの(正当な対価としての)コストを乗せる事を日本自動車工業会が批判した事が記されている。


このような構図は自動車に限る訳ではない。水俣病を含めた公害だって同じである。
水俣病は今なお決着の付かない、付けてはいけない問題だが、公害発覚時に「公害対策費を上乗せしたら会社が潰れてしまう」「産業界はやっていけない」という声が持ち上がっていた。
「現実的に工場を停めることは出来ない」といい、御用科学者が公害の原因を否定してみせる、という構図もあった。水俣病患者やその家族が責められ、差別されるという倒錯した様相さえあった。
四日市ぜんそく問題や尼崎大気汚染問題などでも窺えることだ。


原子力もまったく同じ構図である事がわかる。
日本における社会・産業政策というのは、すべからくツケ回しされる人々などを無視することで、正当な対価を科すことなくコスト削減して、振興してきたものなのだ。
逆に考えれば、正当な対価を科せば、自動車がこれほど広範に利用される社会にはならなかっただろうし、原発が安い電源だというプロパガンダも行えなかっただろう。
別に日本に限った話でも無い。メキシコ湾での原油流出事故に関しても、危険性を過小評価し、安全対策を取らない事でコストを切りつめていた、話は既にした。


あらかじめ告げられていた原油流出事故
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20100627/1277600159


そうして考えれば、東京電力に責任があることになったら笑う人は誰だ? などというのはまったく的外れな質問だ。


今まで東京電力に責任があることを無視してきたのは誰なのか?と問うべきなのだ。
今まで、原子力政策において誰がそのツケを被ることになっていたのか?安全性確保のための費用を上乗せする事をしなかったのは何故なのか?その恩恵を受けていたのは誰なのか?


被災によって、それが可視化されたに過ぎない。


さて、このところの原子力災害関連の記事を見て気付いたのだが、自分もブログの中で結構前から指摘しているような事が「勉強になった」とか「知らなかった」という意見が付いたりしている。
例えば、下請け労働者問題や、地震問題や電力需要の問題など。
自分が取り上げている、ということは、既に手に入れる事の可能な情報ばかりだった、という事を意味している。
つまり、何のことはない、存在はしたが省みられる事のない情報だった、という事だ。
以前も取り上げた「記憶の自殺」である。


記憶の自殺
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20100422/1271947736


この期に及んでも「原子力は必要だ」という様な輩は、もはや処置無しのクソ野郎としか言いようがない。

一応、クソ野郎に反論


原発の要否 かばば日記
http://d.hatena.ne.jp/kababa/20110329#nuclear

俺の考えとしては、明らかに(ベネフィット)>>(リスク)なので、必要です。もっと言えば、必要悪です。交通事故で年間何千人(ちょっと昔だったら1万人以上)が亡くなってるのに、自動車の使用が禁止されないことと、本質的には同じです。

まあ、このあたりでこのクソ野郎のゲスっぷりが示されるわけだが、利益を得る側とリスクを負う側が同一で無い事が問題なのだ。
交通事故によって自動車使用が禁止にならない、事は、むしろ理不尽さの問題であることは、「自動車の社会的費用」によって説明されている。故意に無視してきた結果に過ぎない。しかも、自動車事故による影響と原子力災害が比較になると思っているのだろうか?自動車事故に対しては民間保険が可能だ*1が、原子力災害に関しては民間保険で受け手が無かった、事が、リスクヘッジのプロが原発をどう考えているか、の証拠である。

原発なくても生活できるか検証したのか?って主張は、2つの点で問題があります。1点目は、それは本来原発がいらん、と主張する人が「なくても行ける」と検証すべき点であること、2点目は、そもそも「ないとダメ」ってのは悪魔の証明であって原理的に検証できないこと、です。

まったくダメダメ。反原発活動なんてのは、それこそ原子力黎明期からある。それを無視して強引に原子力政策を進めてきて、「「なくても行ける」と検証すべき」というのは、話が逆だ。
そもそも、原子力も黎明期にはそれが行けるかの確証も無く進められてきた、という事を無視している。
再三、見直す機会(スリーマイルにせよチェルノブイリにせよ)があったのに、それを無視して、ここまで来てしまったのであって、何を今更、としか言いようがない。
それにしても、「悪魔の証明」って言い出すヤツにはろくなヤツがいないな。

「分からない」「怖い」「気持ち悪い」って理屈はよーく分かります。ノートパソコンや携帯電話に乗ってるリチウムイオン電池も、取り扱いを間違えたら爆発しますよ?そんなもん膝に乗せたり胸ポケットに入れたりして大丈夫ですか?

リチウム電池だって、もちろん安全に対する配慮はされているが、そのリスクは個人レベルで掛かるものでしかない*2。原子力災害のリスクは、広範囲・長期間にわたる上に、日常において不可視な状況にある事が問題なのだが。こういう比較して恥ずかしくないのか?

お前は家の近くに原発がないからそんなこと言えるんだ、という方もいらっしゃるでしょう。これも本質的には「お前は交通事故に遭ったことがないから自動車なんかに乗るんだ」という主張となんら変わりません。

全然違う。運転側(利益を得る側)が、歩行者に被害を与えたら、当然非難されるだろう。交通事故が多発する地域で生活者(歩行者)が運転手に「ここに乗り入れるな」と主張することは正当な事だろう。
リスクを被る気も無いものが、気安くリスクを人に負わす発言するとはね。

火力発電
化石燃料はあと数十年で枯渇すると言われています。まして、京都議定書の温暖化効果ガス排出量マイナス6%の目標はどうやって達成するんでしょう?

ウラン資源も数十年と保たない。で、火力に関して言えば、現在の最新鋭型 コンバインドサイクル型は効率が旧来タイプより10%以上高い。原子力への投資を理由に、日本ではコンバインドサイクル型の導入は遅れていたので、火力だってCO2削減に寄与出来る。

水力発電
ダムの建設も壮大なる環境破壊です。コスト面で見ても、もう経済的に見合う場所には概ね作られちゃいました。あとはどんどんコスト高になるだけです。次はどこの村を沈めろと?と言ってる人もいましたね。蓋し名言。

個人的には水力には余り期待しないが、旧式の発電機を利用しているところでは発電機を交換するだけで効率は結構上がる。他にマイクロ水力のようにダムを必要としない分散電源として利用可能なタイプの研究が進んでいる。

地熱発電
おおー、良いアイディアですね。確かに資源は豊富です。その代わり、日本中から温泉が消えるかもしれませんよ?昔ながらの温泉地の皆さんにどうやって生きていっていただきましょうか?温泉療養をどうやって代替しましょうか?(温泉が無ければ、お湯沸かすのにもエネルギーが要りますね)

地熱発電で必要な温度は温泉利用と競合しない。むしろ、廃熱媒が温泉として利用可能だ。個人的には地熱発電は期待していないが。

太陽光発電
コストベースで小売電力料金の倍で、しかも昼間しか発電しませんなあ。夜はどうしましょう?ちなみに、出力ベース(発電量ではありません)で原子力発電所1基分を代替しようと思ったら、山手線の内側と同じくらいの面積に敷き詰める必要があります。そして、原発の設備利用率60〜70%に比して、太陽光発電のそれは約12%*1。

原子力には正当なコストが掛かっていない事は説明した。長距離の送電網、核燃料精製・濃縮設備、再処理工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵設備、そして国からの莫大な投資分などは含まれていない。そもそもコストが公正な評価になっていないのだ。今後は更に高コストになる事が見込まれ、核燃料自体も値上げが見込まれている。
一方で、太陽光発電は、この数年でコストの低下が著しく、技術進歩で効率向上が進んでいる。
昼間しか発電しないのは欠点になりえない。電力需要は日中に偏っている。電力会社が進めていたオール電化を含む深夜電力使用促進は、夜間の需要を伸ばし、需要を平滑化するためだった。
面積の話もトンチンカン。従来デッドスペースであった屋根に載せれば分散電源として利用出来るのがメリットであり、それがゆえに「スマートグリッド」が脚光を浴びているのに。


参考:太陽電池は今でも高コストか?
http://d.hatena.ne.jp/andalusia/20110329

風力発電
コストベースでほぼ小売料金とトントンな上に、まさに風任せの発電。しかも低周波騒音被害を訴える人続出中。人里離れた山の上に作ったら?送電線引くコストがナンボかかるんでしょう…。

放射性物質による健康被害は無視しても構わない、地方に原発を押し付けても構わない、という人が、低周波騒音被害を訴える人を気遣うとは!優しいですねぇ(棒) 送電線を引くコスト、って原発は?

バイオマス
そうでなくても林業はコストが見合わなくて苦労してるのに、この上山から木を降ろして来いと?大量に?太陽光発電どころのコストじゃありませんよね…。まして忘れちゃいけない、山から木を降ろしてくるのにもエネルギーが要ります。

林業が割に合わないのは、木材利用として輸入木材に対抗出来ないからで、これは為替レートの問題。原油やウランの価格が上がれば割に合うだろう。ちなみに、バイオマス自体は山林木材だけじゃなく、食品残渣や田畑、下水汚泥からのメタンも指す。間伐材・廃材利用なら、国産材利用の副次物として利用すればコスト面で問題は減る。

国民の省エネ努力!
これが一番荒唐無稽で、京都議定書の目標を達成しましょう!とあんだけ官民挙げたキャンペーンが行われていたのに、結局省エネ努力をしたのは産業界だけで、家庭も業務(オフィスとかコンビニとか)からの排出量(≒エネルギー使用量)は右肩上がり(家庭について言えば、世帯当たりでは減ってるけど、世帯当たりの人数が減ってるので、一人当たりでは増加してます)。強制的な手法でも使わないと無理でしょ。最大のエネルギー消費要因である、エアコンの使用でも禁止しますか?夏には死人出るで、普通に。

産業界は削減において積極的な企業と消極的な企業があるため、ごっちゃに出来ないのだが。さらに、削減に消極的な企業が大部分の排出を行っている。鉄鋼とかセメントとか。家庭部門での総量は大した事が無いので、そもそも論の立て方がおかしい。それから、家庭でのエネルギー消費最大なのは、どちらかと言えば給湯と暖房である。給湯暖房に関して言えば、ソーラーシステムの利用が効果的なので、太陽光発電と併用した太陽熱利用が増えていくだろう。


というわけで、原発推進派、というのは、自分で勝手に「代替案はダメ」というシナリオを勝手に造り上げた上で、それを基に「だから原子力は必要なのだ」みたいにやる。そんな手を50年間も続けてきたツケが今出たのだ、ということすら理解出来ない。


あ、こういうのもあったね。


デンマークでの風力発電事情から学ぶべきこと
http://d.hatena.ne.jp/rcf/20080626/1214471150


ブクマをつけている連中も、せめてwikipediaくらいは調べればよかったのに。


Center for Policy Studies(wikipedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/Centre_for_Policy_Studies


ここ、あのサッチャー達が作った、ネオリベというかシバキズムというか、そういうシンクタンクなんだけどね。言ってみれば、イギリス版「日本財団」というところか。
だいたい、なんでデンマークに絞っているのか。現在の風力発電量推移に関しては、資料が幾らでもあるが、ドイツやスペインなどの実状は載せてないのは何故か考えてみればいいのに。


だから、こういうヤツも出るんだろうな。





自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

水俣学講義

水俣学講義

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

四日市公害―その教訓と21世紀への課題

四日市公害―その教訓と21世紀への課題

浜岡原発の危険住民の訴え

浜岡原発の危険住民の訴え

エコ・ウオーズ 低炭素社会への挑戦 (朝日新書)

エコ・ウオーズ 低炭素社会への挑戦 (朝日新書)

*1:もちろん、保険と事故による損失が当事者にとって等価であるかは疑問であり、宇沢先生はその点を問題視している

*2:もちろん、複数人数に関わる場合が無いとはいえないが