レビューだって価格設定され、市場化する

ここ何回かプライシング(価格設定)について書いてきました。今日は「レビューの価格」についてです。

ネットでモノを買う人が増え、商品や店舗にたいする“レビュー”の持つ影響力は今やとても大きくなっています。ホテルやレストランの評判から本の感想、宅配される野菜から最新型の家電製品まで、ネットに掲載されたレビューを参考にする人はたくさんいますよね。


このため質の良いレビューを数多く集めることは、販売者にとって極めて重要です。しかし、それは簡単なことではありません。

レビューを増やすために市場運営会社は、レビュアーが有名になれる(もしくは、自尊心を満たせるような)仕組みを用意します。具体的にはレビューに対する評価(多くの場合、星の数)に応じて“ベストレビュアー”といった称号を与えるわけですが、これも組織票効果が大きく出るなど、巧く機能しているとは言えません。


レビューシステムの運営方針に関して、アマゾンと楽天は対照的です。アマゾンでは書籍を中心に数多くのレビューが付いていますが、その質は必ずしも信頼できるものではありません。

ネット上でアクティブに活動している人や政治家の書いた本、韓国や中国に関する商品、なんらかの事件がきっかけでターゲットにされた企業の商品などに、アンチと呼ばれる人たちが大量に偏ったレビューを投稿しており、その手口も非常に巧妙です。

彼らは、罵詈雑言ではなくあたかも公正に評価しているように見える文章を練りあげ、一夜のうちにレビューの評価を上げるための星や評価ポイントを100個も200個もつけて自分のレビューを目立つ場所に配置したりと、特定の商品や著者、企業を叩くことに、惜しみなく人生の時間とエネルギーを注ぎ込みます。


アマゾンはこういった人たちにとても寛容なサイトで、かつアクセス数が非常に多いので、誹謗中傷目的でレビューを書きたい人たちに「レビュー市場として選ばれている」状態です。

そのおかげで、他の書籍レビューサイトはほとんど荒れないという現象さえ起こっています。(私はこれを“ごみ箱効果”と呼んでいます。ごみ箱が一つあればゴミはそこに集まり、あちこちにゴミが散らかるのを防げるんです)


一方の楽天では、レビューはその商品を楽天で購入した人が一回しか書けません。また、レビューに星を付けて評価することはできますが、評価が高くてもレビューの表示順序が自動的に変わるわけではないので、大量のメールアドレスを駆使して、自分のレビューを不自然に目立たせることができません。

このように楽天は「アンチにとって使いにくいレビュー市場」なので、彼らから敬遠されています。(ただし楽天のレビューがそういう仕組みになっている理由は、アンチ対策ではなく、ショップ関係者による自画自賛のやらせレビューを誘発しないためだと思います)


「そのサイトで買った人しかレビューが書けない」、「人為的に自分のレビューを目立つ位置に配置できない」という方式は、レビューの質を担保するには効果的ですが、レビューの数を確保するという観点からみれば、楽天の各ショップ(特に新規参入ショップ)は大変な苦労をしているはずです。

質のよいレビューが多数集まると、販売の強力な後押しになることはみんなわかっています。つまり、質の良いレビューには「価値」があるんです。(念のための注:“質のよいレビュー”とは、商品にたいして肯定的なレビューという意味ではなく、購買判断に役に立つレビューという意味です)


そして、価値のあるものは必ず価格が付きます。「お金を払ってでも、それを手に入れることが合理的である」という状態となり、実際にお金を払ってレビューを手に入れようと考える人が出てきます。

こういう話をすると、以前「食べログ」で問題になったような「アルバイトを雇っての、組織的なやらせレビューの投稿」を思い浮かべる人がいるでしょうが、あれもアマゾン同様、その店を使ったことのない人でもレビューが書けるからこそ発生する問題です。

では、楽天のように「商品を一回買ったら、一回レビューが書ける」という仕組みのサイトではどうすればいいでしょう?


販売店はいろんな工夫をしています。たとえば、レビューを書いてくれた顧客には
・配送料を割引する
・製品の保証期間を1年ではなく3年にする
・おまけの商品を送る などですね。


レビューの内容についてはなんの制限もありせんから、ネガティブなレビューを書くことも可能ですが、そもそも一般の消費者は(=アンチの人たち以外は)大半の人がマトモなレビューを書くため、そんなに心配する必要はありません。

重要なのは、モノを買った人にレビューを書くというインセンティブを与えることです。上記の例でわかるように、今のところインセンティブは数百円です。つまりそれらの店にとっては、レビューコメントは数百円の経費をかけても集める価値があると認識されているわけです。

この「レビューの値段」は商品や状況によって変わります。たとえばホテルなどでは、ミネラルウオーター1本のプレゼントでも、それがために、宿泊したホテルのレビューを書こうと考える消費者はたくさんいるでしょう。


人によっては、1レビュー数百円は高いと思うかもしれません。でも、その効果はおそらく必要な経費よりかなり大きいです。100個のレビューを集めても、300円×100個で3万円。マーケティング費用としては格安でしょう。

特に「レビューがゼロ」なのと、「10個以上ある」のとでは、消費者の安心感は相当に大きく違うはずで、数万円のコストなら十分ペイすると考える店はたくさんあると思います。



私はこの「レビューを書くインセンティブにお金を払う」ことに肯定的です。

最近は“ステマ”とか“やらせ”とかいう流行り言葉を使い、レビューに金銭対価がつくことを否定的に捉える人もいるようですが、私にとっては「価値あるものに価格が付く世界」はきわめて健全です。

貨幣経済下の社会においては、いままで価格がついていなかったものに経済的な価値が認められ、適切な価格設定がなされて、取引が拡大することで経済成長が起こるのです。「価値があるのに価格が設定されていないもの」は、搾取されているか、価値が有効活用されず、無駄に捨てられています。

今は価格設定がなされていない主婦の家事労働とか子育て労働だって、適切な価格設定がなされて市場化が進めば大きな産業になり、生産性もあがるはず。あんな大変な労働に価格を付けないなんて、それこそ「ブラックな職場なのでは?」と思えるほどです。


もちろん、肯定的なレビューだけにお金を払うのは問題です。しかし、「実際に購入した人がレビューを書いてくれたら、内容に関わらずお金を払う」のは何の問題もありません。

むしろ何のインセンティブも用意せず、商品を購入した顧客に、やたらとレビューを書け書けと催促してくる店よりよほどマトモだし、さらにいえば、そういったインセンティブ無しでもレビューが集まるよう、おかしな人たちに使いやすいレビュー環境をいつまでも放置するより、100倍マシだと思います。

レビュー市場は未だ整備されておらず様々な問題が起こりますが、それらは、新しい価値が市場化されていく過程において不可避な試行錯誤です。


物理的なモノしか売れない時代から、サービスというスキルや時間(手間)に対してお金が払われる時代を経て、これからは「価値あるものには、その形態を問わず、価格が付く」時代がやってきます。

個々人にとって大事なことは、「自分が持っているもので、今は価格設定がなされていないけど、実は価値がある、というものは何か無いのか?」という視点で、自分のスキルや経験、生活を見直すことでしょう。

伝統的な商品だけがお金になるのではありません。趣味やこだわり、感情や根気、何年も続けてきた生活の慣習の中から、思いもかけないものが市場化されることにより、経済的価値が顕在化します。

というか、「価格付けして市場化する」というセンスとスキル(=私はこれを“市場化スキル”と呼んでいます)があれば、今みんなが考えているよりはるかに幅広く、多彩なものが売られ、換金できる時代がやってくることでしょう。


そんじゃーね



<過去関連エントリ>
・「規制強化と規制監督の強化の違い」
・「アマゾンと楽天」
・「There is no alternative to market」
・「非生産的な議論の例3つ」