「税と年金の一体改革」 ちきりん私案

ちきりんが「プーやってます」というと、よく尋ねられるのが「どうやって食べてるんですか?」という質問。

会社辞めてからまだ1年もたってないので「貯金で食べてます」と答えると、今度は「一生食べていけるだけの貯金があるんですか?」と聞かれます。

この「一生、食べていけるだけの貯金」というのは、結構おもしろい概念だなと思います。

みんなソレっていくらくらいだと思ってるんでしょうか? 

1億円? 3億円? 10億円? それとも3千万円くらい?


これ、マネー誌などでも頻繁に試算されていて、いろいろ数字をこねくり回したあげくに「資産の3分の1は投資信託で運用しましょう!」という「またソレかい!」みたいな結論が常に導かれているんですが、

こういうシミュレーションでは、老後資金の必要額は「毎月の生活費として必要な額」と「平均寿命」を掛けあわせて計算してあります。

このうち毎月の生活費の方は、様々な条件設定で複数シナリオが提示されている場合が多いです。

たとえば「持ち家がある場合」と「賃貸の場合」や、「夫婦の場合」と「単身者の場合」に分けてみたり、また、「旅行や観劇・外食を楽しみたいゆとりケース」と「自宅菜園を楽しむナチュラルライフケース」に分けてみたりね。


が、よく考えてみて下さい。

毎月の必要生活費の額が個人によって異なるように、実は寿命の方も個人によって相当異なります。

そしてホントは毎月の生活費の差なんかより、寿命の差の方がこの試算には余程、重要です。

現在の日本の平均寿命は女性86才、男性80才くらいですが、実際には20年早い60才で死ぬ人もいれば、20年遅い100才まで生きる人もたくさんいます。全員が平均寿命までに死んでいるわけではありません。

そして60才で死ぬか100才で死ぬかによって、人生の長さは40年も違うんです。

一ヶ月に20万円かかるという人の場合、この40年間の生活費だけでも1億円近くになります。


世の中で行われている多くの試算は、平均寿命で「老後に必要な生活費」を計算しています。

しかしこれだと、100才まで生きることになったら5000万円も足りなくなります。

マネー誌やらフィナンシャルプランナーさんやらの言うとおり、老後資金としてシュミレーション通りの資産形成に“成功した人”でさえ、貯金が底をついてから20年間も生きていかねばならないのです。

しかも自分が100才近くになれば子供だって70才以上。先にいっちゃってる可能性も高いです。孫でさえ50才代。祖父母を養える経済力があるでしょうか?

反対に60才で死んだ人は、老後のために貯めていたお金が丸まま余るはずなんです。

試算通りに貯めていたり、退職金をもらったばかりであれば、数千万円残る人もいるでしょう。そんだけ残るなら住宅ローンなんて組まずに家が買えたほどの額です。


結局のところ、自分のお金で死ぬまで(経済的に)困らない人というのは、少々年収が高いとか、ちゃんと貯金をしていたとか、家のローンが終わっていたなんていう人ではなく、寿命の短い人なんです。

反対にいえば、イチローレベルの稼ぎ方をしているのでないかぎり、誰でも(長生きした場合)は、公的な資金の援助無しに食べていくのは無理です。

そして公的な年金制度というのは、唯一その備えになりうる制度なんです。


だから「年金制度が若者に損だからなくしてしまえ」という話を聞くと、ちきりんはいつも「それってどうなの?」って思います。

自分のお金だけで一生食べていくなんて基本は無理です。

下手したら100才どころか120才まで生きる人もいるんですよ。60才から60年分の生活費を貯めておくなんて無理でしょ。

また、60才くらいで30才くらいの女性と再婚するお金持ち(?)の元スター男性なんかもよくいますけど、あれだって「老後の世話をしてもらえる」とか思ってたら幻想かもしれません。

万が一自分が120才まで生きたら、30才若い相手でさえ90才です。たぶん世話はしてもらえない。

あと最近は、「年金なんて破綻するから払わない」「年金がもらえなくても生活保護をもらえばいい。」的な意見もよく聞きますが、

私には年金より生活保護制度の方が先に破綻しそうに見えますけどね。なんで「年金制度は破綻する!」と思う人が「生活保護制度は破綻しない!」と思っているのか、超不思議です。


結局のところ、この原理原則(=早く死ねばお金が余るし、長生きしたら誰だって足りなくなる)にそって抜本的な解決策を探るなら、

「平均寿命より早く死んだ人の財産から“早死に税”として国が一定額を徴収し、長生きした人の年金の原資とする」というのが、もっとも論理的な解決方法なんです。


これこそまさに「税と年金の抜本&一体改革」でしょ!?


そんじゃーね!