『大パリニッパーナ経』は、ブッダの晩年の姿をうつした美しい経である。その経は、ごく少数の弟子たちとともに歩んだ最後の旅の記録ともなっているのだが、あわせて故郷のカピラヴァストゥに死に場所を求めての旅でも
あった。最近、作家の五木寛之が、同じラージャグリハからクシナーラーにいたる400キロの道をクルマを駆ってたどっているが、酷暑にあえぎ、悪路に難渋し、夜毎ヘビやダニになやまされる苦難の旅だったそうである。
全盛期には、弟子「1250人」をひきつれてラージャグリハのメインスト
リートを闊歩したブッダだったが、学派の経営には興味をもてなかったらしく、はやばやとその地位を知慧第一とうたわれたサーリプッタに譲っている。そのサーリプッタが早世したのちは、頭陀行第一と称されたマハーカッサパがその跡を継いだ。知的な理論派だったサーリプッタからオカルトのマハーカッサパへ、学派内の雰囲気もすっかり変わってもいたのである。
この経典で特徴的なことは、ブッダが、「修行完成者」にふさわしい威厳を保ちながら、その言動においてきわめて人間的なことである。現に、樹下・洞窟に住まい、乞食に命をつないだこれまでの生活とはうって変わり、国王の別荘にとどまったり、高級クラブのママのマンションで手厚いもてなしを受けたり、鉄工所の経営者から豪華な饗応にあずかったりしている。
また、その言葉もきわめて明るく、幸福感に満ちている。
アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。
ゴータマカ霊樹の地は楽しい。バラプッタの霊樹の地は楽しい。七つの
マンゴーの霊樹の地は楽しい。バラプッタの霊樹の地は楽しい。サーラ
ンダダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
サンスクリットのテキストでは、さらに「ああ、この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」という感嘆の言葉がつづく。死灰枯木の「ニヒリスト」にとうていこんなことはいえない。そして、それは「諸行無常」「一切皆苦」という、世界と人生にたいする冷徹な認識に達した者のみに許される清澄な至高の心境なのだろう。
そんなブッダにふさわしく、入滅のシーンもまた美しい情景に描かれている。頭を北に向け、右脇を下につけて、獅子座をしつらえて横たわったとき、時ならぬのに花が咲いて体に降り注ぎ、散り注いだ。あわせて、修行完成者に供養すべく、天の楽器が虚空に奏でられ、天の合唱が虚空に起こったという。そのとき、ブッダのまぶたに浮かんだのは懐かしいカピラヴァストゥの風景であり、その耳に遠く低く聞こえてきたのは、荒野のなかの一筋の道を行く、荷車のわだちのきしむ音ではなかったか。