ボディビルダーは「自分」に興味なし!?
――今作はデビュー作「我が友、スミス」に続き、ボディビル大会を目指す会社員が登場します。なぜ、この題材に惹かれるのですか。
身体を一生懸命鍛える人って、「自分らしさを求めて」と思われがち。私自身もそう思っていたんですが、実際にボディビルの大会に熱心な方って、そんなことは意外と考えてなくって、ただ勝つために自分を大会で評価される型に合わせにいくんです。たとえそれが自分の理想型とは違っていても、それが評価されるからやる、という。そのストイックに泥臭く人に評価されようとするところにすごく惹かれます。
――後藤は、ボディビル大会を「未知の他人との戦い」と表現するのですが、これはなぜですか。
ボディビルの出場者って、大会当日、服を脱いで舞台にあがってはじめてこういうライバルなんだなってわかる。実際に彼らが戦っているのは、当日というよりそれまでの一人で身体を作っている期間なんですよね。未知のライバルを想像しながら。それが面白いと思います。実際にボディビルダーの友達がいるわけじゃないので、全部私の想像でしかないんですが……。
――「我が友、スミス」ではボディビル大会を目指すのは女性会社員でしたが、今回は男性会社員の後藤です。書いてみて、なにか違いはありましたか。
今回、主人公を男性にしたのは、たんにボディビルの大会で体重別に審査されるのが、男性向けのカテゴリーしかなかったからです。この小説は、体重の微々たる増減に一喜一憂するマッチョな男性を書いたら面白いかな、という発想から始まったので。あと女性を主人公にすると、編集の方に「女性の働きづらさ、生きづらさを書いて」って言われちゃうところを、男性にしたことで、純粋にストイックな人が書けたように思います。
「自分らしく」は妥協の言い訳
――後藤は太った同僚たちに対し、「自分の身体に対するリスペクトに欠けている」「自分の体型なんて、自分の意志で、どうにでもなる」と苛立ち、心の中でデブ批判を繰り返します。「ありのままの自分」が良しとされ、ボディシェイミング(body shaming=他人の容姿に否定的な発言をすること)をやめようと叫ばれる昨今、あえてこれを書いたのはなぜですか。
自分でもこれ書いていいのかな?ってちょっと不安だったんですが、体型なんか気にするな、って風潮と同じだけ、理想の体型を求めてジムが乱立する、みたいな風潮もあって、その建前チックなところを突きたいと思いました。
今、「自分らしくいる」って至上なものとされていますよね。例えばパーソナルジムとかでも「自分らしく生きる!」みたいな宣伝文句がつく。でも、自分らしくいていいなら、ジム行かなくていいじゃんって思うんですよ。私もそうなんですけど、「自分らしく」って言うときって、なんか妥協するときなんじゃないかな。そういう欺瞞を書きたかったんです。
――ご自身はルッキズム(lookism=外見至上主義)やボディシェイミング批判に対してどう感じていますか。
率直に言うと、人が自分の目でものを見て、その良し悪しや好き嫌いを判断するのは当然だと思います。あけすけに言えば、美人な人が得をして、ブスの人が損をするって、そりゃあそうだよねみたいな(笑)。だから、得できない側の人が頑張って得できる側になろうとして、例えば整形するというのは、ひとつの努力の形だと思うし、そういういじらしさやしたたかさに、私は人間ドラマを見るように思います。
令和の上司は〈無理ゲー〉説
――石田さんの作品は、これまでもずっと人間の「いじらしさ」に焦点を当てて来たように思いますが、いかがですか。
そうですね。私、昭和の価値観が好きなんです。「モーレツに働くぞ!」「会社のためなら何でもする!」みたいな。そうやって型にハマろうと頑張る人って、すごく〈社会で生きる人間〉って感じがするんです。
――これまでの作品も主人公はいつも会社員でしたね。ご自身もずっと同じ会社に勤めながら執筆されていて、石田さんは、自分が会社員であることをすごく面白がっているんじゃないですか。
そうだと思います。あの上司が嫌だ、とか、ああ、会社だるい、とか思ってるわりに会社のことばっかり喋っています(笑)。編集の方に「たまには会社員じゃない人を書いてください」って言われるくらい。
――後藤は自身の体重がコントロールできないことに苦しみますが、それが徐々に同僚たちをコントロールできない苛立ちと重なっていくところが見事でした。
後藤は入社9年目という設定ですが、私自身ダラダラ働いていたら気がつくと勤続10年が間近になっていて、最近、教育係的な立場になったんです。そうしてみると、最近の上司って本当に無理ゲー(クリアが困難なゲーム、の意味)だな、って思って。部下に「オラーッ!」とか言えないし、部下のメンタルに気を使って「休みなよ」とか言わないといけない。でも、軍隊式に「やらなかったら殴るぞ」ぐらいじゃないと仕事が進まない時って往々にしてあるじゃないですか。そのままならなさをちょっと書きたいなって思ったんです。
浅はかさを極めたい!
――石田さんはボディビルや冷え性など、身体を題材にすることが多い一方、性描写はありませんね。
デビュー作が女性のボディビルダーだったせいか、絶対「性」を書けって言われるんですけど、全然書きたいと思わなくって。星新一さんが「暴力描写、性描写、心理描写を書かない」っていうポリシーを持っていらっしゃって、そこに一方的にシンパシーを抱いてます(笑)。なんか、純文学って「下半身を書かなきゃ人間を描けない」みたいなところありません? それって安直なんじゃないかなって思うんですよね。逆に「下半身を書いとけば人間書けるっしょ」ってなってない?って。私みたいに性に興味がない人ってけっこういっぱいいると思うし、すごく純文学にはアウェイ感を覚えますね(笑)。
――では、石田さんは身体性について考える時、性ではなくて、何を考えているんですか。
本当に身近なことです。ここがかゆいとか、汗かいた、とかそういうことですかね。
――なるほど、石田さんにとってはそういうこともドラマになるってことですもんね。そして、今作もそうですが、自分を律している主人公が多いですよね。
純文学って往々にして堕落している人間が好きじゃないですか(笑)。朝起きてオナニーして、行きつけの喫茶店に行ってそのまま恋人とホテルに……みたいなのがザ・純文学だぜ、みたいな。でも、何の理由もなしに普通にまじめな人っていると思うんですよね。
――ご自身もそうですか?
くそ真面目です。普通に学校行ってましたし、普通に就職しましたし、毎朝起きて会社行って、趣味と言えばジム通いくらいで、我ながら全然純文学チックじゃない(笑)。
――今まで純文学とされてきたものを覆したい気持ちがあるのでしょうか。
いえ、それは全然ないです。そこまで語れるほど本を読んでいない。でも、難しい小説などを読んでいると、人間ってそんなに深くものを考えてないことのほうが多いんじゃないかなと思うことはあります。人間はもっと即物的で、短絡的で、浅はかだと思うんですよね。そんな純文学では「浅い」とされるようなところを書いていきたいです。浅はかさを極めたいんです。
――そんな石田さんが、なぜエンタメ小説ではなく純文学で書いているんでしょうか。
最初はサスペンス小説が好きで書き始めたんですよ。スパイとかテロリスト、スナイパーが出てくるような話が大好きで。何度か江戸川乱歩賞などに応募したんですが、全然ダメでした。初めて受賞したのが2020年の大阪女性文芸賞です。そのとき、審査員の町田康先生に「あなたは純文学だよ」って言ってもらったんです。そこから「すばる」で佳作を頂いてデビューできて。町田先生のことは勝手に恩人だと思っています。
――この先、書きたいと思っていることはありますか?
うーん、じつはなくって。
――では、会社員の石田さんが今面白いと思っている事象ってありますか。
この間、「パワハラ防止BOOK」みたいな啓蒙冊子が配られたんですよ。読むと「上司の心がけ次第」とか、「組織の意識改革が大事」とか書いてあるんです。それを、ある上司が読んで「ほんとにそうだよね、俺の上司に読ませたいよ」って言ってて。きっとその上司の上司も「俺の上司に読ませたい」ってなってるんだろうな、って想像したら面白かったんです。会社では、誰もがみんな、誰かの部下なんで、誰もパワハラ防止を自分ごととして捉えていない。最後、社長までいっちゃって社長は社長で「これは全従業員に読ませなければならん!」とか思っていそうですよね。
――わあ、それすごく星新一的な事象ですね! 石田さんが会社員を面白いと思う理由がよくわかりました。
会社員ってじつは純文学的なんですかね(笑)。