デビューしたての作家も翻訳
2024年12月の「文学潮流」は今年の日本語文学の海外での受容、とくに英語圏のようすを紹介したい。村田沙耶香、柚木麻子、小川洋子、柳美里、金井美恵子といった作家たち。とにかく女性作家に勢いが感じられる。
端的に言って、いま英語圏では日本語文学ブームがある。これまでも、1980年代には吉本ばなな、1990年代には村上春樹という国際的なベストセラー作家が登場したし、1994年には大江健三郎というノーベル文学賞作家も日本から出た。
とくに純文学にファンタジーの要素などを交えた村上春樹の諸作は、日本語文学に対するイメージ、あるいは求められるものを一変させたと言えるが、一方では春樹パワーが強すぎて、むしろ他の日本作家の壁になっている面もあった。
2010年代半ばからの日本語文学の国際的評価というのは従来のそれとは性質が違っている。名声の確立された大作家ばかりを紹介するのではない。デビューしたての作家の第一作がいきなり海外で翻訳されるケースもある。好まれる要素はジャパネスクではなく、犯罪もの、シュールレアル、癒し系(書店、図書館、猫の三つが鉄板)、そしてフェミニズムといったあたりだ。
「ポスト村田を探せ」
近年のこんな言葉が時代の変遷を物語っているかもしれない。
「かつて(英米の)出版業界は『ポスト春樹を探せ』と血眼になっていたが、いまやそれは『ポスト村田を探せ』という合言葉に代わっている」
村田とは村田沙耶香のことだ。イギリスで『コンビニ人間』(文春文庫)の英訳『Convenience Store Woman』(ジニー・タブトリー・竹森訳、Granta Books)に始まり、『地球星人』(新潮文庫)、『生命式』(河出文庫)とつづけてヒットを飛ばしている。今年もこの12月に『消滅世界』(河出文庫)の英訳『Vanishing World』(同訳、Grove Atlantic)が出版されたばかり。
これら村田作品の過激な要素(ペドフィル、性的虐待、人食などなど)をよくアメリカ・イギリスの読者が咀嚼していると感心する。ニューヨークタイムズ紙に掲載されたリディア・ミレットの書評の一節がその理解をよく示しているだろう。
「村田の同調圧力への抵抗としての疎外感の描き方には、1世紀近く前のヨーロッパの実存主義者らの著作と似たものを感じるかもしれない。人類の闇の側面を投映するそのレンズは無垢を装っており、村田のボイスの強みはそこにあるのだ。私たち地球星人は哀しく、出来そこないのボット(ロボット)であり、混沌とした夢の世界を不器用にさまよっているのだ」
英国ではヨーロッパの主要4言語を抑えて1位に
先月11月にはイギリスの新聞「ガーディアン」が日本語文学ブームについて取りあげ、同国の翻訳書の年間売り上げトップ40のうち43%が日本語文学だと報じて、日本でもそれなりに反響があったようだ。とはいえ、この現象はすでに2022年頃にはニールセンの調査によって注目されはじめていた。
2023年の半ばには「ガーディアン」が「若者世代を虜にする翻訳文学のパワー」といった特集を組んだものだ。そこで明らかになったことの一つが、日本語文学のセールスがかなり好調なこと(なんと、ヨーロッパの主要4言語を抑えて1位)。2022年のイギリスでは翻訳文学の売上げ部数は合計で190万部、そのうちトップ30の半数ほどが日本語作家による本だった。川上未映子を含む3名は3冊以上の本をランクインさせたらしい。
もう一つは、イギリスでは若い人ほど外国からの翻訳小説を好むということ。国内市場で翻訳小説の最大購買層は25歳から34歳というミレニアル世代からZ世代の層(全体の25%)だという。小説全体では、定年後の余暇のある世代が最大多数なのに、翻訳小説だけで見ると、引退後の層はたった8%。翻訳小説全体で見れば、13歳から34歳の購入者が48.2%を占める。つまり、翻訳小説の半分近くは35歳未満が買って読んでいるのだ。しかも、その数は年々増えている。
これは日本と正反対の傾向だ。日本では翻訳文学(外国文学)は1990年代までは大変よく売れ、『フォレスト・ガンプ 一期一会』『マディソン郡の橋』『ワイルド・スワン』などのミリオンセラーが連発したが、現在の主力購買層は40代以降ではないだろうか。若者の外国文学離れが言われて久しい。
柚木麻子さんの初英訳書が好評
そんなイギリスで今年、初めての英訳書『BUTTER』(ポリー・バートン訳、4th Estate)が刊行され、英語圏で話題沸騰しているのが柚木麻子だ。この英訳書は私の知るかぎり、イギリスのほか、アイルランド、アメリカ東部、インドでも書店にどんと積まれていた。秋に実施された全英オーサーズツアーも成功を収めた模様。イギリスで最も伝統ある文芸祭「チェルトナム文芸フェスティバル」に登壇し、オックスフォード大学はじめ各大学や書店で講演したという。
オーサーズ・ツアーとは、著書のPRのために作者自らが各地をまわって講演、朗読会、サイン会などを行う活動だ。英米では組織的に計画され、カズオ・イシグロは作品の執筆と同じぐらい大切にしていると述べている。
『BUTTER』にかんしては、BBC放送で人気のブッククラブ番組に柚木本人が出演し、イギリス最大級の書店チェーン<ウォーターストーンズ>の「ブック・オブ・ジ・イヤー」に選ばれ、英国書店協会の「ブレイクスルー・オーサー賞」を受賞するなどの話題ぶりだ。村田沙耶香のブレイクを髣髴とさせる。
また、大ベテランでは小川洋子の評価もますます上がっているのを感じる。これまでにも『密やかな結晶』の英訳『Memory Police』(スティーヴン・スナイダー訳)が国際ブッカー賞、全米図書賞の最終候補になっているが、今年『ミーナの行進』の英訳『Mina’s Matchbox』(同訳)が今年刊行されて好評を博しており、アメリカのタイム誌が選ぶ「2024年の必読書」の1冊にも選ばれた。
ニューヨークタイムズの書評では、ノーベル文学賞を受賞した詩人ルイーズ・グリュックの言葉を引きながらこう評した。
「私たちは子どものころ一度だけこの世界を見る。残りはその記憶なのだ」とルイーズ・グリュックは1996年の詩「ノストス」に書いた。その記憶が刻みつける予言的な光のきらめきは消えやらず、小川はそれをとらえる。読者は初めてマッチを擦ったあの瞬間、これから火を灯す未来は自分の手にあると感じられたあの瞬間に舞い戻ることができるのだ。
花形翻訳者の登場
こうした英訳書の評価の背景には、翻訳者たちのvisibility(翻訳学の用語で訳者の存在が見えること。訳者の知名度や影響力のことを言う)の高まりも感じる。翻訳家は日本では比較的大切にされているけれど、欧米とくに英米圏では扱いが低かった。いまも表紙に訳者名が出ない翻訳書はたくさんある。しかしこの10年ほどでその状況が変わりつつある。ノーベル文学賞作家オルガ・トカルチュクの諸作も翻訳しているジェニファー・クロフトなどは、「表紙に訳者名を載せない本の仕事はしません」と宣言し、翻訳者の地位向上のために運動している。
『BUTTER』の英訳者ポリー・バートンは日本のJLPP(現代日本文学の翻訳・普及事業)翻訳コンクールの第1回最優秀賞受賞者であり、その後めざましい実績をあげている。柴崎友香、津村記久子、松田青子らの小説を英訳し、松田の『おばちゃんたちがいるところ』の英訳『Where The Wild Ladies Are』は世界幻想文学大賞短篇集部門を受賞した。バートンは自らが書いたエッセイ集でも賞を受けており、その慧眼が編集者にいたく信頼されているようだ。
この翻訳者の影響力は大きいだろう。今年、金井美恵子がノーベル文学賞の賭け予想で上位に登場して関係者筋を騒がせたが、金井の『軽いめまい』を『Mild Vertigo』として英訳したのもバートンである。さらにこの訳書の出版社がノーベル賞作家の輩出する版元だったため、これに目をつけたマニアたちが国際ブッカー賞のリスト入りを予想し(実現はしなかった)、そうした一連のことがノーベル文学賞のオッズにも響いたと思われる。
また、スティーヴン・スナイダーはたいへんな大御所で、1990年代から日本語文学を翻訳しており、そこには村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』(英訳Coin Locker Babies)、柳美里の『ゴールドラッシュ』(Gold Rush)、桐野夏生の『アウト』(Out)などが含まれる。
私の記憶では、『Gold Rush』は2000年代の初め、アメリカの書店チェーン「バーンズ&ノーブル」の選ぶ「新人発掘プログラム」に選ばれたはずだ。日本語作家の選出に目を瞠(みは)ったのを覚えている。あれはスナイダーの訳業だったのかと、長年にわたる功績に感謝の念が湧いてくる。
ちなみに、柳美里は今年も、『8月の果て』のモーガン・ジャイルズによる英訳『The End of August』が全米翻訳賞散文部門のショートリスト入りした。『JR上野駅公園口』(TOKYO UENO STATION)で2020年の全米図書賞翻訳部門をさらった黄金のタッグである。
来年はどんな日本語文学が海外で紹介され、どんな外国文学が日本語に訳されるだろうか。世界文学の巨大な循環のために尽力している世界中の翻訳者の皆さん、お疲れさま、どうもありがとうございます!