文章でしか伝えられない思い
――タイトルの「フキサチーフ」とは絵画用の定着液のことだそうですね。毎回どんなテーマで書くか、どうチョイスしていたのでしょうか?
月1回の連載だったこともあって、できるだけどの回とも被らないテーマを選ぶようにしていました。基本的には毎月あった出来事を書くようにしていましたが、同じようなことが続いてしまったときは、過去のことや家族の話、最近感じたことなど、なるべく仕事のことばかりにならないように心がけていました。
――「このことについて書こう!」と決めた後は、どのような作業をしたのですか。
僕は文章のプロではないので、ある程度書き終えてから担当編集さんに読んでいただき、修正点や読みやすい書き方などを教えてもらいながら書いていました。僕はただ書きたいことを書くことしかできなかったのですが、連載が進むにつれて「こういう風に表現するとより僕の思いが伝わるな」「書き方によって伝わり方は全然違うんだな」ということを学んだので、後半からはそういう部分も意識しながら書いていました。
――エッセイを書いてみたことで改めて知るご自身の「意外な一面」や、演技などとは違う「表現」の面白さを感じたことがあれば教えてください。
文章でしか伝えられない思いってあるんだなと思いました。役者もシンガーソングライターも、基本的にはものを作って発信する仕事をしているので、そこに僕自身のパーソナルな思いは多少乗っかるのですが、ここまで赤裸々に今思っていることや感じていることを書けるのって、文章だからできることなんだなと思います。ある種、手紙みたいなもので、顔が見えないからこそ普段はあまり言えないことを書けることと同じような感覚で、このエッセイでしか書けない自分の思いがあることをいつも感じていました。
――ご自身の思いを書くうえで、気をつけていたことはありますか?
つらいとか悲しいとか大変とか、少々マイナスになってしまう感情もここだから書けたわけですが、僕がこのエッセイを書くうえでひとつ決めていたのは、つらいや悲しいだけで終わらせたくないということでした。僕自身がなるべく悲しいことを悲しいままで終わらせたくない性格なので、どんな章でも最終的には前を向いて「いろんなこともあるけど、頑張ろう」と思いたいし、それが読み手の方にも伝わるといいなと思っていました。
文字にして自分もスッキリ
――先ほど「手紙を書いているようだった」とお話ししていましたが、読者の方に向けた気持ちのほかに、ご自身と対峙しているようなところもあったのでは?
書きながら「あ、今自分ってこんなこと考えているんだな」と思うことはありました。目まぐるしく変わっていく日々の中で自分と向き合うきっかけにもなったし、自分自身が考えていることの整理整頓にもなっていたような気がします。それも文章だからできたことでした。
最終的な落としどころとして、起承転結の「結」を作らなければいけないのですが「じゃあ自分はこれからどうしたいんだろう」という「結」が毎回、自分にとって今出せる答えでした。答えって、考えているだけだとあまり出なくて。だからこそ、文字にすることで自分もスッキリしていたので、僕にとってこの連載はとても大切な時間と経験だったんだなと思います。
――本書の中で「僕は言葉をあまり知らない」と書いていましたが、今回のエッセイや歌詞でも素敵な言葉をたくさん使っているなと感じます。そんな松下さんの中にある言葉の数々は、一体どこからインプットされたのでしょうか。
よくプロの作家さんたちが、ある出来事を僕の知らない言葉で例えて、とても素敵な世界を表現されているけれど、僕にはそれができないので、自分の知っている言葉の中から紡いでいくしかないんです。なので、その言葉が自分のどこから来ているのかを考えてみると、歌詞の世界と少し似ているのかもと思いました。「今思っているこの気持ちをどう表現しようかな」と、知らないなりにいつも言葉を探していたような気がします。
引き出しの中を開けても、結局は自分の知っている言葉しか入っていないので、そこから何を選ぶか、限られた言葉の中からどれを使おうかということは毎回考えていました。きっと僕が37年生きてきた中で、誰かから聞いた言葉や話していて感じたことが引き出しの中に詰まっているので、そこから選んでいました。
だけど、ときにはちょっとかっこつけて難しい言葉も使ってみたいじゃないですか。でも、そういう言葉を使うとすぐに担当さんが「松下さんはただ難しい言葉を使いたいだけだ!」と敏感に反応してくるんです(笑)。なので、僕が知っている言葉で紡ぐしかない。となると、単純だけどストレートな言葉が自然と多くなったんじゃないかなと思います。
――言葉を探す中で、影響を受けた作家さんはどなたかいらっしゃいますか。
これまで多くの台本や戯曲に触れてきて、素敵だなと思う表現や書き方をされる方はたくさんいましたが、そういう人たちの言葉を真似て書こうとすると、担当編集さんはもちろん、読者の方にも「作家っぽく書きたいだけなんじゃない?」って分かってしまうと思ったので、なるべくほかの人の書き方は参考にしないようにしていました。
そんな中でも、僕は井上ひさしさんが好きで、作品もたくさん拝見して、戯曲もやらせていただいたのですが「難しいことを優しく」「悲しいことを愉快に」といった考え方やもののとらえ方がとても好きなんです。井上さんの作品は戦前、戦中、戦後の話が多いのですが、その物語に登場する人たちがみんな笑顔なんですよね。その裏には、貧しさや苦しさを抱えながらも健気に笑顔で生きようとする庶民の人たちがたくさん出てくるんです。そういう作品にずっと触れてきているので、井上さんの影響は多少あるかもしれないです。
エッセイと連動する歌詞の世界観
――この3年半で感じたことや出来事などを文章にして残したことは、今の松下さんにとってどんなものになりましたか。
僕にとっては3年半の日記のようなものですね。普段日記を書くことはないのですが、この本を10年後、20年後に読み返した時に、その時頑張っていたひたむきな自分の姿が、いつかの僕を助けてくれることもあるかもしれない。そういった意味でも大切な一冊になりました。いつかまた僕が何かくじけた時に、過去の自分が背中を押してくれることもあると思うので、そういう時に自分でも読み返せる一冊になったなと思います。
――私は本書を読み終わってから「思い出のアルバム」という歌がずっと頭の中で流れているのですが、松下さんがエッセイを書いている時や一冊の本になった今、思い浮かぶ歌はありますか?
このエッセイを連載中に僕がリリースした「旅路」という曲があるのですが、その歌詞の世界観が『フキサチーフ』と連動しているような気がします。この曲も過去の自分を振り返りながら今を歌うという内容で「昔を思い出しながら今を知る」というのは、このエッセイでやっていたことと同じ部分でもあるかもしれません。そういう回が本書にたくさん出てくるので、きっと『フキサチーフ』のメインテーマは「旅路」なんじゃないかなと、今思いました。
――今回はエッセイでしたが、例えば今後、小説や物語の執筆もしないかと勝手に期待をしています。
たまに「監督業や脚本を書いたりしないの?」と聞かれることもありますが、知れば知るほど僕には無理だなと思います。今回、この本を作るにあたっていろいろな方に携わっていただいたのですが、校閲の方ってこんなすごい仕事をしているんだと知って驚きました。全部の章に赤を入れてくださるので、それを僕がチェックし直してお返しするのですが、直しても直しても何度も返ってきて、そのラリーの繰り返しで(笑)。
改稿という作業はやろうと思えば永遠にできるのだそうです。それはイラストやお芝居も一緒で、ものづくりには終わりがないんですよね。「ここまで」って誰かが言ってくれない限り、このラリーは一生続くのだけど、それがものを作るプロの人たちのやり方なんだなと改めて実感しました。例えば僕も、今回の表紙のイラストはこれで終わりだとは思ってないし「どうぞ永遠に描いてください」と言われたら、いつまでだって描けるところはあるし、何回だって描き直したい。お芝居もそうなので、今回校閲の方とお仕事させていただき、ものづくりの面白さと大変さの新たな面を知りました。
「温もり」が擬人化した「脳内先生」
――連載の中でも「お腹が痛くなった時」の回のエピソードは私も同じような経験をしたことがあるので、特に印象に残っています。腹痛を起こした松下少年の前に「脳内先生」が現れて「大丈夫」と言うのですが、その奥にある気持ちをご自身ではどんなものだと思いますか。
子どもの頃、腹痛を起こすと母がお腹をさすってくれたのですが、その手の温もりで治った気がするんですよ。それはお腹が痛い時に限らず、心が痛い時や寂しい時、それを助けてくれるのは誰かの温もりだと思ったんです。お腹が痛くてトイレの中でのたうち回っている時って、とても孤独なんですよね。その小さな孤独の世界の中で「大丈夫」と言ってお腹をさすってくれる人が、今の僕には必要だと思った。そんな時に現れたのが、優しい顔をした「脳内先生」でした。
小学生のある冬に、僕が風邪ひいて家で寝込んでいると、母が仕事の合間に様子を見に帰ってきてくれたこともありました。寒い中急いで帰ってきたから、着ているコートに冷たい匂いが残っていて「僕のために、急いで帰ってきてくれたんだな」というその優しさで安心して、それが薬になったような気がするんです。その時「人の痛みは人で治る」「誰かがそばにいてくれることが一番の薬なんだ」と思いました。なので、その時「脳内先生」が現れたのは、そんな記憶がきっかけになった気がします。
――「笑顔バトン」の回も含め、本書には度々「笑顔」というワードが度々登場します。誰かの笑顔で元気になったエピソードや、あとがきの締めの一文にも「笑顔」という言葉を用いていますが、例えば今、何らかの理由で笑顔を忘れてしまった人に「脳内先生」に代わってどんな言葉をかけますか。
根本的な解決に至るかどうかでいうと、結局脳内で完結できることはあまりないと思うんです。例えば二つの道があったとして、そのどちらを選択して一歩を踏み出すのかを決めるのは自分自身なので、答えを教えてくれることは少ないのですが、僕は悩んだりくじけたりした時、もう一人の自分と話すことがあって「君はどうしたい?」って聞いてみるんです。そこに割と答えがあることが多いので、その相手が誰であろうと、誰かに話すということがめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。一人で悩まない、苦しまないことがとても大切だと思います。
――もし直接相談や話ができる人がいなくても、自分の中の「誰か」でもいいんですね。
僕は誰にも話せないことなんてないと思っているんです。そう思えば思うほど孤独になってしまうから、僕のように脳内で作り上げた「誰か」と話すことでもいい。どんなに些細なことでも恥ずかしいことでも、聞いてくれる人は必ずいると思います。「どうせ分かってもらえない」と思ってしまうことが良くないと思うんです。
僕は悩むことも壁にぶつかることも多い方なのですが、本書の帯文に「“全然孤独じゃないスター”を目指したい」と書いたように、悩んだりつらいことがあったりしたときは、とりあえず誰かに相談して、一人では決めないようにしています。なので、この本が誰かにとってそう思ってもらえるきっかけになったらといいなと願っています。