教師の心得
アメリカの大学院で、「Professional methods」という授業を取ったことがある。言語学の専門家として食っていくためのあれやこれやをひたすら教わるクラスである。学会での発表の仕方、ジャーナルペーパーの書き方、CVの書き方、就職活動などなどのトピックをこなして、「教授法」が取り上げられた。このエントリで取り上げるのは、「教授法」の回に先生が配った「教師の心得」である。
以下、その一部を日本語で紹介する。
- 君が教えようとしていることは、「とても大切でとても面白い」ことを決して忘れないようにしなさい。また、それを学生に伝えることも忘れてはいけない。
- 君は、君のクラスにいる学生よりも賢いわけではない。学生よりも「いいひと」なわけでもない。君は、たまたま学生がまだ持ち合わせていない情報をいくらか知っているだけだ。そして学生たちは、君がまだ知らない情報を山ほど知っている。
- 教師として、君は情報を売ろうとしている。あらゆるセールスマンと同じように、君は客の興味を引きつけ、保たなければいけない。さもなくば売れる見込みなんかない。役に立つことなら何であろうと利用しなさい。声、ジェスチャー、黒板、ハンドアウト、パワーポイント、漫画、アナロジー、メタファー、何でも、だ。あらゆる手段を尽くして、何とかして学生と繋がりなさい。
- 学生たちはよい授業を受けるために大金を払っている。よい授業を彼らに与えるのは君の義務だ。授業の日、君は疲れているかもしれない。何かに腹が立っているかもしれない。気がかりなことがあるかもしれない。しかし、君のクラスの誰一人として、それに気付いてはならない。君が頭が痛いからとひどい授業をやったとしても、彼らが授業料の払い戻しを受けることはないのだ。
- 自分に合ったスタイルを築きあげなさい。他の先生に合っているスタイルが君に合うとは限らない。
- 学生にとって近付きやすい存在でありなさい。物理的にも、精神的にも。学生の名前を覚え、名指しなさい。教室には授業開始数分前に着き、授業終了後もしばらくそこに留まりなさい。その数分間に雑談することは、しばしば学生の理解のターニングポイントになる。
- しかし決して授業を延長してはいけない。特に学部の授業では、チャイムが鳴った後に君が話す内容は、全く存在しないのと同じです--君がどれだけ完璧に話したとしても。
- どんなことであっても、それをまだ知らない者にとっては難しい。これを繰り返し思い出しなさい。君は既に何かを知ってしまっているから、それが簡単に思えるのだ。
- 「無知」と「愚かさ」は決して混同してはいけない。何があっても。
- 教師の基本ルール:もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない。これは当たり前に思えるが、驚くほど忘れ去られやすい。
- もし学生が理解できず、それが学生のせいであるのならば、10を見よ。
- 昔、自分の師匠に「悪い学生はいない、いるのは悪い教師だけだ」と聞かされたことがあります。多分これは完全に真実ではないのだろうが、しかし間違いよりは真実にずっと近い。そして、君は自分の授業において、これが真実であると心底信じているかのように行動しなければなりません。
僕にはこの内容は衝撃的だった。例えば10と11。勉強しないでわからない学生は自己責任だろ?アメリカだったら尚更そうなんじゃないのか?混乱した。
だけど僕はこれを信じることにした。この「心得」を作った先生が教える言語学の授業は、めちゃくちゃ分かりやすくて、めちゃくちゃ面白くて、常に時間ぴったりに終わって、彼が授業中に疲れた様子を見せたことは一度もなくて、どう考えても僕がこれまで受けてきた中で最高の授業の一つだったからだ。あの授業をやる人がこう言うんだったら、きっとそうなんだろう。
今でもことあるごとにこの「心得」を引っ張り出して眺めている。もし学生が理解できず、それが学生のせいであるのならば、10を見よ。僕の教師生活は10に戻ることの繰り返しだ。もうすぐ後期の授業が始まる。