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わたしのJPO時代(10)

「わたしのJPO時代」第10弾として、国連開発計画(UNDP)イエメン事務所のガバナンス・チームでチーフ・テクニカル・アドバイザーを務める児玉千佳子さんのお話をお届けします。外務省勤務の経験を持つ児玉さんは、JPO時代の赴任先だったパレスチナとそこでの業務内容を振り返って、「最も楽しい時期の一つ」だったと語ります。

 

国連開発計画(UNDP)イエメン事務所 ガバナンス・チーム チーフ・テクニカル・アドバイザー 児玉千佳子さん

 

           ~手探りな状態、楽しい思い出~

 

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                     友人の結婚式に出席する児玉さん(写真中央)

 UNDPイエメン事務所のガバナンス・チームでチーフ・テクニカル・アドバイザー(平和移行支援)。外務省勤務を経て、2005年にJPO(Junior Professional Officer)としてパレスチナ人支援プログラム(PAPP/UNDP)で勤務。UNDPニューヨーク本部開発政策部、ラオス事務所、スーダン事務所を経て、2014年より現職に至る。筑波大学卒。カールトン大学ノーマンパターソン国際関係スクール国際関係学修士。

  

はじめまして。現在、国連開発計画(UNDP)イエメン事務所ガバナンス・チーム チーフ・テクニカル・アドバイザーを勤める児玉千佳子です。振り返ってみますと、今から10年前、JPO(Junior Professional Officer)として勤務した時代は、これまで国連で働いてきた中で最も楽しい時期の一つです。理由は色々とありますが、参考になりそうな〝思い出〟をご紹介させていただきます。

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                 UNDPイエメン事務所の同僚たちと

 1.赴任地

JPOとしての赴任地として、私はパレスチナを希望しました。JPO採用前の前職が外務省でのアフガニスタン勤務だったこともあり、引き続き紛争中もしくは紛争後の国で働きたいと考えていました。JPO経験者からの勧めもあり、パレスチナを選びました。結果としてJPOとしての経験を豊かにしてくれたのはパレスチナに赴任できたおかげだと思っています。パレスチナが直面した(している)問題の故に学べたこと、できた仕事がたくさんありました。

 

(1)占領

パレスチナ西岸は 、パレスチナ自治政府(Palestine Authority) が支配を及ぼせる度合により地域がA、 B、 Cと分かれています。行政・治安維持共にイスラエルの支配下にあるCは全地域の60%以上にものぼります。加えて、領土はいたるところで、軍が管理する検問所により分断される状況下で「開発」が可能かどうかは、パレスチナで働く人の多くが悩むことです。例えば、検問所で裁判官が足止めされて裁判ができないために処理が進まない司法案件が増える中、根本的な問題に対処しないまま実施する開発はパレスチナ人が望むものなのだろうかと考えさせられもしました。

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                 パレスチナ西岸地域における壁の建設

 

(2)実効支配

2006年1月の立法評議会選挙[1]でハマスが多数の票を獲得したにもかかわらず、ハマス主導の自治政府が米国、欧州連合(EU)、ロシア、国連で構成される「カルテット」から承認されなかったため[2]、多くのドナー国が支援を引き上げました。西岸では選挙では少数派だったファタハが、ガザではハマスが実効支配を及ぼすという状況が続きました。国連はカルテットの一員であるため、私たちUNDPもカルテットの方針に従いました。ガザ地区ではハマス(国連が正統性を認めない政府)が実効支配を及ぼす中でどうプロジェクトを実施していくか、国連の中立性なども含めて現場では多くの争点がありました。

 

(3)どの紛争?

パレスチナというと、パレスチナとイスラエル間の紛争を思い浮かべる方が多いと思います。パレスチナには、国連ミッションの国連中東特別調整官事務所(Office of the United Nations Special Coordinator for the Middle East Peace Process : UNSCO)があります。UNSCOが中東和平プロセスを見る傍ら、UNDPはパレスチナ人への支援を担っていました。パレスチナへの支援活動を行なう上ではイスラエルとの関係は避けて通れず、 UNDPに与えられた任務の制約の中で、紛争の争点となる問題にどう取り組むかも課題の一つでした。

 

2.担当

JPOとして赴任した際には、UNDPのプログラム管理体制を全く理解しておらず、最初はかなり試行錯誤しました。赴任時の肩書はプログラム・アナリスト(Programme Analyst) というもので、この名前にも慣れず、「いったい何を分析(analyze)するのだろう?」という感じでした。ジェンダー、若者、HIV/AIDS、人権、紛争予防など様々なフォーカルポイントをすすんで引き受けました。その中のいくつかは、JPO終了後にUNDPで正規の仕事を得る上で、強みとなりました。

 

(1)分野

様々なイッシューのフォーカルポイントとして勤務をスタートしましたが、内部の組織編成で幸いにも関心があった平和構築、ガバナンスのプロジェクトを担当させてもらえることになりました。UNDPは各分野で多岐に渡るアプローチ、分析手法、プロジェクト内容などがあるため、関心ある分野を担当できると学べることも多く、非常に楽しんで仕事ができました。ちょうどパレスチナに派遣されたUNDPの平和開発アドバイザーと一緒に働くことで、パレスチナ人の間での対話促進、紛争分析、新しいパートナー構築等に携わることができました。

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                                           「国際女性の日」のイベント

 (2)マネージメント

これも全くの偶然ですが、直属の上司の異動に伴い、私が約1年間ガバナンス・チームのリーダーを務めました。手探り状態での経験でしたが、事務所長に恵まれ、国事務所の全体像を見て仕事をするという貴重な経験となりました。

 

国連もすべてが〝理想の組織〟という訳ではなく、戸惑うことも多くあります。ただ、国連だからできること、様々な国でたくさんの人に出会い、一緒に働けるなどの醍醐味もあります。皆さんともどこかで一緒に働ける機会がくることを楽しみにしています。

 

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[1] 立法評議会はパレスチナ自治政府の立法機関で日本の国会にあたります。2006年の選挙ではガザ地区、西岸地区、エルサレムに居住するパレスチナ人によって選挙が行われました。

[2] カルテットはハマスに対し三つの条件(非暴力、イスラエルの承認ロードマップを含むこれまでの諸合意の遵守)を提示しました。しかしながらハマスはこの条件に基づいた政策変更を行わず、その結果イスラエルは関税等の還付金をパレスチナ自治政府へ送金することを凍結し、国際社会による対パレスチナ支援も大幅に減少しました。