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2019年7月19日金曜日

一般社団法人カセイケン 第25回参議院議員通常選挙 政策アンケートについて

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 第25回参議院議員通常選挙ということで、一般社団法人カセイケンとして各党に政策アンケートを実施し、9党からお答えをいただきました。
結果は以下でご覧ください。

・第25回参議院議員通常選挙 政策アンケート結果 - カセイケン(一般社団法人科学・政策と社会研究室)

 で、それに関して、質問の意図がわかりにくいとのコメントを頂いていますので、質問を作成した主要メンバーの一人として簡単にご説明をさせていただきます。まず、基本方針として、当然のことながら現在の日本の(人文・社会系を含めた)科学者コミュニティの関心事項であろうというものを選んだつもりです。ものによっては、「研究者がこう答えてほしい」という「理想の回答」が明らかなものもありますし(というか、一般論として人件費や研究費が増えることに否定的な研究者はほぼいないでしょう)、一方でコミュニティ内部で論争を呼んだもの、意見が分かれているもの(典型的にはデュアル・ユース)もあります。後者もなるべく含めたかったのですが問題の数を抑えたかったこともありまして、前者が中心になっていると思います。ジェンダー関連の問題がないなど、多々不備はあると思います。
 そういった前提の上で、各党の政策と、科学者コミュニティがどう思うと想定して問いを作成しているか、といったことについて、私の考えを簡単に述べていきます。榎木英介代表理事(の記事はこちら)を含め、他のメンバーには他のメンバーの考え方があるでしょうから、以下はあくまで私見であるということでご了承ください。


2017年2月16日木曜日

AAAS2017参加雑感 その01

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 ところで、大きな会議なので(最近時々見ますが)モバイルアプリが配られています。
 気になったイベントはどんどんお気に入りに入れて行くと、勝手に自分のスケジュール帳ができて行く、という感じです。
 プログラムやもらった資料の束を抱えて移動することを考えると大変便利。

 でも、調子に乗ってお気に入りを増やして行くと、こんな感じになってしまって、あまり意味がなくなる、という↓ 

AAASの年会のため、ボストンに来ています

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 サイエンス・サポート・アソシエーションのサイトのお知らせ「AAAS参加と、科学技術政策に関する調査・提言機能の強化のためのご寄付をお願いします」にあります通り、明日からの全米科学振興協会の年次総会に参加するため、ボストンにやって来ています。

 前回ボストンで行われたのは2007年で、まさに大統領選挙が行われる年であった。
 そのため、会場でも民主党の候補がバラック・オバマになるかヒラリー・クリントンになるかが話題になっており、両陣営の科学技術政策担当者による討論会が急遽企画されたりしてた。
 それも含めた、前回の報告記事は以下の通りです。

 アメリカという国は良くも悪くも政権が交代すると、上級の公務員が政治任用で大きく入れ替わり、政治が大きく動く国である。
 この8年間、研究開発にも環境保護にも比較的積極的なバラック・オバマの元で、科学者は良い時代を過ごしてきたと言える。
 しかし、新しく大統領になったドナルド・トランプは様々な問題でオバマ大統領の方針を覆すと言われています。
 その中には、気候変動問題のように、単にアメリカ一国にとどまらず、世界中の人々が影響を受ける問題も含まれています。
 こういった中で今「科学を振興する」ということがどう論じられるのか、みてきたいと思っています。


 なお、以下の通り、Youtube Live をしてみようかなと思っています(ネット環境が耐えられるのかとか、コンテンツが集まるのかとか、不安材料は多いわけですが…)。
 日本時間の午後20時、ということになるはずです(あってる??)ので、宜しくお願いします。


2016年12月22日木曜日

「日本にノーベル賞が出なくなる」のは「国立大学に予算がないから」ではなく…: AERA「 頭脳の棺桶・国立大学の荒廃 東大も京大も阪大もスラム化する」ご紹介

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 昨今、国立大学の苦境が伝えられているが、議論は予算についてのものに終止しているように見える。
 しかし、抜本的な問題は、以前「博士はなぜ余るか? 日本の科学技術政策の10年に関する覚え書き」という記事でも述べたように、政策の方針が間違っていることである(リンク先の記事、MovableType を消してしまって文字データだけ残っている状態なので、読みにくくて申し訳ありません)。


 ノーベル賞受賞者たちが「今後、日本でノーベル賞が出なくなるかもしれない」と憂慮しているのを聞くと、ある人は「大学の構造を改革しないと」といい、ある人は「大学にもっとお金をつけなければ」という。
 もちろん、前者に関しては研究者自身から多くの反論が出ている。
 「改革のための費用」(と称するが、実際は組織をなんとか維持してくための費用)を国から交付してもらうために、できもしない「改革プラン」や「中期目標」を捻出することに時間を撮られ過ぎで、肝心の教育も研究も二の次になっている、というのが現在の国立大学の状況だからである。


 一方で、後者については、それはお金はあったらあったほうがいいに決まっているので、研究者たちも表立っては反論しないが、実際はそこは最も重要な点とは言い難い。
 というのも、現在ノーベル賞受賞に至ったような研究がなされた時代は、日本の国立大学がもっとも貧乏だった時代に行われたものであるから、である。
 「昔はよかった」と表現されると、多くの人は(場合によっては言ってる本人すら)錯覚してしまうが、戦後一貫して日本の国立大学は劣悪な環境に苦しんでおり、1990年前後ぐらいにそれはある意味で頂点に達する。

1991年05月28日発売のAeraに掲載された「頭脳の棺桶・国立大学の荒廃 東大も京大も阪大もスラム化する」 という記事は、この状況を明らかにし、日本の科学技術行政に一石を投じることになった(手元に白黒のコピーしかないのでそちらを紹介するが、元記事はフルカラーである)。

2016年7月7日木曜日

参議院議員選挙2016 科学技術政策公開質問状

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今回の参議院選挙でも、科学技術研究に関わる論点について、各党に質問状を出している(Science Talks 参議院選挙にむけた各政党への科学技術政策公開 参照)。
 今回は、これまでのサイエンス・サポート・アソシエーション主体から、サイエンス・トークが主体を担うという形式になっている。
 そのためもあって、多少質問の傾向は変わっていると思う(前回までとおなじ質問もある。2014年衆議院選挙 科学技術政策公開質問状 参照)。
 全体を読むのも大変だと思うので、内容を私見に基づいて整理させていただきたいと思う(「自分の目で判断したい』人は是非上記サイトにあたっていただきたい。以下はすべて春日個人の責任に帰する、春日個人の見解である)。

2016年5月22日日曜日

ノーベル賞は誰が取るのか? 安定、自律、予算

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朝日新聞の記事「ノーベル賞、45歳までの業績が大半」 科学技術白書 の件。
 科学技術白書の分析を読んでみて、やや違和感を感じたので、白書の票を表計算ソフトに突っ込んで、研究が行われた年代でソートしてみた(表計算ソフトでの単純計算なので、誕生日とか勘案していない都合上、前後1年の誤差はあるかもしれません)。
※クリックで大きい表が開きます


こうしてみると、ポイントになるのは白書が述べるような、「全員が20代から30代に任期付きではない安定したポストに就いていた。」という話ではない気がしてくる(片手間に表を作って、それを見ただけの感想なので、実際にこういうことなのかはもう少し調査研究する必要がありますが…。まぁ、メモ程度のものを公開ということで)。

2016年4月25日月曜日

G7科学技術大臣会合で語られること、語られるべきこと

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G7茨城・つくばサミットを問う会 第四回講演会で「G7科学技術大臣会合で語られること、語られるべきこと」お話をさせていただきました。

2015年6月13日土曜日

人文学/人間性の危機とイノベーションの神学

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国立大学法人評価委員会の答申として、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院について」「組織の廃止や社会的要請の高い分野 への転換」が求められたということと、その際に人文学とはどうあるべきかという議論が抜けているということを、過去二回にわたって書いた。

国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話
人文学への「社会的要請」とはどんなものでありうるか?
ここでは、もう少し詳細に、(主にデリダの『条件なき大学』といった議論を参照しながら)人文学およびそれをになう大学のあるべき形(とそれが形成されてきた歴史的経緯)と今置かれている危機について議論してみたい。

2015年6月5日金曜日

人文学への「社会的要請」とはどんなものでありうるか?

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 "国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話"の続き

 人文学が社会の役にたつ、というのはどういうことだろうか?
 教育という議論はひとまず置くとして、ここではあくまで「研究活動」に絞って、その機能につうて(相互にオーバーラップする)三つの側面に整理したい。すなわち、(1)経済的価値、(2)人権や正義、真善美に関わる価値、(3)カウンターサイエンス、である。


2015年6月1日月曜日

国立大学人文社会科学系「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」という話

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 産経新聞の「国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示」という記事が話題になっている。
 その中でも特に、
 通知素案では、少子化による18歳人口の減少などを背景として、教員養成や人文社会科学などの学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」と明記された。

 の「社会的要請の高い分野への転換」が議論の焦点である。学問を評価するのに、「社会的要請が高い」ということはどういうことか、ここでは定かではないからである。
Europe 2003
 どんな場合でも社会的要請とは一枚岩ではなく、ある時代の社会的要請が結果的には極めて有害だった、ということもありうる。そういったとき、いち早くその可能性に気づき、警鐘を鳴らし続けることは、価値を扱う学問である人文学にとって極めて重要な仕事である。しかし、多くの場合それらの作業は簡単に評価しうるものではなく、特に政策がますます経済指標に従属するようになっている昨今、これらの評価は危険な作業である。
 かつて文化使節として来日したフーコーは記者に記者に「激しい自国批判を続けるあなたをフランス政府が文化使節に任命する理由はなんでしょうか?」と問われて「ご存知のようにフランスにとってプワゾン(毒)は重要な輸出商品なのです」というようなことを答えていたと記憶する。このことは、デリダのファルマコン(毒にも薬にもなる存在)としての哲学、という議論も想起させるだろう。日本の人文社会科学は、ファルマコンであるべきという「社会的要請」に十分に答えることができているだろうか?
 こういった問題について、十分に議論が尽くされた結果として「社会的要請」という言葉が使われるのであればそれは需要せざるを得ないが、大学法人評価委員会の議論を見ていくと、どうもそうとは言い難い状態にあるように思われる。
 以下、具体的に見ていこう。