1:世界@名無史さん:2011/11/28(月) 22:15:11.64 ID:0
寝室、台所、トイレ、書斎、居間、廊下、屋根裏など、
建築物内部の空間や、内装、家具、道具類の歴史について語るスレです。
生活


3: 世界@名無史さん:2011/11/28(月) 22:48:55.56 ID:0
日本で庶民の家に、台所があるのが当たり前になってのって、明治期なのかな?
昔は外で煮炊きしてたよね?



5:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 01:33:02.71 ID:0
庶民の定義が不明だが、古民家では土間が炊事場になっとるだろうが。
なんで外で煮炊きするって発想が出てくるんだ?



9:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 21:21:00.32 ID:0
>>5
今残ってる古民家って、結構いい暮らししていた連中の家ばっかりだよ。



15:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 22:38:31.26 ID:0
>>9
そう、庄屋とか豪農の家だね。
そういう家は大抵、門の両袖に部屋のある長屋門を備えてる家まである。
あの部屋は使用人の住まいや農機具小屋。



6:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 02:05:29.55 ID:0
昔の長屋住まいの都市住民は屋外に七輪を出して煮炊きしていたんだよ。
土間とか高尚なものがあったのは間取りの大きい農家や商家や武家ぐらい。
都市住民が屋外で煮炊きしなくなったのは昭和に入ってガスが普及して以降。
また、井戸も長屋で一か所のみ共同だったので、そこが食器や衣類の洗い場だった。

よく覚えて桶。



8:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 19:10:54.16 ID:0
炊事洗濯した汚水はその場で流していたので伝染病発生しまくり。



15:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 22:38:31.26 ID:0
>>8
江戸は上下水道完備していたので問題なし。
水道橋とか、正に水道の橋があった所だし。



10:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 21:37:14.83 ID:0
前から疑問なんですけど、ガラスが普及する以前は、夜とか冬はどうしていたんでしょう?

よくある垂直方向に取り付けられた、
パタンと閉じる板(棒で支えて明かりを取り入れているやつ)って、
夜とか、寒い時って、閉じてしまうんでしょうか?
夜はどうせ真っ暗だからいいとして、冬の日中とか不便そうだし。



15:
世界@名無史さん:2011/11/29(火) 22:38:31.26 ID:0
>>10
東洋:御簾・障子
西洋:透窓・布窓(カーテン)



30:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 22:00:11.65 ID:0
>>10が言ってるのは、戦国時代の庶民の家みたいなやつだろ?
あんな家に障子とか御簾とかあったと思ってる?



32:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 22:08:12.35 ID:0
>>30
御簾というと仰々しいが、いわゆる簾、葭簀の類。

ただ、>>10氏は戦国時代の庶民の家とは断言してないし
日本とも西洋とも言ってない。



36:
10:2011/11/30(水) 23:24:02.59 ID:0
>>32
まあイメージしていたのは戦国時代の庶民の家ですね。
一乗谷等で復元している家を見て、疑問に思ったもので。



22:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 10:30:51.56 ID:0
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/07/03(日) 10:20:19.01 0
時代劇見てて思ったんだが、町角に立ち食い蕎麦屋が出てるよね。見る限り汁蕎麦。
汁蕎麦だと、蕎麦も湯がくし出汁を温めておく必要があると思うんだけど、あの時代の
屋台ってどうやってその火力を維持してたんだろう?
立ち食い蕎麦屋なら屋台出してる間ずっと維持してないと駄目だよね。
注文から時間かかったらあの手の店の売りがなくなるし。
薪か木炭にしても、一日中だと維持費も結構大変だと思うんだけど。

それとも、意外と注文→火をおこす。
の流れだったのかな。


4 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/07/03(日) 12:36:11.94 0
夜鳴き蕎麦は、茹で麺を温めて出すんだよ。
それほど強い火力はいらない。


11 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/07/03(日) 19:09:58.36 0
逆に天ぷら屋とかああいうのは屋台じゃないとこわかったんじゃない?
家の中であんなのおそろしすぎるよ。

炊事は七輪で道に出てしてたらしいからな、江戸では。
まぁ 店先を道にできるだけ張り出して、そこで天ぷらしてたらしいけどね。



23:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 18:19:13.29 ID:0
それでも火事は起こるもんで、小火で営業停止、
火事で江戸追放、延焼出したら死刑が江戸の掟
一膳飯屋は沢山あったから、屋内調理なんか珍しくもない
外でちまちま作ってたら間に合わない



24:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 20:07:25.25 ID:0
168 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/28(水) 00:44:36.07 0
大航海時代スレに疑問があったが、七輪のような「移動できる簡便な炉」っていつからあったの?
日本の場合、奈良時代には移動できる簡単な竈「唐竈」があったが。


174 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/28(水) 12:25:31.49 0
>>168
大航海時代のスペインのガリオン船ではポータブル竈は使用されていなかった。
ギャレーで煮炊き用に使われたのは作りつけの竈。
しかし、煙突がなくて煙の出口が無かった上、
船火事の危険から、あまり火は使われず、積み込みのビスケットや干し肉がメインメニューだった模様。
火は、豆類を煮るときなどに使用。
現在でも船のギャレーは電気メインで、火はあまり使わないと聞く。



25:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 20:17:23.83 ID:0
じゃあ陸地を見付けたときの喜びってのは、久しぶりに火を通した食い物を食える
ってのもあったんだろうな。
連日冷たいものばっかり食ってると、力も元気も出ないし。



34:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 23:07:44.25 ID:0
結局、冬の日中は寒いから板戸は閉めてしまって、
その結果、部屋が暗くて困る場合は、灯りをつければいいってことでOK?

でも、戦国時代に庶民が灯り用の油を買う余裕なんてあったっけ?



37:
世界@名無史さん:2011/11/30(水) 23:45:02.44 ID:0
>>34
灯油を買う余裕も無い人が書物を読んだりしないから大丈夫だ。
ただ、囲炉裏はあっただろうから、真っ暗けということでもないだろうね。



42:
世界@名無史さん:2011/12/01(木) 12:28:35.60 ID:0
本を読まない、読めない貧乏人でも縄綯いや俵編みなどの夜なべ仕事をしなければならない。

そういう場合は、囲炉裏の火を灯りにしたんだ。
あるいは石臼の上で松の根を焚いたり、細く割った竹を少しずつ燃やして土間を照らした。



43:
世界@名無史さん:2011/12/01(木) 21:58:03.53 ID:0
>>42
基本的に夜の作業はしない。
燃料の無駄だし、視力が著しく低下したら生活に不自由を来す。

昔の農民は日が上ったら起き、日が沈んだら寝る生活。
旅人は払暁前の午前5時には草鞋を履き、日が落ちる前16時ぐらいに旅籠に入った。



60:
世界@名無史さん:2011/12/02(金) 22:09:57.66 ID:0
日本は紙の障子だったね。



84:
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 14:17:04.86 ID:0
>>60
正確には明かり障子な。
ただ紙が薄いので、ガラスの用に屋内と屋外を
仕切る目的で使用すると、風雨に耐えられない。
なので上の方は半蔀で保護し、さらに下半分の雨が当たりやすい部分に
板を張った腰高障子が生まれた。



87:
世界@名無史さん:2011/12/03(土) 21:00:46.58 ID:0
そう考えると、住空間にとって一番の発明はガラスかもしれないな。
ガラスが無い家で暮らせと言われても、耐えられそうにない。



94:
世界@名無史さん:2011/12/04(日) 08:15:11.34 ID:0
130 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/04(日) 03:53:12.52 0
双眼鏡とかのレンズは水晶で代用可能。
むしろ透明度の劣るガラスでは不可。
江戸時代のメガネや望遠鏡のレンズも皆水晶を研磨して使った。
フランスでは懐中時計の風防に水晶を使ったりもした。



110:
世界@名無史さん:2011/12/04(日) 23:11:24.00 ID:0
古今東西、インテリアとしてドデカい壺とか置いておくのは何故なんですかね?
中東だと壺ではなく巨大な真鍮のポット(高さ2mぐらい)に
水を湛えておくのがステイタスだとか。
しかも
一対おいておくのがデフォ。



112:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/12/04(日) 23:24:25.10 ID:0
気化熱目当てでは。
一対で所有することは、中国人にも好まれますが。一つでは不完全なので。
本来は実用品であったのが、美術鑑賞に転じたという面もあるでしょう。



118:
世界@名無史さん:2011/12/05(月) 00:21:34.19 ID:0
もっと寒いところにすんでいるエスキモーの家は、氷を切り出して立てた雪穴。
その中で、獣脂のランプをともしている。
このランプで料理もすれば採光もする。
イグルー



129:
世界@名無史さん:2011/12/06(火) 23:30:06.02 ID:0
>>118
いいよなぁ
安上がりで天然のガラスがあって



119:
世界@名無史さん:2011/12/05(月) 01:46:28.00 ID:0
インドの窯ってタンドールみたいなのをインダス文明の頃からずっと使ってたのか?
それとも何か進化してああなったのか?



120:
世界@名無史さん:2011/12/05(月) 02:24:43.37 ID:0
インダス文明の遺跡にあんな窯があったかな?

ちなみにタンドールはかなりの燃料を浪費するので、
何処の家にもあるわけではない。
だからタンドールで焼くパン「ナン」は、小麦を主食とする北インドでもハレの食事。
一般的には、生地を鉄板焼きにしたチャパティーを食べている。
チャパティーならば、少ない燃料で焼ける。



121:
世界@名無史さん:2011/12/05(月) 03:14:43.63 ID:0
ナンは差し詰め日本でいうところの赤飯みたいなもんか。
チャパティは普通に炊飯器で炊いたご飯。



130:
世界@名無史さん:2011/12/07(水) 00:01:19.85 ID:0
エスキモーの氷の家は冬のみで、夏は毛皮のテントに住むということだ。

そういえばモンゴルの「パオ」にもきちんとした窓が無いな。
天窓を明けて換気や採光をするそうだが。



171:
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:29:38.81 ID:0
592 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 14:20:02.18 0
昔のイタリア人とかはパスタも手づかみで食ってた っていくら何でもパスタは手じゃ食えないよね


593 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 14:21:11.89 0
塩野本にはパスタ手づかみで食った話書いてるな


594 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 16:16:14.65 0
フォークが発案されて使い出したのってマリーアントワネットの時代じゃなかったかな
それまでは大皿に乗ってるものを皆が手掴みで食べた


595 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 16:25:29.85 0
>>592
お前の言うパスタってどのパスタよ
スパゲッティ?マカロニ?ラビオリ?
今みたいにアツアツで出すわけでもないし、チーズか塩かけてるだけの粉もんなんだから
普通に食えるだろ


596 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 19:40:51.96 0
スパゲティだと思う
手でいくらか掴んで上に持ち上げて上を向いて口に入れる、っていう食い方 すげえ下品
確か元はイタリア半島南部の農民料理だったはず多分



172:
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:30:41.75 ID:0
604 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 23:19:58.53 0
http://prezzemolo-creapasso.blogspot.com/2008/12/100.html
19世紀後半の有名な写真家兄弟、フラテッリ・アリナーリの写真には、100年前のナポリの路地で、
大きな鍋から手づかみでスパゲッティを高く取り出して、皿に盛っている男の姿を写したものがある。
彼らは“マッケロナーロ”と呼ばれた。

ナポリの庶民は、チーズを軽くかけたゆでたての
パスタを彼らから買って、家の戸口で、麺を人差し
指と親指でつまんで食べた。
貧しいストリートフードだ。

しかし、市民の顔は明るく、惨めさは全くない。
マッケロナーロは、まるでトロフィーのようにスパゲッティを高く掲げている。
貧しくても自分たちを憐れむ気持ちはみじんもなく、必要最低限のものがあれば十分だという心意気は、
ナポリと食べ物の関係をよく表している。
172_1
172_2



173:
世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:30:54.49 ID:0
605 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 23:25:09.74 0
「4本歯のテーブルフォークの誕生」
1770年代、庶民の風俗を深く愛したナポリ国王フェルディナンド4世が
宮廷で毎日スパゲッティを供することを命じた。


しかしスパゲッティを手で食べる場合、頭上にかざして下から口ですするという、
当時の価値観においても非常に見苦
しいものとなる。
このような民の作法がハプスブルク家出身の王妃マリア・カロリーネ(Maria Caroline)に承認され

るはずもなく、賓客がより上品にスパゲッティを食べられるように、
料理長ジョヴァンニ・スパダッチーノ(Giovanni
Spadaccino)に命じて、
もともと口に運ぶものでなく料理を取り分けるためにあったフォークを食器として使わせた。


このとき、工学エンジニアのチェーザレ・スパダッチーニが、
先が長く3本だったフォークをもとにして、口に入れても
安全でスパゲッティが
うまくからむ様に先を短く4本にしたフォークを、王のために考案したといわれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フォーク (食器)
676px-Assorted_forks



174:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 12:21:58.19 ID:0
658 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/17(土) 11:54:25.34 O
うちの大学にバングラデシュ人の先生がいて、たまにカレーをおごってくれる。
で先生が「手で掴むと指でも味わえるのだよ」と仰るので、やってみた。
ナンが熱くて火傷するかと思ったが、確かにカレーに浸けやすいし、指先も暖かくなったから本当だと思った。


659 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/17(土) 12:17:03.80 0
平城京と平安京の箸の定量比較、なんて話は聞いたことがないけど……

もともと箸は中国風マナーを日本に輸入
(小野妹子随行員をもてなした宴で二本箸を用意した)と言われてたりする

それ以前は(正倉院に貝匙が60個ぐらい残っているので)上流階級でも「匙」使用は主流だったと思われ

その箸の置き方だけど、平安末期まで縦置き(中国方式)だったのが
鎌倉時代には横置き(現代と同じ)になる

(逆に同時期に中国では横置きから縦置きに変化してる、理由不明)
で、日本で箸が斎串(祭事に使用)として使われた始めたのは中世になってから
たぶん”日本文化に箸が浸透した”のは鎌倉時代以降、と見ていいんじゃないかな

手食はよくわからんけど、一度粟粥を手で食ってみればいいと思う……



179:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:21:30.34 ID:0
質問ですが、今のような布団が日本で使われ始めたのって、いつ頃からですか?



182:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:25:12.46 ID:0
>>179
確か、でっかい半纏のような、着るタイプが先にあったんじゃなかったっけ?



181:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:24:58.67 ID:0
綿の国産化が軌道に乗った江戸時代中期以降です。

それ以前は着物をかけて寝るか、藁の中にもぐって寝るのが当たり前でした。



186:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:38:12.29 ID:0
>>181
着物って、日中着ていたのを寝る際に脱いでかけるってことですか?
それとも、もっと分厚い保温効果が大きい着物を着ていたとか?



188:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:42:37.95 ID:0
>>186
寝るときに引っ掛ける用の大きい着物あったよ



193:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 15:57:07.70 ID:0
>>188
ちなみにその着物ってなんか固有の呼び名あります?



195:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 22:58:47.29 ID:0
>>193
「夜着」、もしくは「かいまき」



200:
世界@名無史さん:2011/12/18(日) 00:16:26.36 ID:0
>>181
綿の国産化以前は蒲の穂をほぐして中綿に使っていた。
なので本来は「蒲団」という。
布団は後世の当て字。



187:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:40:10.85 ID:0
蒲団が発達していない時代、北日本の民家には「納戸」という寝室専門の部屋をこしらえた。
窓も無い小部屋で、中に筵だの藁だの温かくなりそうなものを溜め込み、その中に潜って寝る。
このような環境だから結核の温床になりかねなかった。



189:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:43:55.15 ID:0
確か、お産&出産後しばらく生活するのための女性用の部屋もそんな感じじゃ無かったっけ?



190:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:47:51.41 ID:0
そうだよね。

床に籾殻だの灰だのを敷いて「汚れ物」を垂れ流してもいい状態にしておき、
天井から下がった綱にすがって子を産む。
生んでしばらくは「血の穢れ」のため、太陽を見ることも憚られる。
食べ物はお粥と塩のみ。
数日後に「古血を下ろす」目的で、芋ガラの入った味噌汁を飲む。



191:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:50:02.11 ID:0
それって、遅れた東国だけでなく、日本全国そんな感じだったの?
江戸期は。



192:
世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:55:40.34 ID:0
すくなくとも「血の穢れ」の思想は日本全国にあったよ。
沖縄では、子を産んで間もない女性は囲炉裏の火に当たらせ、汗を流させた。
汗を流せば産後の肥立ちがいいと考えられていたようだ。
しかし肉食文化があるため、産後まもなく肉を食べて栄養をつける。



231:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/21(土) 15:34:58.53 ID:0
>>192
経血の穢れを忌むのは室町時代、女性そのものを穢れと見做すのは江戸時代
初期頃からの習慣の様です。時代ごとに観念もバラつきがある。

霊場の女人禁制自体は平安期にはありましたが、あれは元々寺院への異性の
立ち入りを嫌ったもので、それに平安後期に仏神が嫌うといった説明が付け
加えられ、女人の罪障が意識される様になったらしい。
本来は、尼寺への男子禁制と対をなす概念でした。



219:
世界@名無史さん:2011/12/23(金) 18:11:32.75 ID:0
かいまき 

かいわれまきまき のこと?



230:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/21(土) 12:56:14.50 ID:0
>>219
掻巻。掻はかきで、掻き曇るという様に、続く語を強調したものです。
かいまきは近世初期に登場するらしい。

古代・中世なら、衾ですね。中世になると着物状に仕立てたものが多い。
紙や麻で出来たものもあり、『記紀』・『万葉集』にも登場します。
有名な「貧窮問答歌」に、庶民の寝具として登場するのが麻衾。

肩衣でこれを引っかぶって寝ていますが、肩衣は袖なしの衣のこと。
近世前期に「肩衣を夜具にする」と言えば、貧乏の喩え。
裕福なら木綿がない代わりに、真綿=絹を入れて防寒していました。
余談ながら、野の衾という意味で野衾はムササビ・蝙蝠の事です。

蒲団は本来、禅宗で用いられた蒲を編んだ敷物を指しました。
「ふとん」という発音は、禅宗が伝えた宋代の発音に由来したもの。
今言うところの蒲団(布団)に蒲を詰めたという話は、見えませんでした。



227:
世界@名無史さん:2012/01/19(木) 19:36:27.18 ID:0
610 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/01/19(木) 00:25:46.63
江戸時代の商家の住み込みの手代や丁稚はお風呂はどうしてたんでしょう?
入らなければ臭うし、さりとて商家はケチそうだから湯屋代も払ってくれるのかどうか。
もしかして井戸で水浴びで済ませてたとか?


611 名前:日本@名無史さん 投稿日:2012/01/19(木) 01:36:58.34
井戸端で行水して、手ぬぐいで拭うようなことは、
風呂がないときの日常風景。

昭和初期まで。

五右衛門風呂持ってたりするのは、結構お金持ち。



228:
世界@名無史さん:2012/01/20(金) 18:48:43.81 ID:0
食堂とかレストランに行くと大抵置いてある、V字型に折った紙ナプキン、
あれってどんな経緯でこれほど広まったん?
なんか水をちゃんと吸わないし、あの形もいまいちなんの意味があるのか不明。
海外じゃ全然見ない気するんやけど。



232:
世界@名無史さん:2012/01/21(土) 15:35:40.33 ID:0
>>228
V字型なんて書くからどんなオシャレなレストランかと思えば、
要するに卓上の容器に詰め込んである二つ折りにした紙ナプキンのことね。

水をちゃんと吸わないしって、おまえどんだけこぼしてんだよ。
だいたいアレは食後に軽く口を拭うためのもので、水を吸わせるものではない。



234:
世界@名無史さん:2012/01/21(土) 19:31:52.71 ID:0
こぼしたときは、おしぼりを使用するのが普通だったけど、いまは経費節約で使い捨てが
結構登場してきているから、この役割を果たせないね。

それはそうと、ナプキンって膝に置くけど、首に巻く誤用が広まった経緯は何だろう。



244:
世界@名無史さん:2012/01/24(火) 19:07:48.28 ID:0
なんかマナーに関してはそういうのあるよね。
欧米でも、正しいマナーって国によって違うのに、どっかの国の人間から自分達はやらない
って言われたとたんに、自国に帰ってそれは間違いだと言いまくったりするの。

フォークの背にライスを載せて食べるやり方とか。



245:
世界@名無史さん:2012/01/24(火) 20:34:54.33 ID:0
添え物の野菜のようなライスなら、それでいいと思うが、
パンの代わりのライスの場合、そんなちまちま載せて食べてられるか、
と中学生の時、思っていたのを思い出した。



250:
世界@名無史さん:2012/01/25(水) 10:57:08.17 ID:0
フォークの背にものを乗せて食べるのはイギリス式。
いちいち持ち替えないで済むし。
腹に乗せるのはフランス式。

こないだテーブルマナーを扱ったテレビ番組で、
フランスに行ってみんなにライスの食べ方聞いて回って、
背に乗せて食べるやり方を笑いものにしていたけど、
そりゃフランス人に聞けばそういう答え返ってきて当たり前。

日本人のコンプレックスを利用して、
あっちが正しいこっちが正しいって番組作りもアホっぽいというか。
http://homepage2.nifty.com/osiete/s533.htm



254:
世界@名無史さん:2012/01/26(木) 23:49:54.63 ID:0
ヨーロッパでは、身分の高い貴族は、旅行するときにベッドを一緒に持って行ったけど、
いつ頃から廃れたんだろ。



269:
世界@名無史さん:2012/02/05(日) 02:35:47.51 ID:0
>>254
ルイ14世の時代ですら、ベッドで謁見とかするから、玉座的な
意味をもっていたのだろうか?



255:
世界@名無史さん:2012/01/26(木) 23:55:04.65 ID:0
風呂桶とかも持って行ってたよね。
中世末期までは風呂桶持っていってる記述があったから
廃れたのはそれ以降からかな。



307:
世界@名無史さん:2012/06/18(月) 23:56:40.14 ID:0
平安時代の寝殿造りだの内裏だのって、スカスカな建築だな。
夏はいいかもしらんが、冬や嵐の日はどうしたんだろうか。
防犯上も良くないし。



310:
世界@名無史さん:2012/06/21(木) 00:18:02.19 ID:0
>>307
こないだの北関東の竜巻もそうだが、嵐なら風が抜けるようにした方が被害は少ない
一応防ぐ為のものとしては蔀を使うが、貴族の屋敷でも強盗が入る事はよくあった
(その為に武士を置くようになるが)

枕草子の「野分のまたの日」とか読んでみ
木が根こそぎ倒されたりするレベルの台風が来ても、翌朝起きたら
「格子の隙間に葉が入ってるのは風情があって、風のせいだなんて信じられないわー」だの
「普段キリッとしてる人が(風で)髪がボサボサになってるのステキー」なんて清少納言の余裕っぷりw



313:
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 18:08:16.27 ID:0
46 名前:人間七七四年 投稿日:2012/02/06(月) 11:58:48.44 ID:ffcZcPN5
こう寒いと戦国時代の暖房がどうだったのか気になります。
民家といえば囲炉裏ですが殿様の部屋には囲炉裏とかありません。
暖房はどうしていたのでしょう?


47 名前:人間七七四年 投稿日:2012/02/06(月) 12:15:00.08 ID:JobtfiV+
火鉢。


48 名前:人間七七四年 投稿日:2012/02/06(月) 14:39:54.75 ID:SMDocuag
そういえば徳川家康が、火鉢を利用した御飯の保温器というのを使っていたらしい。
どういう仕組み化はよく知らんが。


49 名前:人間七七四年 投稿日:2012/02/07(火) 01:21:32.97 ID:ry+NphYM
何かにまいて火鉢の灰の中に入れてたんかな。
じっちゃも保温には使ってたわ。



315:
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 22:53:28.05 ID:0
一般の農民などは、現代人からすれば考えられないぐらい寒さに強かったんだろうな。
今より平均気温が低かった江戸期に、薦とか、
せいぜい積み重ねた藁にくるまって寝ていたわけだから。

耐寒性というのは、子供の時に過ごした環境でかなり決まってしまうようでもあるけど。




転載元:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1322486111/
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