dendrodium

花も心を持っている 稚拙ですが民草が思いを綴ります。

ステルス革命(隠密裏の主権者変更)の阻止を訴えます。
民主主義国日本の主権者は私達国民です。
TPP導入で日本の主権を投げ出し、
憲法改正で国民の主権を奪おうとしている安倍政権。
私達は私達の為の国「日本国」を守らねば、
政府や外国企業の奴隷にされてしまいます。(こちら

日本はもう既にステルス革命を遂げられてしまっているのかも知れませんが・・・・・(2020・11・16)

諫早訴訟、和解決裂へ 「開門せず」に漁業者拒否

福岡高裁、基金案で解決提示

3/6 8:46

 高裁が正式に協議を打ち切った場合、7月30日に判決が言い渡される。弁護団によると、高裁は開門を前提とする協議を並行させる意向はなく、判決になっても国側に有利な結論を出す可能性が高いことを示唆しているという。確定判決による開門義務の履行を求め続けている開門派は厳しい状況に追い込まれた。

 勧告では、開門によって諫早湾周辺の営農者らが1997年の潮受け堤防閉め切りから21年間積み上げた生活に多大な影響を及ぼすと指摘。開門に伴う対策工事に少なくとも243億円かかる高額な負担も挙げ、「開門調査しても有明海の環境変化の原因が明らかになる保証があるとはいえない」として開門による解決の可能性を認めなかった。

 国の100億円の基金案を、「従来の公共事業に加えて有明海の再生に向けた取り組みの加速化を内容とし、重要な意義を有する」と評価した。基金の管理・運営団体に想定される佐賀県有明海漁協が一定の要望を加えて基金案受け入れの可否を検討している状況に触れ、「本来は開門を求めるところを苦渋の決断などをしたものと思われ、要望は尊重されるべき」と言及した。

 その上で「開門に代わる基金が、現在の混迷、膠着(こうちゃく)した状況を打開する唯一の現実的な方策」と結論付けた。勧告の受け入れなどの可否について4月4日までに回答するよう弁護団と国に求めた。

 弁護団の馬奈木昭雄団長は「基金案による和解協議に応じるつもりはない。確定判決をひっくり返すことは絶対に許されない」と反発した。国側は「開門を求める原告漁業者や漁業団体、自治体に引き続き理解と協力をもらえるよう努力していきたい」とした。

 訴訟では、確定判決を履行しない国が制裁金支払いの強制執行をしないよう求めている。2月26日に結審した後、和解協議を再開していた。

開門を求めた長崎の漁業者に対し、福岡高裁は2015年9月7日、
一審に続いて開門を認めない判決を言い渡しました。
諫早湾干拓訴訟と呼ばれるこの裁判は、湾の閉め切りによって有明海の漁業環境が悪化し被害を受けたとして、漁業者たちが佐賀(佐賀訴訟)と長崎(長崎訴訟)の両地方裁判所に提訴しました。佐賀訴訟では、10年12月に福岡高裁が開門を命じる判決を言い渡し、国(当時は菅直人首相)が上告断念、判決が確定しています。しかし、5年経った現在でも諫早湾は閉め切られたまま。地元の反対などを理由に判決を守らない国は漁業者たちに「罰金」としてすでに2億円以上を支払っています。(こちら

この二つの訴訟結果による混乱を解消すべく、
潮受け堤防排水門の開門を強制しないようにと
国が漁業者側に求めた請求異議訴訟を受け
福岡高裁が和解案を提唱しているのですが、
その和解案は漁業者に100億円の基金を与える事によって、
開門をせずに済まそうというものなのだそうです。

開門を命じる判決が出たのは民主党政権(菅総理)の時で、
開門を認めない判決が出たのは自公政権の時と、
判決には政治の思惑が大きく関わっている事は否めないと思います。
という訳で、
高裁が判決になっても国側に有利な結論を出す可能性が高いことを示唆しているのは、
正直な感想なのでしょう。
しかし福岡高裁確定判決勝訴側の原告は受け入れを拒否し、
潮受け堤防の開門が認められない場合は最高裁に控訴すると言って、
判決を求める方針を表明しているそうです。

下記は、諫早湾の干拓地で農業をしている農業生産法人2社が、
調整池に海水を導入する以外に渡り鳥の食害を防ぐ方法はないとして、
潮受け堤防排水門の開門を求めたというニュースです。

農業者も潮受け堤防の開門を求めているのですから、
政府は意地を張らず、迷惑をかけた有明海漁民のために、
開門して、少しでも罪滅ぼしをしようと努力するべきなのではないでしょうか?

諫早干拓事業>農地食害の賠償 国など棄却要請
農業生産法人2社追加請求 3/7 8:23

                                            
国営諫早湾干拓事業(長崎県)の干拓地で野鳥による農作物への食害対策を怠ったとして、農業生産法人2社が、国や長崎県、農地貸主の県農業振興公社に計200万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が6日、長崎地裁(武田瑞佳裁判長)であり、被告側は請求棄却を求めた。


 訴状などによると、2社はマツオファーム(松尾公春社長)とグリーンファーム(勝田考政社長)。収穫予定だったレタスやブロッコリーが今年1月、野生のカモによる食害を受けた。事業で設けられた調整池にカモが飛来するようになり、防除などを要請してきたが、措置を講じなかったと訴えている。

 2月26日に提出した追加請求では、調整池に海水を導入する以外に渡り鳥の食害を防ぐ方法はないとして、潮受け堤防排水門の開門を求めた。調整池の淡水化によって農地一帯の気温調節機能が失われたとも主張している。被告側は次回以降、追加分に回答する。

 2社は開門を求めている漁業者側原告団に加わる方針。松尾社長は取材に「調整池があるために厳しい状況に置かれた。干拓農地の現状を知ってもらい、漁業者との共存の道を考えていきたい」と述べた。

続きを読むに
堤防閉め切りが有明海奥部の貧酸素化に影響 を
複写させて頂きます。

堤防閉め切りが有明海奥部の貧酸素化に影響 

=諫早湾干拓= 佐賀大・速水准教授ら指摘

2/20 8:15
拡大する 

海水中の酸素濃度が極端に減り、二枚貝などが死滅する原因となる有明海奥部での貧酸素化について、佐賀大と九州大の研究グループが、国営諫早湾干拓事業の影響で貧酸素化が進んだとの研究成果を発表した。潮受け堤防閉め切りで島原半島沿岸の潮流が弱まったため、外海からの水が入り込みやすくなり、佐賀県西部の有明海奥部で貧酸素化していると指摘した。

 諫早湾干拓事業を巡る訴訟で、国は堤防閉め切りと有明海奥部の漁業不振との因果関係を否定しているなか、貧酸素化との関連を指摘した今回の研究結果に注目が集まりそうだ。

 有明海では鹿島市・太良町沖の有明海奥部と諫早湾内で貧酸素化が見られ、佐賀大低平地沿岸海域研究センターの速水祐一准教授(50)らが有明海奥部での長期的な貧酸素化について3年前から研究。その成果を科学誌「ジャーナル・オブ・オーシャノグラフィー」電子版に発表した。

 速水准教授らは、有明海奥部で1970年代から90年代にかけて起きた有機物量の増加が、植物プランクトンの増加と二枚貝の減少によって引き起こされ、貧酸素化につながったことを実測データによる解析で明らかにした。

 さらに、97年の堤防閉め切りによって諫早湾口から島原半島の東沿岸の潮流が弱まり、天草灘から低温・高塩分の海水が底層に浸入。この影響が有明海奥部まで及び、表層の海水と混ざりにくくなったため、貧酸素化が進んだことを突き止めた。

 これまでの研究で、堤防閉め切り前後で有明海奥部の潮流はほとんど変化していないと分析していた。

 速水准教授は「干拓事業が漁業に与える影響について議論されてきたが、今回の研究で貧酸素化進行のメカニズムが解明された。有明海再生に向けた実効性のある対策につなげてほしい」と話している。

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京都との県境近く大津市南部、
瀬田川の畔に住まいする昨秋80歳となりし、 名も無き嫗でございます。
吾が庵は 琵琶湖の南 鹿ぞ住む 世を宇治(憂じ)ログと 人に言うなり(2024・2・5一部修正)

事情があって(こちら
しばらく春夏秋冬で書いていましたが、
又こちらで書くことになりました。
今度はお馴染みになりました 和久希世(以前は わこ)に改めて再出発とさせて頂きます。
2010・3・21

FC2dendrodiumを終了し、
ライブドアブログdendrodiumに移りました。
(2016/3/1)
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尚、
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