「鳥わさ」と言うと、一口サイズのササミで作られてて酒のツマミでちびちびと食うもの、と言うイメージが通常だろう。
しかし現代高タンパク礼賛時代には、肉食文化における特異点を強烈に逸脱せんとする鳥わさが生まれていた。
■鳥わさ丼(並) 1,000円
この世には様々な境界線と言うものがあり、大人と子供、合法と非合法、生と死など、その境目には叙情性が多分に含まれるものである事は周知の通りだろうが、その危ういラインを幾つも有するのがこの鳥わさ丼だ。
まずササミではなく胸肉を使用する点においても「鳥わさ」と「鳥わさでは無い何か」の緩やかな境界を感じるが、問題は「生部」と「加熱部」の境界が織りなす「合法」と「非合法」の耽美なコントラストではないだろうか。
基本的に、生肉は危ない。
牛レバ刺しが非合法化して久しいが他の動物、部位においても生食は危険が伴う。丁寧な処理さえすれば・・とも言われるが、人間の仕事に100%など無いからこそ牛レバ刺しは悲劇を招いた。
牛レバ刺しが非合法化して久しいが他の動物、部位においても生食は危険が伴う。丁寧な処理さえすれば・・とも言われるが、人間の仕事に100%など無いからこそ牛レバ刺しは悲劇を招いた。
決して完璧な安全など無い、だがココの鳥わさは牛レバの悲劇をあざ笑うような圧倒的な生を内封して現れる。
1枚がとにかく分厚い、箸で持ち上げると雛1匹分位の量感がある。それが遠慮なく10枚位入っているから差し詰め鳥小屋だ。
そして見ての通り加熱でタンパク変性しているのは表層のみ。地球で言えば上部マントル程度の深度であり加熱時間は極めて必要最低限、この非常に高度な処理が調理と火傷の境を曖昧にしており、口に放り込み歯を立てた時に永遠に続くのではないかと思わせるその厚みと生と死を思わせる地層のコントラストが語りかける変革のメッセージは既にこの世の言語では説明の付かないものだ。
そして表面には無数の包丁跡、この丹念に刻まれたキャズムからまろびでる照り返しは斯くも清廉で迷い無く躍動する向こう見ずか。
恐れは微塵も無く腕力に身を任せ突破を試みる一種の若さは厚顔無恥の最先端であり、良い意味で大人に成りかける青年のような突進力が唯一の説得力であって、ここに官能をも孕んでもろとも破裂せんとする特異点が確認できる。
恐れは微塵も無く腕力に身を任せ突破を試みる一種の若さは厚顔無恥の最先端であり、良い意味で大人に成りかける青年のような突進力が唯一の説得力であって、ここに官能をも孕んでもろとも破裂せんとする特異点が確認できる。
要するにとにかく乱暴な食べ物なのだ。
めちゃくちゃに量が多いしワサビが鼻をガンガンに襲うしで食いながら失神しそうになる攻撃力が最高に堪らない。そもそも鳥わさを丼にすると言う発想自体が特異、提供に30分近く待った甲斐があったと言うもの、この満足感は他に類を見ない凄まじい丼だ。
この肉食文化の変革に欠かせない、よね家の鳥わさ丼、
ランチ限定なのでご注意を。