福島第一原子力発電所の危機が多くの人によってツイッターで言及されている。原子力発電所のリスクについて、この度の事故がきっかけで、知った人が多いことだろう。
「原子力発電所のリスク」などというと、私が「反原発」思想だと思われるかもしれないが、決してそうではない。私は、リスクを知った上で、必要だと思っている。だからこそ、今回の危機は、胃がせり上がってくるほど怖い。
今はじめて知った人と、前から知っていた私。「知っている」という経験には、差がないといえる。だが、初めて知った人が多いようで、前もって、「危険性」の共有がなかったことに驚いている。
今回の事故で、洗いざらい原子力発電所のリスクが知れ渡ることになるだろう。それでもまだ充分ではないかもしれない。今後どのように共有していく行くのだろ うか。今は、危機への対処が最優先の段階だから、今これを問い詰める気はない。今回無事危機を回避し、災害から復興した暁には、原発のリスクの共有 は、きっと国の政策の一つになることだろうし、なってほしいと願う。
というのも、東京電力の度重なる記者会見がうまくいっていないように見えるからだ(記事末動画参照)。「原発のリスクってなんなの?」という知識を共有する段階の質問もある。その質問が大切な事なのは間違いない。だが、現在は、時間が限られている極限状態で僅かな時間でも惜しいくらいだ。
事前にリスクを共有していれば、質問時間を、今より有意義に過ごせ、かつ短縮できる。今より、記者会見に出る人たち(今回は、東京電力)も、事故への対処に時間をさけるだろう。
質問する側もされる側も、この東日本大震災の極限状態に慣れていない。知識の共有もされていない。このことが、記者会見でのバタバタ感に繋がっているのではないか。そのバタバタ感は、見るものをいらだたせる。ただ、バタバタしていることを責めても事はうまく進むわけでもない。見るものは無力を感じる。
記者も会見出席者も、慣れていない前提で、其れを認めた上で、協力しあい、より良い解決を探ってほしいと切に願う。「協力し合いましょう」という一声をあげてから、記者会見を始めるのはどうだろうか。市民も被災者も、協力しあって解決することを何より望んでいるのだ。
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