杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

山城を巡る(1)~小手森城~

2018å¹´11月28æ—¥ | ç¦å³¶
10月下旬、伊達政宗フリークの奥さんのリクエストで、紅葉狩りがてら福島県内にある伊達政宗ゆかりの地を訪ねてきました。

世間では伊達政宗と言えば宮城県という印象が強いですが、正室の愛姫(めごひめ)は福島県の三春出身であったりと、実は福島県にも数多くの縁の地があるのですが、一般的にはあまり知られているとは言えないマイナーな場所となっています。

旅の始めはまず、政宗の父伊達輝宗(てるむね)の首塚があるという慈徳寺を訪れ、旅の無事を祈ります。
(尚、首塚というのはあくまで俗称で、首だけが祀られている訳ではありません。)

〔慈徳寺〕


〔輝宗の首塚〕


そして政宗の従兄弟である伊達成実(しげざね)が収めた大森城へ。現在は大森城山公園として整備されています。

〔大森城山公園〕


公園内にはあちこちに「空濠跡」があり、かつては確かに大きな城だった事を忍ばせます。




そして福島市内を抜けて南下し、悲劇の地〔小手森(おてのもり)城〕へ向かいます。
天正13年(1585年)8月、会津攻めを行っていた伊達政宗は、この城に立てこもる兵のみならず、農民・女子供すべてなで斬りにし、その数200人とも500人とも1000人とも語られる、虐殺の舞台となった場所です。

二本松から東へ10km、349号線沿いの小高い山の頂上にそれはあります。


しかし、ナビが示す通りに行ったら山の反対側に誘導され、そこからは登り口が見つからず、結局引き返してぐるりとひと山回る事になってしまい、1時間近く余計な時間を過ごしてしまいました。
初めから349号線を素直に行けば、この様に道の途中にはちゃんと小手森城への標識があったのです。



しかしその標識通りに道を行くと小手森城入り口の鳥居はありますが、そこから先に道はなく、

(道無き道)


それでも無理をして登っていくと突如車が通れるほどの道に出て、そこを道なりに登るとようやく入り口が見つかります。
実はこの鳥居まで行かずに、もっと手前にある斜め左方向の分かれ道を登っていけば、素直に城跡への登り口に着く事が出来るのでした。
正直、ここはもっと分かりやすい標識にしてほしいものです。



階段を上るとこじんまりとしたほこらがあり、その前を横切って深い森の中に分け入る登り道があります。



そしてその先には、険しい山道が待っていました。



山の中を歩く事10分あまり、ようやく神社に上る階段に辿り着きます。
かなり急な階段でしたが、ちゃんと手すりが整備されていて助かりました。



延々と続く階段の先に、小手森城跡に建立された〔愛宕神社〕の本殿がひっそりと佇んでいました。



本殿脇には小手森城の悲劇の説明書きが。
『織田信長の比叡山焼き討ちにも比すべきものであった。』とあります。
(クリックで拡大 ↓)


当時伊達政宗は若干18歳でしたが、若き日の彼は、戦いには情け容赦ない鬼として周囲から恐れられていた様です。
悲劇の地に建つ愛宕神社は、今尚数多くの無念の魂を沈め続けている様に見えました。




ようやく辿り着いた小手森城までの道筋が、スマホナビに記録されていました。
目的地を目の前にして行ったり来たり、その苦労の跡を見ると何とも感慨深いものがあります。

 

山城(やまじろ)巡りというものは、その近辺までは行けるけれど城跡まで辿り着くのがまた一苦労という所が多く、でもそれこそが山城攻略の醍醐味でもあるのですね。

福島の山城攻略の旅はまだまだ続きます。
(2)へ続く。


(参考)
・「余湖くんのホームページ」より「小手森城」

※小手森城のエピソードについては、こちらのマンガでも詳しく紹介されています。
 ・「漫画・独眼流政宗」より「第55話 凶風小手森城 前編」
 ・      〃     「第56話 凶風小手森城 後編」


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。