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昨日、朝の便で中国・北京に到着して、夕刻に天津市に入った。これから、行われる「在日殉難烈士労工記念館」開館式に土井たか子さんに同行して参列するためである。戦争中、日本に強制連行された中国人労働者は、過酷な労働環境で重労働を強いられ、次々と亡くなった。戦争が終わり、日本と中国の国交がない時代に、「中国人遺骨返還運動」は民間団体と政府、そして赤十字の手で行われた。国会でも、活発な議論がなされて日中国交回復の土台をつくるさきがけの仕事だったと聞く。今週は、千鳥ヶ淵戦没者で合掌し、週末は天津で中国の犠牲者の追悼をこめた参列となる。

戦時下の中国強制連行下で起きた花岡事件は有名だ。1944年から45年にかけて986人が秋田県大館市にあった鹿島建設の鉱山で強制労働をさせられた。食事も満足に与えられず、暴力的な監視が続いて、死者・病人・けが人が続出した。1945年6月、中国人たちは蜂起して反乱を起こした。警察をはじめ地元青年団員などが鎮圧に動員されて日本の敗戦までに418人が死亡した。生存者が中心となって、花岡事件受難者連合会が組織されて、鹿島を相手に損害賠償請求訴訟を行ない、2000年11月に東京高裁で和解が成立。鹿島は中国紅十字社に5億円を信託して「花岡平和友好基金」を設立、被害者・遺族の支援や子の教育のために使うことになった。
鹿島は「補償・賠償ではない」とコメントしているが、強制連行をめぐる裁判決着をみたのはこのケースが初めてだという。(『マスコミ市民』中国・朝鮮人強制連行の謝罪と責任(野添憲治氏)』を参考に記述)

私も田英夫参議院議員の代理で、4~5年前に大館市での慰霊祭に参加したことがある。これから、当時の経験を語る生存者の方にもお会いすることになる予定だ。鎮魂と慰霊の一日となる。




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