走れ1それは結構衝撃的なニュースだったので、思い出す人も多いと思います。

周回を数え間違えられてトラックに誘導された競歩の選手が、ゴールした後、倒れてしまって、結局失格になりました。 数年前の出来事ですね。 たぶん、北京オリンピックの前で、代表選手の選考を兼ねていたレースだったと記憶しています。 大阪陸上、かな?

きっと多くの人が、なんともやりきれない気持ちになったことだと思います。 もちろん、私も。

そして、「でも、一度ゴールしたと思ったら、もう走れないよなぁ。」と思ったのではないでしょうか。

久しぶりの記事の冒頭、なんでマーケティングじゃなくて競歩の話なの? もちろん、たとえ話としての導入なんですが、先日来考えていたことをうまく説明するのに、「走る」ことにたとえるとうまくいくかな、と思って。 しかも、もしかするとマーケティング以前の話かも。 ともかく、書き進めてみます。

長距離走で、ハーフマラソンだと言われて走ってて、例えば20km地点で、「ごめん、今日はフルマラソンだから」って言われたら、走れなくなるんじゃないでしょうか? 最初に「100kmマラソンです」ってわかってたら100km走れる人でも。

そんな大げさな話をしなくても、100m走るときの走り方と、5km走るときとは、素人でも違う走り方をするはずです。

たとえ陸上のエキスパートであっても、どうしようもないのは、ゴールがどこにあるのかわからないのに、「とにかく走れ」と言われることでしょう。

誰にでもわかる常識ですよね。


零細コンサルとして仕事をするようになって2年強、いろいろな会社や団体の方とお仕事をさせていただく機会ができて、先日の記事でもK。が1年を振り返っていましたが、ホントにいろんな経験をさせていただいて、楽しいですねぇ。 みなさんに知らないことをたくさん教えてもらえるし、私たちの考え方や発見を先方にお伝えして参考にしてもらって、で、結果、何かが出来上がると、とてもうれしいです。

しかし、いくつか「そうなの???」ということに出会うこともあり、それが新鮮な発見ならいいんですが、「おいおい!」と思うこともあり。

その「おいおい!」のひとつ。 世の中には案外、「ゴール(あるいはビジョン)」と「戦略」が決まっていない組織や仕事がたくさんあるのだ、ということです。

しかも、ときどき、そもそもそういう概念が存在していないことがある。

多くの場合、「予算」(短期的に目標とする数字のことのようです、それをなぜ日本語で予算というのか、私にはかなりの謎)と「プラン」は存在するみたいなんですが。

不思議です。 冒頭の「走れと言われても、どのくらいの距離をどのくらいの時間で走るのかを決めないと走れない」は常識なのに、ビジネスの世界で「ともかく走れ」、あるいは、「ともかくそっちに向かって進んでいればなんとかなるだろう」が通じるなんて。

ゴールがわかっていないのに、走り続けることはできないし、走り方も決められないし、そもそも走れるのかもわからない。 だから、「走れ」とだけ言われたら、誰も走らないか、あるいは、すぐにみんな倒れてしまうことは明白。 「とりあえず走ってみる」じゃ、それが正しいのか、それによって出た結果が妥当なのかもわからない。 はずなのに。

とても頭のいい人たちが集まって、一生懸命働いて、結果を出し続けていかなければならないビジネスの世界で、なぜそんなバカなことがありえるのか。

「ともかく全力で走り続ければなんとかなる」という精神、とか、「がんばらせることでなんとかする」という組織運営・人事管理上のカルチャー、とか、いろいろとあるんでしょうが、そのあたりは私には関係ない分野なので、放っておくとして、マーケティングに関わる範囲で考えてみます。


まずは、ゴールの設定、あるいは、達成可能な夢、について。

コンサルをしていると、当たり前ですが、たいていのお客様は「困っている」からいらっしゃいます。 「これはどっちがいいですか?」とか「この場合、次はどうしたらいいですか?」レベルから、「すいません、途方に暮れています」レベルまでいろいろと。

その時に、(そのままの質問をするかどうかは別として)必ず聞くのが「あなたはこのブランド・商品・サービス、カテゴリのユーザーを最終的に・長期的にどうしたいんですか?」ということです。 そのとき、驚くほど多くの方が、(言葉こそ違え)「なんでもいいから伸ばしたい」とお答えになります。 いつのどの状態に対して、どの程度伸ばしたいのか、その結果どうなるのか、を聞くと、「昨対で5%伸ばせといわれているんですが、今、-8%です」と。

私が聞きたい答えは、例えば「カテゴリのNo.1になりたい」とか、「20XX年までに、X万人の方にXXな経験をしてほしい」とか、「あとX%売り上げを伸ばして、出た利益でXXセグメントに参入を果たしたい」とか、または「日本の大多数の女性にXXであることは素敵なことだと認識させたい」とか、そういうことなんですが、これが出てこないんです。

それに対して、「今、私たちはここにいます、ここでもがいてます」というのを教えていただけると、ものすごく仕事に取り組みやすいし、やる気も出るってもんなんですが。

「予算」っていうんですか、短期的なビジネス上での数値目標が大事なものであることは、私もビジネスの世界(ぬるい世界だったかも、ですが)に長くいたので、よくわかります。 会社や株主や銀行と約束したことを守ることはとても大切なことです。 もちろん、なんとかしないといけない。 万一できないなら、できない理由・原因と代わりにできることをちゃんと話さないといけない。 (説明責任とかって言うんですよね、確か。 いつの間にかすっかり「日本語」になりましたね。)

しかし、だからといって、夢を、ゴールを語れない、では困ると思うんです。

なぜなら、それは「ただひたすら走る」ことにつながってしまうから。

人は、金のために金を儲けようと必死になる人のことを「金の亡者」と呼んで嫌うのに、数字のために数字を追うビジネスパーソンになってたりする、わけですよ。

夢のないマーケッターには売れない、夢を売らないブランドは売れない、と私は信じています。 信じているだけではなく、そうだったという経験を、プラスもマイナスもしてきたうえで。

ここで言う「夢」とは、夢物語というときの夢ではなく、どちらかというとビジョンという言葉に近いのですが、達成可能なゴールの向こうに見える景色、そのときブランドはユーザーは世の中はどうなってるはずか、みたいなことですね。

それをビジネスリーダーが示してくれたとき、走る気になる・走りたくなるし、そこまでいくのなら、どのように走ればいいか、しっかり考えることができる。

しかし、どうも、とても魅力的あるいは意義があって、十分に達成可能で、存分に手ごたえのありそうなゴールの設定は、マーケティングにとって必須なのだというのは、常識ではないようですね。

きっと右肩上がりの成長の中にいて、常に隣にいる競合よりも優れていて安いものを作って世の中に送りこめば良かった「やすものづくり」時代の遺物なのかも知れませんが、「予算」と呼ばれる、根拠のない辻褄合わせだけの数値目標に向かって「がんばって」走るのは、そろそろやめないと、みなさん、疲れ切ってしまうんじゃないかと思います。 きっと今や中国人のほうが走るだけなら速いし、しかも向こうはリレーできる選手の数が桁違いなので。

次は、戦略の創造について考えてみますね。

お。