「パパ、この鶏肉、おいしいね。」
「そうだろ、ピーちゃんもお前に食べてもらって幸せだろうなぁ。」
「え・・・・(絶叫!)」
なんていう、のどかでグロテスクな話は、悪い冗談でしかありませんが、この話にはマーケティング、それもブランド・マーケティングにとって大切な教訓があります。
人はペットに名前をつけます。
うちのわんこにも「もずく」という立派な名前があります。 その前には「なっとう」というわんこもいました。
馬には、それが乗用や荷役用である場合、昔から1頭1頭に名前を付けていたようです。
一方、食べることを目的として飼っている動物に、人はあまり名前をつけません。
スーパー種牛などに名前があるのは、どっちかというと「記号」ですし、食用を前提とした家畜に名前をつける場合は、たいてい飼う人と食肉に加工する人が違っています。
これはかなり昔からそうだったようですし、日本以外の文化でもそうだと聞いたことがあります。
それは、「名前をつけたものには人格が宿る」からなんですね。
そうなるとなかなか殺せないし、ましてや食べられません。 名前をつけてかわいがったぬいぐるみをぼろぼろになってもなかなか捨てられずにいるのも同じです。
「名前をつける→人格が宿る」
実はこれこそがブランド・マーケティングの根幹を成す概念なんです。
(先日、livedoorさんで「ブランド・マーケティング」の勉強会をさせていただきました。 すぐ下の記事です。 その時は、ここを少し飛ばして話してしまったので、今日はその「補講」という意味もふくめて、「ブランドってなぁに?」というお話です。
そういえば、Blog立ち上げの準備のころにlivedoor佐々木さんにお会いした時も「お。さん、ブランドって何ですか?」って聞かれてたので、半年来の宿題でもあったわけですね。)
みなさん、会社や商品・サービスに名前をつけます。
ブランドの誕生です。
名付けた人がそれをちゃんと意識しているかはさておき、その瞬間に人格が宿ります。 名付けた段階ではまだ成長していないので、赤ん坊みたいなもんですが。
親には「こんな子・ひとに育ってほしい」という思いがあるはずです。 おじいちゃんの名前をもらっただけ、とか、占いで決めてもらった、としても、そこには親の思いが込められています。
そもそもその子に備わった特徴や特長、世の中での役割・使命、時代の背景や要請みたいのもあります。
そして、親の思いを背負った看板ができ、あるいはパッケージデザインができ、チラシや広告が作られ、その人格は人生をスタートするわけです。
やがて、その人格はお客さんとのやりとりにも影響されて、さらに人格を構成する性格や態度、立ち居振る舞い、信念・哲学などを明確にしていくのです。
もう親の一存で無理矢理イメージを変えたりできなくなってしまいます。 一個の人格として尊重してあげないと、グレます。 親や周りの人がしてあげられることは、成長の手助けだけです。
こういうのをマーケティングの世界ではブランド・キャラクターと言ったり、ブランド・エクイティーとかブランド・フィロソフィーと言ったりします。
火傷の薬の成分を名前の由来に持つ「パンテーン」というシャンプーは、それ故に「直す・改善する」という役目を捨てることはできません。 「いいじゃん、そのとききれいになれれば」と言ってみても、「らしくない」のです。
一方、家紋を胸に抱いて、家紋の花の名前を付けられたシャンプーが「髪のダメージを改善します」と言っても説得力はなく、やはり「女の子たちみんな、ともかくきれいでいるのが一番うれしいのよねぇ」と宣言し続けなければならないんです。
ふたりとも、そういう生まれ、性格・キャラなんですね。
(すいません、ついついシャンプーの話になってしまいます、、、。 長いことやってたもんで。)
NIKEにも、大関にも、Googleにも、とらやにも、TOYOTAにも、ハーゲンダッツにも、SHARPにも、KissMintにも、KOBEにも、それぞれの背負って立つ役割と、生まれ・生い立ち、性格・キャラがあるわけです。 それを捨てると、やがて100円ショップ行きです。
ブランド・マーケティングとは、結局のところ、その人格をしっかり把握し、その人格の成長を手助けすることで、モノを売る・買ってもらう仕組み、のことなんだと思います。
でっかいトピックの割に、あっさりとした答えでした。
これで全部、ではありませんが、これは大切なスタート・ポイントです。
お。