「廃墟写真」というジャンルにおける「表現」の構成要素
私は、知財関係ですと被告側代理人を務めることが多いのですが(ドメイン関係で債務不存在確認請求訴訟を提起する場合はともかくとして)、本日は、原告側代理人として訴状を提出してきました。
その事案は、いわゆる「廃墟写真」というジャンルのさきがけである丸田祥三さんが個展で展示し又は写真集に収録した写真と同じ被写体、類似する構図の写真を、小林伸一郎さんという職業写真家がその写真集に収録して出版したというものです。
写真の著作物の場合、「何を、どのような構図で撮るか」ということに写真家の個性並びに商品価値が決定的にあらわれるので、「何を、どのような構図で撮るのか」ということが、単なる「アイディア」を超えて、「表現」の一内容を構成するのではないか、ということが、根本の問題としてあります。これを積極的に認めたものとして、いわゆる「みずみずしい西瓜」事件高裁判決があるわけですが、風景写真の中でも、その光景に「美」を見出すこと自体が個人の(類い希な)美的センスの発露である「廃墟写真」というジャンルにおいては、「何を、どのような構図で撮るのか」ということを「表現」を構成する要素として捉えても良いのではないかと考えたのです。また、例えば、先行する廃墟写真集と同じ被写体、同様の構図の廃墟写真を別の写真家に撮らせて新たな廃墟写真集を製作して販売する場合、被写体たる廃墟を探すまでに費やした時間とコストを節約できる分後行作品の方が安く上がる可能性が高いわけですが、それって著作権法により制限しようとする「フリーライド」に他ならないわけで、フリーライドにより資本投下を節約した後行作品の市場への進出を抑制することにより投下資本を回収する機会を表現創作者に付与するものとしての著作権法が存在する以上、今回問題視している小林さんの行為を制約するために著作権法が活用されるというのは、方向としてはあっているのではないでしょうか。
まあ、もちろん、この種の案件では近時は訴訟物を著作権一本の絞らずに、一般不法行為も予備的ないし選択的に付けておくのが流行なわけで、この案件でも、職業的写真家が多大な時間とコストを費やして探し当てた廃墟写真の被写体と被写体とする写真を、これと市場にて競合する関係に立つ職業的写真家が撮影して、あたかも自分が独自にその被写体を探し当てたかのような文章等とともにこれを写真集に収録して販売していた場合には、一般不法行為にあたるのではないかとか、そういうことを含めて諸々の主張をしていたりします。
ということで、タイマーが発動してこのエントリーが自動的にアップロードされる頃に、記者クラブでこの件に関する記者会見を行う予定です。
Posted by 小倉秀夫 at 01:30 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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