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05/31/2005

「P2Pを巡る法律問題」に関する論文

 昨年、「法とコンピュータ学会」で発表した「P2Pを巡る法律問題」について、これをまとめた論文の初稿を、昨日、学会事務局に提出しました(締切前日に)。本文では、現行法の解釈論をガシガシとやっているのですが、まとめの部分では、この問題の解決は本来解釈論ではなく立法論でやるべきということを軽く触れていますので、少しご紹介したいと思います。

 立法論に関する私見を学会誌で述べるか否かは、まだ考慮中です。





五 まとめ

 以上、P2Pに関する法律問題について、現行法を前提とする解釈論を縷々論じてきた。

 この問題は、公衆が公衆に向けて様々な種類の情報を発信することを可能とする技術が現れた場合に、その技術を利用して公衆に向けて情報を発信したい者、その技術を利用して公衆に向けて情報を発信するのに便利なサービスを提供しようとする者、並びに、ある種の情報が公衆に向けて発信されることを望まない者、の三者について、誰にどれだけの我慢や負担を強いるのかということに帰着するものである。このような複数当事者の利害が対立する問題について、これら対立する利害を調整し、バランスのとれたルールを制定するのは、本来裁判所の仕事ではなく[55]、議会の仕事である。しかも、議会が予めルールを明文化してくれていれば、P2Pサービスを公衆に提供しようとする事業者は、何をし、または何をしなければ、法的制裁を加えられずに済むかを前もって知ることができるため、第三者の利益を不当に侵害しないビジネスモデルを構築してそこに多額の資金を投ずることが可能となる[56]。したがって、P2Pを巡る法律問題については、特別立法を制定することにより解決することが望ましいというべきである。



[55] 関係する様々な利害関係者の生の声を吸い上げる機能に劣る裁判所が背伸びをして「社会のニーズ」を判断して「法創造」を行おうとすると、勢い、より「公(おおやけ)性」をまとった利益集団の声を「社会のニーズ」と勘違いしてしまいがちになるのではないだろうか。裁判所が「法創造」を行わざるを得ない米国においては、重要な判例形成がなされる可能性がある訴訟事件については、訴訟当事者ではない利益集団が「裁判所の友(Amicus Curiae」として意見を述べる機会が与えられており、関係する様々な利害関係者の声を吸い上げる機能を裁判所が制度的に有している。このような機能を有していない日本の裁判所が「法創造」を行う前提となる「社会のニーズ」を適切に判断しうるのかは大いに疑問である。


[56] 「法創造」的な解釈により刑罰権の対象や対世的な禁止権の対象がアドホック的に拡張される法環境のもとでは、新しいビジネスモデルを構築しそこに多額の資金を投ずることには躊躇をせざるを得ない。そこには一種の萎縮効果が発生し、本来許されるべきあるいは推奨されるべき情報通信サービスが提供されなくなる危険が生ずる。特に、「法創造」的な解釈によりアドホック的に禁止されることとなったサービスを提供した会社の代表者が個人として多額の損害賠償義務を負うような法環境のもとでは、新しいビジネスモデルを構築して公衆に提示する新興企業の経営者は、裁判所による「法創造」という事前に予期し得ない現象によって、当該企業に投下した資本の額を超えてその個人資産まで喪失するリスクを負うことになるから、経済的合理性に基づいて行動する場合、自己の経営する企業では新たなビジネスモデルは提示すべきではないという結論が導かれることになる。しかし、そのようなリスクを怖れて誰も新たなビジネスモデルを構築しなくなれば、社会の発展を停滞することは明らかである。

Posted by 小倉秀夫 at 10:56 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle |

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