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■漫画をめくる冒険―読み方から見え方まで― 下巻・The Book (2) (編) ピアノ・ファイア・パブリッシング (著) 泉 信行 ■本の説明 内容紹介 【解説より】 あなたは漫画というものに興味がある。興味があるから、漫画がどういうものか知りたくて、あなたはジャンルとしては漫画評論に属するこの本を読もうと思ったわけだ。 でもこの本は、これまでにあったどんな漫画評論とも、ちょっと違った書かれ方をしている。 【メロンブックス商品解説】 各方面から多大な評価を集めた、漫画論本『漫画をめくる冒険』シリーズの完結編です! 今までのどんなマンガ評論とも違った観点から、漫画についての様々な論説を書く本書。 下巻では「本」のメディアのかたちと、私達の「よむ」という行いそのものについて綴ります。 150点以上の図版と222ページのボリュームで、実例を挙げながら其々のテーマを語ります。 漫画に対する認識
■本の説明 内容紹介 【裏表紙より】 2005年末から各媒体で活動を続け、革新的な漫画研究やコミックレビューを重ねてきた、泉信行の仕事の八割方くらいを一冊に集成。 加筆・改訂・おまけをふんだんに盛り込んだ、最新の研究レポート! ゼロから知ってゆける漫画の原理。ページをめくり、見つめるものがいることで旅は続いていく――。 【目次】 日本の漫画のめくり方 ―視線の力学と漫画の文法― 第一部 読者の〈目〉が漫画に与える力 第二部 視線の力学 アングル編 第三部 視線の力学 ベクトル編 第四部 漫画の文法 コラム 『アレクサンドロス』の東征と左右のベクトル ボーナストラック ―付録― 松井優征『魔人探偵脳噛ネウロ』 村上よしゆき『新約「巨人の星」花形』 吉住渉『スパイシーピンク』 宇佐悠一郎『放課後ウインド・オーケストラ』 なぜ辻褄を合わせようとするのか? ■本の詳細 別冊:72ページ 価格:イベ
■漫画をめくる冒険―読み方から見え方まで― 上巻・視点 (1) (編) ピアノ・ファイア・パブリッシング (著) 泉 信行/イズミ ノウユキ ■本の説明 内容紹介 【オビ紹介文より】 「漫画論は、面白い」 明快な基礎理論から始まり、作品論や作家論をこえて、 メディアやコミュニケーションの問題へと視点は広がっていく。 上巻で登場を願う主な作家は、浦沢直樹・小林尽・津田雅美・曽田正人。 広大な「目で見える世界」をめぐる旅がスタートする。 【第二版特典】 第二版以降のオビ推薦文として、 精神科医・斎藤環先生 ゲーム作家/小説家・元長柾木先生 漫画家・緒方てい先生 ……ら三名の先生方によるコメント付き。巻末には海燕氏による4Pの「解説」が付属(→「解説」を途中まで読む)。 【目次】 序 ページをめくる時々の体験――「本」という形状にひそむ力 〈本〉の形をした漫画 漫画の読み/描き 第一章 イメージ
LD >> ちょっと『ワンピース』から行きましょうか。 いずみの >> ようやくゾンビ島編のスジが明確になってきましたね。 いずみの >> あとバトル漫画として見ると、ゴジラと同じで「強すぎる主人公の敵をどうするか問題」に突っ込んだ展開ですよね。ゴジラといい勝負できるのはメカゴジラだけ、みたいな。 いずみの >> ギア3による成長をちゃんと盤踞させる為の「巨大ルフィ戦」かな、という気もしますが。あとゾロの刀ゲットか、うまく行けば三丁念仏もゲットですね。 LD >> う~ん……。>強すぎる主人公 いずみの >> いや勿論、世界全体の「強さ」の余白はまだ十分残した状態での試練だとは思いますけどね<ルフィ 対 巨大ルフィ エイブ >> 僕はワンピースの仲間関係の希薄さの違和感と、努力の見えにくい強さが苦手ですね。現代的といえば現代的なんでしょうけど いずみの >> あぁ、ワンピ世界の住人は、幽白
■同一化技法という造語から 「主観ショット」という映画用語がある。また、漫画論の世界では「同一化技法」という言葉がある。 主観ショットとは、Point of View(視点)ショットとも呼ばれ、略して「POVショット」もしくは単に「POV」とも呼ばれている。カメラが映す映像を「登場人物の視点から撮影したもの」として見立て、登場人物の視線の向きを、観客の視線とほぼ一致させることのできるカメラワークを指す。そして主観ショットの効果を生み出すような演出は、(登場人物と観客の視線を同一にすることから)「同一化させる」などと説明される。 一方、同一化技法とは、漫画研究家である竹内オサムがその著作(『マンガ表現学入 門』など)の中で提唱した言葉であり、映画の技法を漫画に援用したものだと定義されている。しかし、映画用語の中には「同一化」という言葉こそあれ、実は「同一化“技法”」という言葉は見かけられない
←戻る いずみの@講義中 の発言: それでは、今回の参考物件をとりあえず列挙しますね(笑) はし の発言: はいw いずみの@講義中 の発言: 文脈としては、まずペトロニウスさんの予想から始まって *153時間目 綾瀬夕映の答えの予想~世界の理を曲げること http://ameblo.jp/petronius/entry-10018551338.html いずみの@講義中 の発言: ウチの記事をペトロニウスさんが拾って、ぼくも議論に参加して(コメント欄参照) *ピアノファイア いずみのさんより http://ameblo.jp/petronius/entry-10018598876.html いずみの@講義中 の発言: このペトロニウスさんのブログに、 名も無き読者さんが投稿。 *夕映の答えと超の反論予想/さらにそれを覆すネギの論、の予想 http://ameblo.jp/petroni
■KC1巻から始まるスクランの世界 スクランの世界に流れる、ディスコミュニケーション性とは具体的にどういうものか。 それは、善意や好意をちゃんと理解して、その感謝の気持ちを本人に返す、という正常なコミュニケーションが稀にしか描かれず、その踏み外しをこそドラマの基点にしていることからも説明できる。 実際に、善意と好意に伴う感謝のシーンをKC1巻から探し出してみようか。初期の段階までなら天満も、単純に行儀の良い子として「ありがとうございます」を条件反射的に言えている(♯03,♯04参照)のだが、その天満に播磨からの好意や善意が絡み出してきた途端、想いのすれ違いが始まる。 ♯05では、テスト中の助け船が失敗に終わった(播磨の空想では感謝される図が展開されている)。 ♯06では、ラブレターによる好意が理解してもらえたものの、播磨自身は名乗り出せなかった。 ♯12では、チカンを退治して感謝されるが、
Those who know do not speak. Those who speak do not know. Close the holes, Shut the doors, > Blunt the sharpness, Untangle the knots, Soften the glare, Merge with dust.
■その他倉庫(漫画論 、創作論、資料など) ←「リクィド・ファイア」に戻る 漫画批評における、視点をめぐる諸問題 03/10 小林尽『School Rumble』考 1:一目でわかる『School Rumble』の恋愛関係 2:『School Rumble』における少女漫画ラブコメの図 3:双方向を目指す想い 赤松健論 萌えの入口論 06.06/02改訂 『ひみつの階段』 キャラ一覧 斑鳩AA保管庫 あびゅうきょ 著作リスト(凍結) やまむらはじめ 著作リスト(凍結) やまむらはじめ プロフィール(凍結) 我々は企業の自由について、資本主義社会について、結社の自由の権利について、議会政治について語るが、それはまるで、これらの言葉が全て、かつて表していたものと同じものを表しているかのように思い込んでいる。社会制度は、それが実際に機能している状態がその実態であって、必ずしも我々がそうであると語
届かないよあの人まで 近くて遠い距離 どこまでも青い空 同じように見てるのに あなたにはくもり空 見えてる 気がしちゃう 〝スクランブル〟(アニメ『スクールランブル』OPテーマ) 歌:堀江由衣 with UNSCANDAL/作詞:スズーキタカユキ/編曲:UNSCANDAL これは〝スクランブル〟という曲名からも窺えるように、スズーキタカユキ(UNSCANDALリーダー)がアニメ版『スクールランブル』の為に書き下ろしたと思しき歌詞であるが、その原作作品に通底する、本質的なテーマを的確に言い表しているようにも思えてしまう。 『School Rumble』(以下スクラン)という、今なお連載中の漫画(2006年3月現在♯171,♭39の時点)を通して眺めてみると、矢神高校という学園空間で暮らす登場人物達(教師含む)の中に、両想いを達成したカップルがまだ一組も存在しないということに気付くだろう。両想
■松江名俊『戦え梁山泊! 史上最強の弟子』『史上最強の弟子 ケンイチ』 作者の松江名俊は、間違いなく『拳児』の影響を強烈に受けた世代の漫画家である。サンデー本誌の増刊号、『少年サンデー超』に『戦え!梁山泊 史上最強の弟子』を99年10月~02年2月の間連載し、終了後間もなく、リメイク的な続編『史上最強の弟子 ケンイチ』をサンデー本誌において連載を始める(05年2月現在未完)。便宜的にこれらを「史上最強の弟子」シリーズとし、増刊期のものを「戦え梁山泊」、本誌期のものを「ケンイチ」と呼ぶことにしよう。 どちらも主人公、白浜兼一がいじめられっ子生活から脱出するために「梁山泊」という格闘技の超達人が集う道場に弟子入りし、寝泊まりしながら過酷な修業に励み、劇的に強くなっていくというストーリーの格闘アクション漫画である。 随所に『拳児』に対するオマージュが散見され、「八極拳」や「八卦掌」という単語も当
■連載中における主人公の変動 実際はもっと細かく分割することも可能だが、景太郎の扱いのみに注目してストーリーを見ていこう。 1.第1話から東大合格決定までの「受験編」(HINATA.1~70) ※1~9巻収録 2.サブヒロイン達を主役にした「住人編」(HINATA.71~84) ※9、10巻収録 3.景太郎がアメリカへ去る「留学編」(HINATA.85~88) ※10、11巻収録 4.成瀬川が主人公の「可奈子編」(HINATA.89~105) ※11、12巻収録 5.住人編の延長である「素子編」と「モルモル王国編」(HINATA.106~114) ※13巻収録 6.最終エピソード「約束の女の子編」(HINATA.115~HINATA.118) ※14巻収録 7.絵馬が主役の「エピローグ」(EPILOGUE I~II) ※14巻収録 「受験編」における主人公の目的は言うまでもなく東大合格で
『季刊エス』第4号は2003年10月1日発行。マガジン本誌で「エヴァンジェリン編」が連載していた時期に取材されたものだと思われる。 インタビューの他にも、第16話におけるモブシーン(単行本3巻p6-7)の作画解説、「背景のバンク化」に関する解説、第14話のネームの解説、などの記事が組まれていた。 以下に、インタビュー本文、およびそれに伴った註釈、欄外コメントのみを引用した後に、筆者による解説を加えさせて頂いている。 取材:木阿野マルコ ──『魔法先生ネギま!』の第一話をみて「すごい漫画が始まった!」と思ったんです。 赤松 『ラブひな』が終わって、編集部が当然似たような作品を期待してるというのは感じてたんですよ。でも、また同じものをやりたくない。『ラブひな』で私のやりたいことや個人的なテンションはわりと達成されてしまったので、もう一本同じものをやったときに、多分テンションが保てない。それで(
2005年12月末、有限産業すきま風の探検はらはら氏と都内で駄弁っていた時に筆者が図に描いたのが以下のようなものであった。 『週刊少年マガジン』および『マガジンSpecial』で連載中の小林尽・作の漫画『School Rumble』(以下「スクラン」)は、人間関係が非常に入り組んでいるように見えて意外とシンプルなのだということを図で表したのが拙稿≪一目でわかる『School Rumble』の恋愛関係≫であったが、しかし局所に注目すれば、やはり複雑怪奇なラブコメの様相を呈しているのだった(2006年1月現在♯160,♭35の時点)。 中心人物である周防美琴が、周囲に花井春樹、今鳥恭介、麻生広義、と美形所の男性キャラを押さえているばかりでなく、それぞれの関係者達(結城つむぎ、俵屋さつき、ララ・ゴンザレスなど)から感情の矛先を向けられている点に注目してほしい。また、図の中の三角形はそのまま三角関
■敷居の高さ 「萌え」が他者の内面を覗き込んだり、中に入り込むことで得られるものだということは、他者の内面イコール「萌えの世界」であるとも言える。 しかし、その萌えの世界にはハードル、「敷居」が存在している。 これは、対象が現実の人間であっても、架空のキャラクターであっても同様で、自我を主張する彼ら、物言わぬ彼らには、ただそのままでは受け手が共感しうる「手掛かり」が存在しないからである。 その「敷居」を登って乗り越え、対象の内面へと「入門」する為に「入口」は必要とされ、作り手側が丁寧に用意してやったり、時に受け手側の手によって「こじ開け」られたりする。 ■「視点」が生む入口の重要性 最も正道、かつ愚直とも言える手法が、想定するターゲット層と同じ性別のキャラクターを「視点」に据えることである。男性向けのエロコメやギャルゲーならば男キャラ、女性向けのラブコメや乙女ゲーならば女キャラといった具合
■女性オタクのキャラ萌え 筆者は男性なので断定まではしないが、前述した三通りの手法(*1)と似たようなことは、女性にとってのキャラ萌えにも発見できることだと思う(女性はキャラクターよりも広い視点で「カップリング」に萌えることも多いようだが、今回その点には触れない)。 ボーイズラブによって犯される「受け」の男達は、まるでオルガスムスを感じているかのような痴態を見せるのだし、また、女性のような振る舞いを男性キャラに演じさせることは多いだろう(それがたまたまショタコン男性の琴線に触れるケースもあったりするが)。 家庭的で世話好きで綺麗好きで……といった、女性的な性役割を備えた男性キャラは支持が厚い。それに女性オタクに愛される男性キャラは、不思議と「女としての幸せ」を与えられているようにも思える。その方が、女性の視点から見て「幸せそうに感じる」からだろう。 イラストやドールなどでも、女性的な意匠を
■レギュラー化の基準は、名前が明示された上で印象に残る台詞があり、コマで大きく描かれていたかどうかから選別している。ただしレギュラーとはいっても、以降毎回の出番が与えられるわけではない。また、脇役を経ずに突然レギュラーとなったキャラは青色で表記する。 ■脇役としての登場の基準は、名前が出ていなくてもその回の主役やレギュラーと絡み、ストーリー上必然性のある役を与えられているキャラクターから選別している(他のクラスメイトでも代役が利くような役の出番はカウントしない)。脇役はその後、キャラ識別をしやすくなり、レギュラー化の可能性が増す。
■「萌えの世界」に架けられた梯子 何故、一時「メカと美少女」から「メカ」が抜け落ちて「美少女萌え」だけに変化した時期があったのか? という問題に立ち戻ろう。メカも無ければ性描写も無く、男の視点すら不在であっても、美少女に萌えることはできるようになったのは何故だろうか? 繰り返し強調したように、適切な「入口」が無ければ「萌え」は成立しない筈だ。では、いかにして「入口」の代わり──「梯子」を手に入れていたのだろうか。 仮説のひとつ(*1)ではあるが、90年代頃にオタク達が熱心に美少女で手淫するようになったからという理由が大きな動力源として挙げられると思う。 美少女漫画においては「入口」としての男性器があれば「萌え」に「メカ」は不要になり、更に男性の姿すら消え去るのだが、そういったオナニーと妄想をオタクがぐわっと一斉に行ったのである。エロ同人とエロゲーがオタク文化に浸透したからだ(どちらも80年
■言葉の限界から/萌えと好きの差 (*1) 本題に入る前に、まずこの論で扱う「萌え」という言葉が指し示す限界を説明しておきたい。 「萌え」と「好き」に大した違いは無い。 「好き」には、ライトでいい加減な感覚で発言される「好き」から、濃くて深い愛情から発せられる「大好き」まで様々あるし、向けられる対象の種別は実に多岐に渡るが、その言葉が取り扱う範囲の幅広さまでを含めて、「萌え」と「好き」の間には大差が無い。 オタクの中には、あまりにも鮮烈で深すぎる愛情を抱いてしまった時に 「これは萌えじゃなくて、“愛”なんだ」 と周囲に弁明せざるをえない傾向がある(筆者もその経験が多々ある)が、それはただ、世間的な「萌え」のイメージが「ライトな好き ~ 死ぬほど大好き」の中間あたりを揺らついているからに過ぎない。 「萌え」を真剣で深刻な意味で用いる人々が少ないが故に、仕方なく別の単語を用いて意味を補わないと
■序 「少年漫画」というと、いわゆるジャンプ漫画的な「王道」少年漫画を連想されるかもしれないが、ここでは広い意味で「少年誌に掲載されている漫画作品」を指している。 しかしそれがギャグ漫画であれラブコメ漫画であれ、少年誌に掲載されている以上、少年漫画のお約束や掲載誌のカラーは守らなければならないのが「少年漫画」の世界であると言えるだろう。 例えば、主人公は(数少ない例外を除いて)少年などの男性でなければならないし、何らかの目標を持って他者(=外の世界)と戦っていなければならず、そして将来的には勝たなければいけない、というように。 仮に「くだらないエロコメ」と呼ばれるような作品であっても例外ではない。これら諸々のルールを厳守することによって、初めて少年誌に掲載されうるのだということをまず認識してほしい。逆説的に言えば、ルールを破った作品はその埋め合わせを要求されるということでもある(そういった
■序 前作『A・Iが止まらない!』(94年4月~97年9月)に比べて、次回作『ラブひな』(98年10月~01年10月)に関して語られる問題は数多いが、少年漫画という角度に絞った場合は、実は少ない。 赤松健は、AI止まで得た多くの反省点をひとつずつ念入りに反映させることで初期設定の時点から作品の水準を高め、シリーズ全体を通して維持していたからだ。 ただそれでも、少年漫画として十全とは言えない部分が新たに現れていることを指摘せねばならない。しかしそれもまた、最新作『魔法先生ネギま!』へと繋がる要素として認識する価値があると言えるだろう。 AI止まで「少年漫画らしさ」を獲得しえた赤松健が、次回作にその経験をいかに取り込んだのかを含めて、『ラブひな』が何をやり遂げ、何をやり残したのかを検証していきたい。 ■1998年 その前に、連載がスタートする「1998年後期」という状況を軽くリファレンスしてお
■赤松ラブコメのリファレンスとしての「星パラ」 『A・Iが止まらない!』および『ラブひな』におけるH描写やギャグのセンスには、克・亜樹の『星くずパラダイス』(90年~92年 以下「星パラ」)の影響が強く見られる。 流石にハーレム漫画ではなかったものの、星パラも典型的な「ヒロインとの同居ラブコメ」だったからだ。 ※12月3日註:筆者が編集した同人誌『ネギまで遊ぶ‥‥エーミッタム!!』内の作者インタビューにおいて、赤松健は当時の克・亜樹作品に全く触れていなかったと述べている。よって、以下の分析は「影響関係」ではなく「偶然の類似性」のみに着目したものとして捉えてほしい。 特に「主人公が風呂場(or 着替え中)にうっかり入る→ヒロインに殴り飛ばされる」「主人公のドジでヒロインの胸を触る(or 服を脱がす)→ヒロインに殴り飛ばされる」というパターンや、「とりあえずダジャレや着ぐるみコスプレで間を繋ぐ
■「師匠萌え漫画」の系譜 少年漫画の魅力の要素というものは様々に存在する。ドラマの魅力やグラフィック・アートとしての魅力を除けば、残りの大部分は「キャラクター」の魅力だろう。それはまず主人公の魅力であり、ヒロイン、仲間、ライバル、悪役、やられ役……等々の魅力であり、彼ら(彼女ら)は時として主人公以上の輝きを発することもある。 この中で特に主人公と深い関わりを築き、読者の強い印象に残るのがライバルや悪役達だろう。彼らは少年漫画の主題である「外の世界での戦い」を身を以て提供し、主人公が勝利した時のカタルシスを読者に与えてくれるからだ。また、ラブコメ漫画においてはヒロインがカタルシスを与える役割を担う。それらは主人公の成長を証明するものとして描かれる。 しかし、ライバルや悪役、ヒロインらと同等かそれ以上の魅力を発するキャラクター役割も存在する。それが「師匠」なのだ。ある分野の達人として存在する師
橙色 : キャラクターの誕生 紺色 : 歴史上の出来事 灰色 : 当時で確認可能なキャラクターの年齢 本誌掲載分のネタバレ情報を含む。 時期 麻帆良学園とクラスメイトの出来事 その他の出来事
■「大衆娯楽(エンターテイメント)」という言葉は、赤松健の作家性を理解する上で最も重要なキーワードである。 彼のこういった一面はあまり理解されていない傾向にあるが、深く知れば知るほど「プロとしての自覚」に満ちた、 信頼のおけるクリエイターであることが窺える。 日記帳や各種インタビュー記事の中から、「大衆娯楽」に関係してくるコメントをできる限り拾ってみよう (時系列に沿って古い順に並べてある)。 なお、著作権法における「引用の目的上正当な範囲内」に収める為、逐一筆者による註釈を詳しく加えさせてもらった。 ややテキスト量が膨大になってしまったが、 参考資料としての保存性を重視した結果なのでご了承頂きたい。強調部分は筆者によるものである。 ■【AI止まの次回作(=ラブひな)の構想について】 それにはネタよりもまず魅力的なキャラクターが重要なんです。 ネタだし合宿(温泉)までに、それを用意しておく
■序 前作『ラブひな』(98年10月21日~01年10月31日)が終了してから1年4ヶ月後、03年2月26日に『魔法先生ネギま!』(以下「ネギま」)は『週刊少年マガジン』誌上で連載を開始する。 この連載は1年11ヶ月経った今(05年2月現在)もなお継続中であり、単行本の売り上げも順調、イメージCDは連続オリコンチャート入りという異例の人気を示している。また、1月からアニメ版とゲーム版がリリース。作品的にもタイトルの知名度的にも、まだ可能性の広がりが大きい段階だと言えよう。 しかし、いざ作品論を試みようとした場合、(そこそこの長期連載を連想させるストーリー構成も相まって)未完の作品であるがゆえに全体的な考察が妨げられてしまう、というのが現状でもある。 よって当編では、<ラブひな編>では語りきれなかった部分を補足説明した後、現在把握できる発表作(単行本9巻相当まで)にのみ考察対象を絞って分析を
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