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大そうじへの備え
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ユーモアというものは、人生において、とても大切なものである。様々な人生のトラブルやストレスが、我々の心を暗くする時、ユーモアのセンス次第で、簡単に気分を変えることができる。ユーモアは、人間が精神のバランスをとるためには、極めて有効な武器である。 ものの本によれば、ユーモアとは、Human(ヒューマン:人間)が変化してHumour(ユーモア)になったと言われている。だからユーモアには、単なる滑稽なおかしさではなく、人間的な滑稽さやおかしさの意味が込められているのである。つまりユーモアには、人間の生活のなかににじみ出る矛盾やおかしさを、寛大な態度で、笑い飛ばして、楽しむような側面すらある。 しかし残念ながら、ユーモアとはセンス(才能)である。しかも誰もが平等に持っているたぐいの感覚ではない。つまり世の中には、ユーモアを解する人間とユーモアをあまり知らない二種類の人間が存在する。ユーモアを知らな
◆酒井雄哉師のプロフィール 比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶がいる。酒井雄哉(さかいゆうさい)師である。 どんなすごい人かと、その著「一日一生」を読んでみると、ごく普通の人。というより落ちこぼれの人生を送りかけた人だった。 1926年(大正15年)大阪で生まれたが、父の会社が倒産して5歳で東京に引っ越す。麻布中学を受験したが受験に失敗。夜学の商業高校に入学。しかし学業に身が入らず、教師の奨めもあり、1944年(昭和19年)予科練に入る。運良く特攻隊で命を散らすことなく生還。若い頃は、さまざまな職業を点々とした。 株売買のブローカーを父親とやっていた頃、大金を稼いだこともあったが、1953年、ソ連の独裁者スターリンが死んで、「スターリン暴落」が起こる。丁度今のサブプライムローン暴落のような金融危機だった。大損をして、借金取りに追われた。 いい歳だというので、親戚が気を使って、従
「永遠の少年」考 -サン=テグジュペリ「星の王子様」論- 本文中の引用は、すべて、愛蔵版「星の王子さま」内藤濯訳、岩波書店2000年11月刊の新版を使用しています。 1 永遠の少年サン=テグジュペリ 男にはどこか「永遠の少年」のようなところがある。少年時代の夢が忘れられずに、端から見れば取るに足りないようなことを夢中で追いかけてしまうような・・・。ところでこの「永遠の少年」を考える上で、格好のテキストにサン=テグジュペリの書いたファンタジーに「星の王子さま」がある。 この「星の王子さま」は、砂漠に不時着し、生死の域を彷徨っていた時に、ふと主人公の前に現れた金髪の少年である。ファンタジーとして書かれているので、緊張感は少しもないが、きっとこれはサン=テグジュペリが、1935年に自家用機でパリからサイゴンに向かう途中で、リビアの砂漠に不時着した時のヌミノース体験(神秘体験)を作品化したものと考
毎月一回、石原慎太郎都知事が、産経新聞に「日本よ」という記事を書いている。 今月(2003年8月)の「日本よ」のテーマは、中国からの不法入国問題である。日頃、中国を「シナ」と呼び、とかく中国政府からは、快く思われていない 石原知事だが、今回の話は、その内容の厳しさはともかく、結論の導き方は、的を得ていて概ね賛成できる内容だった。 まず池袋に町に視察に行ったという石原は、現実の不法滞在者の犯罪を踏まえてこのように始める。 「今この日本と中国との間にある隔差の最たるものは経済、言い換えれば生活水準の違いであって、…中国人の極めて現実的なDNAは、…その願望をかなえる ためには堂々と盗みもする。さらに大きな国家規模の技術隔差に関しては、…知的所有権など全く無視して盗み続けている。」 石原はこの日本と中国の隔差を、単なる悪感情として、自分の内部にため込んで置かず、普遍的な概念に置き換えてこのように
1 他人の詩に託した遺書 「稀代の殺人鬼」と形容されるその死刑囚は、死刑執行の時を迎え、最期の言葉は発しなかったが、代わりに次のように書かれた一枚の紙切れを、刑務所長に渡した。 私を覆う夜の闇を越えて Out of the night that covers me, 鉄格子の隙間から地獄牢に射す暗黒 Black as the Pit from pole to pole, 思うに神は私にとって征服不能の魂ではあるけれど I think whatever gods may be For my unconquecable soul.(中略) たとえ一途に裁きの門に向かうにしても It mattars not how strait the gate, どうして己の罪を絵巻をめくるように負うことなどできようか How charged with punishmennts the scroll, (それ
1「無明」の発見 仏教に無明(むみょう)という言葉がある。無明とは、人間が根本的に持っている無知のことである。人生における人間の苦しみは、すべてこの無明から始まることをブッダは、瞑想の中から発見した。人は、その無明というものを取り払うことで、心安らかに生きていける。何だ、人生の秘密とは、こんなことだったのか。ブッダは、余りに簡単な人生の秘密を知って、興奮し、感激し、どきどきしながら、世界の誰もが知っていないはずの、この純粋で微妙な感覚の余韻にしばらく浸っていたのである。 次にブッダは悩んだ。この自分が知ったことを、世の中に伝えたいのだが、この内容が余りに簡単で単純であるのに、実に微妙で、奥深い意味をはらんでいることなので、とても理解してはもらえないだろう。と思ってしまったのである。 しばらく考えたブッダは、ついに意を決して、以前一緒に修業をしていた仲間に、初めてその人生の秘密を伝えたのであ
多くの人は、心理学者EHエリクソンの「アイデンティティ」という言葉を誤解したまま使っている。 この誤解は、ユングの「コンプレックス」の場合とまったく同じだ。ユングの「コンプレックス」が、本来「心の複合性」であるのに、いつの間にか、複合性のひとつの要素に過ぎない「劣等意識」だけを取り出して、「コンプレックス=劣等感」となって、その言葉が勝手に一人歩きを始め流行語化してしまった。同じようにエリクソンの「アイデンティティ」も「自己同一性」と訳され、それが「主体性」と解され、更に単純化されて「本来の自分らしく生きること」などと、曲解されて流行語化してしまったのである。 エリクソンは、アイデンティティという言葉を細心の注意を払って使用している。彼はこのアイデンティティという言葉を厳密に定義づけて分かりやすく説明したことはない。簡単に定義をしてしまうと、あらぬ誤解を受けてしまうことを恐れたのであろう。
その昔、七世紀末の大和国の葛城山山中に役小角(えんのおづの)という謎の人物が棲んでいた。「日本霊異記」上巻第二十八巻には、この不思議な男の話が、面白く語られている。 役小角。生まれも没した年の不詳のこの人物は、現在では山伏の元祖としてよく取り上げられることが多い。別名の「役行者」(えんのぎょうじゃ)の呼称もよく聞く名である。この人物の出自は、賀茂氏の出とされ、幼き頃より物覚えがよく、呪術を使い、文武三年(699)に、金峯山と葛城山に橋を架けようとしたが、困り果てた「一言主」(ひとことぬし)という地の神さまが人の口を借りて「役小角は天皇を滅ぼそうとしている」と陰口を言ったらしい。 それに怒った文武天皇は、彼を捕まえようとしたが、呪術を使うので簡単にはいかない。そこで彼の母を捕まえたら、彼は素直に縄について、伊豆に流された。しかしこの人物は転んでも只で起きるような人物ではない。昼は命令に従って
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方言と地名の魔力 (第一稿) 序 これは民俗学の成果と手法を用いて、歴史の闇に分け入ろうとする実験的試みである。 目 次 1.アグドという方言の意味について 2. アグド方言と悪路王伝説の符合について 【1】様々な悪路王伝説 【2】悪路王とはいったい誰なのか 【3】悪路王を倒したのは、誰か? 【4】2の結論 悪路王伝説のからくり 3.坂上田村麻呂伝説と毘沙門天像について 【1】宗教としての坂上田村麻呂 【2】東北に現存する毘沙門天像 【3】3の結論 毘沙門天と悪路王 4.陸奥話記の阿久利川と現在の阿久戸の関係について 5.伊治呰麻呂の本拠地としての阿久戸周辺の研究 6.アクトをカカトとすることに関する意味とその方言文化圏の拡散と限界 7.アクト方言にみる方言と地名拡散の理論 8.結論 1.アグドという方言の意味について 東北の各地にアグド(あるいはアクト、アクド、アグド、)という不思議な
泣けた。技術者魂に泣けた。NHKのドキュメンタリーシリーズ「プロジェクトx」の「執念が生んだ新幹線」を観た。これは余り知られていない新幹線開発秘話であると同時に、新しい技術開発賭けた男達の執念の物語である。 今や「新幹線」と言えば、そのまま英語で通用してしまうほどの20世紀の鉄道史に残るプロジェクトだった。今、東京駅に行ってみれば、夢の超特急と言われた新幹線が、まさに山の手線並の数分単位で、ひっきりなしに北に南に走っていく姿を目の当たりにすることができる。しかしこの新幹線誕生には、ちょっと訳ありな技術者達の執念の開発秘話があった。 新幹線プロジェクトは、三木忠直という戦争当時飛行機の設計開発に携わっていた男の執念によって、進められたと言っても過言ではない。実は三木は戦争当時、桜花という特攻専用のただまっすぐに敵艦に飛んで行って体当たりするための飛行機も設計させられた経歴を持つ航空機設計のエ
旧白洲次郎・正子邸「武相荘」 (07年3月3日 佐藤弘弥撮影) 世の中 に花の名所は数あれど武相荘こそ物狂ほしけれ ひろや 1 白洲正子の感性と父親 白洲正子(1910-1998)さんという日本の文化に大変精通した女性がいる。平成十年(1998)に、お亡く なりになった方である。ある時、「西行」という著作に触れて以来、のめり込むというほどのことではないのだが、妙に気になり、ひとつひとつ本が溜まって いって、ついにはわが家の書斎に白洲正子コーナーができてしまったのである。 白洲正子さんの凄さは、その感覚にある。とかくインテリというものは理性の方が勝ちすぎていて、理詰め理詰めで息 が詰まるようなところがある。しかし白洲さんは、それがまったくない。何故このような彼女独特の感性が身に付いたのか。少しばかり考えてみたくなった。 結論から先に言えば、白洲正子さんの場合は、生まれっぱなしの潜在的な才能が
「やっかみ」という言葉がある。これは「妬み」(ねたみ)や「羨み」(うらやみ)と同じような意味を持つ言葉で、相手の成功や優れた点を見て、たまらなく嫌な気持ちになり、何かしてやりたいような心境になることを云う。だからこの言葉には、自分の中にある劣等感をことさら刺激され、相手を妬み、羨やみ、時には怨(うらみ)、というような心理状況に陥ることがある。 この問題は、人間の心の奥にあって、時には人間の運命を支配しかねない問題に発展することもある。何か我々人間というものは、人が成功を掴んだと見るや、「何であの人があんなに?」と思いがちだ。表面では、「よくやったね、素晴らしい」と褒めながらも、心のどこかでは、「何よ、あのひとばかり、注目されて」などと思ってしまうものである。 例えば、最近の事件で隣の娘が、名門幼稚園に入れて、自分の娘が入れないものだから、隣の娘を殺害に及ぶというような痛ましい事件も起きてい
多田富雄氏の新著「寡黙なる巨人」(集英社 07年7月刊)を手にした。 表紙をめくって、1時間半余り、私はこの本に躍る活字に惹き付けられるようにして一気に読んだ。多田富雄氏のことが偲ばれた。脳梗塞に倒れ、必死のリハビ リによって、不自由な手でワープロでの入力作業をし、それこそ一字一字を紡ぎ出すようにして、このエッセイを上梓されたことを思う。すると、本に向かい自 然に頭が下がる思いがした。 「寡黙なる巨人」とは、まさに多田氏のことである。「巨人」とは、6年前の01年5月2日、旅先の金沢で脳梗塞によって、突然不自由を強いられた時、多田 氏自身の脳裏の中で、胎動し始めたもう一人の人格を指している。 私は依然、多田氏がリハビリの日常を余すことなく活写したNHKのドキュメンタリーを見た時、「知はどのようにして苦を 乗り越えるか」というテーマでエッセイを書いたのを思い出す。 「寡黙なる巨人」は、人間の知
青土社 価格:¥ 1,260(税込) 発売日:2007-11-19 ◆ 世界的な免疫学者多田富雄氏は、2001年、脳梗塞で左半身のマヒと声を失い、前立腺癌と闘いながら、リハビリ難民と呼ばれる社会的弱者の先頭に立って、 厚労省による容赦のない患者切り捨て政策の白紙撤回を叫んでいる。ハンディを負った「知の巨人」の凄まじい生き様に読者は何を見るだろう。★★★★★ 多田富雄先生の新著「わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存は守られたか」(青土社 12月10日刊)が届いた。 多田先生は、2001年旅先で脳梗塞に倒れ、左半身マヒと声を失った。その後、必死のリハビリに専念しながら、自らの運命と闘って来ら れた。この 間、リハビリ医療によって、徐々に歩行やコンピューターによる一文字一文字入力訓練によって、執筆活動ができるまでに回復された。 多田先生にとって、リハビリ医療は「生きる希望」そのものだった。だが、2
原始仏典の中に、ブッダの前世物語というお話し(経典)があります。これはブッダがウサギとして生を受けた時のお話しです。そのお話を童話風に少しアレンジします。 ブッダはある時、白ウサギとして生を受けたことがありました。ある冬の日、ウサギは、ヒマラヤの山の中で、ひとりの行き倒れそうになった聖者を見つけました。 凍えそうに寒い山の中で、聖者は火にあたりながら、念仏を唱え、ただただ死の訪れを待っていました。その聖者は、この数日食事をとっていなかったのです。表情には死の影が浮かんでいました。 木陰から、その様子をそっと見ていた白ウサギの心に、弱っている聖者に対する慈悲の心がわいてきました。ウサギが、そばに近づいていくと、その聖者は、自分のこともかまわずに、ウサギを抱き上げて、真っ白い雪のような頭をなでながら、「お前も寒いのか、火に当たりなさい」と、やさしく言いました。 ウサギは、その聖者から溢れるよう
ふと「百目鬼」という字が目に付いた。 しかし読み方が分からない。まあ名字か、妖怪の名だろうと軽く検討をつけて、三省堂難読辞書に目を通して、何とか「どうめき」と読む字だとわかった。そこで意味を知ろうと、明解国語、岩波国語、広辞苑、字通、と目を通すが、見あたらない。段々焦りが出る。そこで古語辞典辞典を三冊ほど、漢和を二冊ほど目を通すが駄目である。更に大塚民俗学事典にも目を通すが見あたらない。柳田国男の「妖怪談議」にもない。水木しげるの妖怪ものを引っ張り出すが見あたらない。中国の妖怪辞典とも言える「山海経」にもない。時は既に夜中の一時半となっているではないか。知りたいという意欲は募るばかり、寝付かれないまま、白々と夜が明けて、飢えたカラスがやかましく鳴いている。悔しさは募るばかりだ。 うーむ、と考えながら、布団を上げて、最近出版された一冊の本が頭に浮かんだ。「妖怪事典」(村上健司著 毎日新聞社2
1 ドンキホーテ藤沢に現る 「ドン・キホーテっていったい何者だ・・・人は誰でも心の中に一人のドンキホーテを飼って いるのか・・・しょぼくれた初老の狂人が、世界中で四百年以上も、愛され続ける理由は、それ以外考えられないではないか・・・」 そんなことをつべこべと考えながら、敬愛する岩下浩氏主演の「ドン・キホーテ」を観に藤沢 に向かった。 会場は、高校生で満ち溢れ、むせ返るようなエネルギーが充満していた。今回の藤沢公演を演 じる劇団「愛」は、1998年に中城まさお氏が起こした演劇集団で、学校公演を中心に、現在は『ドン・キホーテ』、『王さまのかんむり』、『海賊船のおし ばいがはじまるよ!』などを中心に活動を展開しているとのことである。 静かに幕が上がる。型通りの口上があり、岩下氏が演じるスペインのラマンチャ地方に住む初 老の地主ケサーダが登場する。主人公ケサーダは、ヨーロッパの中世で、盛んに愛読さ
義経関連エッセイ 平泉関連エッセイ 高野山関連エッセイ 人物関連エッセイ 西行・芭蕉関連エッセイ 映画・芝居関連エッセイ 音楽関連エッセイ 鎌倉関連エッセイ 思いつきエッセイ全 NEW 宇治平等院 考 NEW 鎌倉関連エッセイ 判官びいき」を考える 現代のブッダ逝く(中村元氏を偲ぶ) 義経千本桜」を観る 「ある」と「ない」(高舘での思い 泥を楽しむ(国見の菊池利雄氏の事) 常識を越えたもの(山 高神代桜) 芭蕉の腹 記憶違い(人の記憶は歴 史に似る) 平家物語と日本人 信長を教育した男(平 手政秀) 仇を詠む眼(蕪村の一 句に思う) 童話「熊ゴンの戦争」 映画「タイタニック」論 名画を見る眼 お化け論 我(が)というもの 伝説の落語家(三遊亭 円朝の生涯) ジョンレノン・18回目の命日 古典を読むこと 下北沢小笹鮨のこと 金持ちになる話(炭焼藤太異 聞) 鬼になった男(エノラゲイで 原爆)
さまざまのこと思い出す桜かな 妙法寺の桜(世田谷区) (2004.3.21佐藤信行撮影) 古寺に咲く花を見上げてしみじみと今に生きとふ縁(えにし)を思ふ さまざまのこと思い出す桜かな さまざまのこと思い出す桜かな という句がある。実に平凡な句だ。俳句なんて、誰でも作れる、そんなことを思ってしまう。この句は、もちろん知る人ぞ知る芭蕉の句だ。芭蕉作となると、とたんに名句に思えてしまうから不思議だ。 なぜそんなことになってしまうのか。読んだ人間の心の動きをみれば、まず「芭蕉」というイメージに反応して、さざ波のような葛藤が起きる。その波紋が次第に大きくなり、句のイメージが一変する。芭蕉と聞いただけで、「お見逸れしました」となる人も多い。それほど「芭蕉」という名は、日本人にとって大きな存在で、文化的象徴ということにもなる。日本人の心の中にあっては、芭蕉は、歌人西行と並んで、ユングの言う「元型」(アー
ずっと昔、ポールサイモンが作った「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」という歌に触れ、その意味をしみじみと味わった時、背筋が凍るような思いをしたこと がある。 その歌は、こんな感じで始まる。 Hello darkness, my old friend( こんにちわ暗闇くん。君は僕の古くからの友人だ) I've come to talk with you again( また君と話しに来てしまった) Because a vision softly creeping (その訳は、ひとつの幻想がやさしく忍び寄ってきて) Left its seeds while I was sleeping (僕が眠っている隙に一粒の種残していったからだ) And the vision that was planted in my brain (そしたらその種が僕の脳の中で大きく成長
はじめに 「武士道とは死ぬことことと見つけたり」 という言葉が、あたかも武士道の神髄であるかのように受け取られて久しい。 今から六十数年近くも前、悲惨な太平洋戦争の時に、日本の若者たちは、特攻隊としてゼロ戦に乗り、人間魚雷回 転に乗り、華々しく散って逝った。その背後に は、残念ながら、いつの間にか日本人の根本精神あるいは美風としての誤解された「武士道」があったと云わざるをえない。だからこそ、この言葉は、吟味され なければならない。新渡戸稲造を含め、もしかしたら、この武士道という呪縛の中で、日本人は様々な歴史的な間違いを犯してしまったのかもしれない。もう一 度この武士道という言葉の意味を問い直すことは意味のあることである。 1 「葉隠」という本。一般にこの本は、武士道の神髄を伝える本としての評価が定着しているようにみえる。でもその評価 は、本当に正しいのか。これを著した山 本常朝が、江戸の太
1. 本文の底本は、岩波文庫「愚管抄」(丸山二郎校訂1949年11月25日刊)である。 2. 上記底本は、国史大系第十九巻所収の「愚管抄」(黒板勝美黒板勝美編輯 国史大系編修会編輯 1930年刊)を底本として校訂されたものである。 3.デジタル化に当たり、再度この国史大系本を見直した。 4.併せて日本古典文学大系86所収の「愚管抄」(岡見正雄校注 赤松俊秀校注1977年刊)を参考とした。 5.「愚管抄全註解」(中島悦次著有精堂出版昭和四四年刊)を参考にした。 6. 難読の漢字には()内にひらがなを現代仮名遣いにて付した箇所もある。 7.どうしてもデジタル化出来ない字は■を付し()に字形を表した。 8.多くの誤入力があると思う。その場合は、ご一報賜りたい。
鎌倉大仏と災害都市「鎌倉」 1 鎌倉の代表的景観というものを考えてみる。吾妻鏡を読むと、随所に「大地震」、「大風」「洪水」という表記が目に付く。1333年に北条高時が自害して鎌倉幕府が存在した150年の間、さながら鎌倉は災害常襲地帯そのものだ。 三方を山に囲まれている鎌倉という中世都市が、いかに、災害の多い場所だったか分かる。「大地震」や「大風」、「洪水」という記載も目につく。こうした中で、私は当時鎌倉に住んでいた住民が、深沢という都市鎌倉への西の玄関に当たるような地域にあって、地震が起これば、激しく揺すられ、その後に津波がくれば波をかぶる深沢の大仏(鎌倉の大仏)の凛とした姿が、どれほど鎌倉の庶民に勇気を与えたのではないかと想像する。 災害都市鎌倉にあって、この大仏がどんな存在だったか、考えてみたい。 大仏が造られたのは、吾妻鏡の嘉禎4年(1238)3月23日の条に、「深沢里大仏事始」記載
1 ファザコン映画!? アニメ映画「ゲド戦記」を観た。「ひどいファザコン映画だ」というのが見終わった直後の正直な感想だった。アレンは監督の宮崎吾朗自身であり、王子のアレ ンが映画の冒頭殺害する国王は宮崎駿だ。後に登場するゲド(ハイタカ)もまた父宮崎駿を思わせる構図に見えて仕方がなかった。 もしも監督が宮崎駿でなければ、「ゲド戦記」の原作者のアーシェラ・K・ル=グウィンは、このアニメ化を許さなかったはずだ。現に、原作者のル=グウィン は、数年前になって、日本語訳をした清水真砂子氏を通じて、「映像化するとしたら、ハヤオをおいてない」とスタジオジブリに伝えたそうだ。(注:清水真砂 子著「ゲド戦記」の世界 岩波ブックレットNO683 P54) おそらく原作者のル=グウィンは、宮崎のファンタジーの才能を信じて、アニメ化の許可を出したに違いない。それがまさかこのように筋が、まったく異
判官びいきという言葉がある。衆知のように夭折した源義経を自然にかばう日本人特有の心情である。確かに日本人は、義経のように悲劇性をはらんだ人物に強く惹かれる傾向がある。 私自身、スポーツを観ていても、いつの間にか弱い者を応援している自分に気付くことがある。この「判官びいき」を、もう少し厳密に定義すれば、本来才能があり余るほどありながら、その才能が開花しないままに終わってしまったような人物を、自然にかばってしまう日本人特有の優しい心情とでも言えるだろうか。 広辞苑には「源義経を薄命な英雄として愛惜し同情すること。転じて弱者に対する第三者の同情やひいき」とある。まさに判官びいきは、日本人の心の中にある優しい心情であり、一種の美意識といっても過言ではない。 判官びいきをされる人間というものは、日本の歴史の中でも、ほんの数人しかいない。弱いからすぐ日本人がその人物をヒーローに祭り上げるかというとそう
ユング心理学にコンステレーション(布置又は配置と訳される)という言葉がある。これは一見、無関係に並んで配列しているようにしか見えないものが、ある時、全体的な意味を含んだものに見えてくることを言う。 例えば、白鳥座や小熊座のように、何気ない星の配置が、白鳥や小熊というイメージを思って見たときに、全体が特別の意味を持って見えてくることも、やはりコンステレーションである。 昨日私が、雨宿りをした理由を考えてみて欲しい。右手にパソコン。左手にウッドのドライバー。気に入っているスーツ。新しい靴。これらの配置(コンステレーション)は、私に雨宿りせよ、と言っているに等しい。 複雑極まりない人生模様の中では、現在の状況を「これはコンステレーションだ」と、気づくことは難しい。多くの人は、後でその時を、振りかえって、何であの時、コンステレーションだと気づけなかったのだろうと、後悔しがちである。 コンステレーシ
1 日本病の心的傾向 最近何処からともなく言われるようになった日本病というものを考えてみよう。 かつてイギリス病ということが盛んに喧伝されたことがある。周知のようにイギリス病とは、産業革命をいち早く起こしたイギリスという国家が、市民階級が次第に自分たちの権利意識に目覚め、やがては世界第一位の債権国となり、「ゆりかごから墓場まで」と言われるような世界に並ぶ者のないような福祉大国を建設するに至ったのであったが、ある時から、それが足かせとなり、いつしか国民がその権利にあぐらをかくようにようになり、汗を出して働かなくなって、イギリスという国家そのものが国際競争力を失って、信用を失墜してしまった状態を指す言葉である。 ひとつの例を挙げれば、イギリスの高級車に「ジャガー」というものがあるが「○○年のジャガー」はトラブルが多いと言われたりしたものだ。失業率も高止まりして、ひどい時には、失業手当てが、巷の
人の出会いは不思議である。ある時、それまで何の関係も無い者同士が、無二の親友となり、夫婦となり、同士となる。映画監督黒澤明と俳優三船敏郎の出会いもまた、そのような不思議な縁で結ばれた関係であった。二人はちょうど十年の歳の差があり、二人の父親は、偶然だがともに秋田の出身である。 黒澤が初めて三船を見たのは、彼が監督になって間もない1946年6月、つまり黒澤36才、三船が26歳の時であった。 「すごいのが、面接にきているぞ。しかしその男、態度が乱暴でね。当落すれすれらしい」という声を聞いて、黒澤は、興味をそそられて、面接会場にかけ付けてみた。すると、いかつい顔をした若い男が、縛られて、獣のように暴れまわっている。もちろんオーディションのテストだが、その男の野獣のような雰囲気に会場がすっかり飲まれている様子だった。 黒澤自身「生け捕られた猛獣が、そこにいるような凄まじい姿で、しばらく動けなかった
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