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墓と呼ぶにはあまりにも粗末な石の集まりだった。一つの石の大きさは一抱えほどであろうか、無数の石の... 墓と呼ぶにはあまりにも粗末な石の集まりだった。一つの石の大きさは一抱えほどであろうか、無数の石の集積が、小高い河岸段丘の傾斜に、散々に広がっていた。丘は、遠く日本海をのぞむ場所にあって、梅雨にうたれて視界は悪かったが、水平線上には男鹿半島がぼんやり見えた。かつて、海の向こうに見える男鹿半島を朝鮮半島に見たてて、過酷な労働のあい間にアリランを唄う人がいたという。 ここで亡くなった犠牲者の誰もが「いつか、必ず故郷に帰れる」と、信じていたと思う。どのような言葉を尽くしても、どんなに悔もうとも、失われた人々を蘇らせることはできない。許されない罪を、人はどのようして償ったらよいのだろう。 ■ 秋田県朝鮮人強制連行真相調査団の報告によれば、秋田県八峰町の発盛精錬所に強制連行された犠牲者の墓は、現在約70基確認されているが、刈り払いができない敷地の奥にも、さらに犠牲者の墓があるのではないか、と言われて
2013/07/06 リンク